私の専門分野は、自動車と高速道路。もともとは自動車の専門家(モータージャーナリスト)で、自動車が走る舞台としての道路、なかんずく高速道路に激しい愛と憎しみを抱き、その流れでそちらの専門家(首都高研究家&交通ジャーナリスト)にもなった。ちなみに憎しみは、主に渋滞に対するものである。
しかし思い起こせば、どちらに先に魅力を感じたかといえば、高速道路だ。
確か中学生の頃。父が家族一同を赤坂に食事に連れていってくれた。それは生涯2~3回しかなかったような贅沢であった。
何を食べたかは覚えていないが、帰路、父は家までタクシーを奮発してくれた。運ちゃんは威勢よく首都高に乗り入れた。
首都高から見る東京の夜景。それはとてつもなく美しくて未来的だった。小さい頃図鑑で見た、立体交差の未来予想図的な光景がすでに存在していたことに、私は驚愕した。
私は今でも、レインボーブリッジを渡るたびに感動する。そして思う。「これこそ日本を代表する美しい風景である」と。レインボーブリッジからの景色に勝てるのは、富士山くらいではなかろうか? 富士山と京都の桜、そしてレインボーブリッジ。これが日本三景ではなかろうか。
記事初出:『建設の匠』2018年10月31日
この意見に賛同してくださる方は、決して少なくない。特に地方出身者に。
「マジ、東京ってメチャメチャすげえって思いました」(岡山県出身)
「ここはニューヨークか? ってビックリしましたよ」(栃木県出身)
まだ新幹線も乗ったことがないと言う女性(長野県出身)は、レインボーブリッジからの夜景に、「やばっ」とつぶやいて、涙ぐんでくれた。
高速道路はカッコいいし、首都高からの景色は美しい。それは間違いのない事実だが、なぜかメディアに取り上げられる機会は多くない。おそらく、高速道路がステキだなんて言ったら超アナクロだし、どこかバカっぽいからだろう。
逆に、高速道路を貶めるのは、知的で進歩的なことだとされている。中でも首都高は、よく憎しみの対象になる。東京の風景を破壊する存在であると。
たとえば、アウディでチーフデザイナーとして活躍された高名なデザイナーは、「首都高には計画的に建設された形跡は見られず、その無秩序な導線が東京を圧迫している」という趣旨のことを書かれている。
彼は、段階的に現状の首都高を廃止し、22世紀には外濠の内側から高層ビルもなくし、皇居や水辺から緑のグラデーションが広がる、丘と水路の街というモデルを描いてらっしゃる。
私は、アウディのデザインは実に緻密で美しいと思うが、東京をアウディのような街にすることには反対だ。そんな東京ができたとして、みんな喜ぶのか。外国人環境客が大挙押し寄せるのか。
否である。そんなのは東京ではないだろう。
私は先日、数十年ぶりに新宿のゴールデン街に行って腰を抜かした。若い頃はわからなかったが、いま見ると、いかがわしいバーが雑然と建ち並ぶゴールデン街の風景は、ものすごくカッコよかったのだ。超絶クールだった。アウディのデザインよりも。
さらに驚いたのは、ゴールデン街を歩く人間の、半分以上が外国人観光客になっていたことだった。彼らにとって、これこそアメージングなニッポンの光景なのである。
首都高はゴールデン街だ。正確には、高速道路界のゴールデン街だ。
確かにそこには、練りに練られた計画性はない。なにしろ、計画決定から当初区間の完成まで、わずか5年しか猶予がなかったのだから。わずか5年の間に、東京という巨大都市の道路交通問題を一挙に改善するウルトラCを実現する必要があり、そのために練りに練られたルートが、川や道路の上、あるいは運河の底を使うことだった。この無理矢理さこそ、世界に誇る日本の突貫工事、アメージングな東京そのものではないだろうか。
中でも私が愛するのは、江戸橋ジャンクションの風景だ。都心環状線と1号上野線、6号向島線が複雑に絡み合う立体交差を、日本橋川と昭和通りの上空に無理矢理押し込めている。空から見ると、そこには恐るべき無秩序な秩序がある。
江戸橋ジャンクションを俯瞰した映像は、東京を象徴する風景として今でもよく使われる。ゴールデン街も東京だし、レインボーブリッジも東京だが、江戸橋ジャンクションはもっと東京っぽいからだろう。
なぜならそれは、きわめて猥雑な現代建築だから。そういう意味では、世界遺産に指定された長崎県の軍艦島や、今はなき香港の九龍城砦(高層スラム街)にやや近いが、首都高は東京の道路交通の約3割を担う現役の公共建築なのだから重みが違う。
そんな江戸橋ジャンクションも、すでに事実上決定した首都高日本橋付近の地下化によって、一部姿を変えることになる。私は、「首都高を世界遺産に登録申請すべきだ」と主張し続けているが、「東京をアウディのようにしろ」という側の勢力に負けてしまった。無念である。
しかしまあ、それもいいだろう。
江戸橋ジャンクションのすべてが地下化されるわけではない。ジャンクションから西側へ続く区間が急勾配で地下に潜るだけのことで、それはそれで、軍艦島とアウディの合体のような、奇妙な光景になるだろう。私はおそらく、そのキメラのような風景も愛することができる。
ただし、実現するのは、なんだかんだで20年後になろう。できれば、それまで生きていたいものだ。