埼玉の「地下神殿」として名高い、国土交通省 首都圏外郭放水路。その荘厳な景色に魅了された来訪者数は数知れない。2018年8月からは、社会実験という形で新たな試みもはじまった。
とはいえ、施設の性格的にはいざという時に稼働するものの、普段は地中にひそむ防災インフラ施設である。語弊を恐れずに言えば、できるだけ稼働しない方が平和でいいのかもしれない。それなのに、社会に対してオープンであろうとしている。ちょっと不思議な感じがする。
なぜ施設をオープンにするのか。そこにはどんなねらいがあるのか。
そして、この施設をつかさどる“守り人”は、どんな思いを抱いているのだろうか。
記事初出:『建設の匠』2018年10月31日
写真/奥村純一 取材協力/国土交通省 江戸川河川事務所
人がゴミのように見える調圧水槽
今回案内してくれたのは、国土交通省関東地方整備局 江戸川河川事務所 首都圏外郭放水路管理支所の長 康行さん。穏やかで優しげな口調で、“守り人”はわれわれ取材班を地下神殿に導いてくれた。
地下神殿の守り人である長さん。
まずは、サッカーグラウンド下にあるという調圧水槽へ。
この真下に、地下神殿が……!!
2001年に完成した地下神殿。
階段に入った瞬間に、モワッとした湿気を感じた。
階段の湿度は高い……。
温湿度計によれば、屋内の気温は20℃、湿度は75%だ。
それもそのはず、地下神殿の湿度は75%!!
階段を降りるとすぐ、規則正しく並ぶ柱が見えた。いったいどうやってこの柱をつくったというのだろう。
階段からの眺め。
「まず土留めの壁をつくったんです。その中をくり抜くように掘っていって、コンクリートで床をつくって、そこから柱を少しずつ立ち上げていきます」と長さん。
これが地下神殿である。
単体だといまひとつ大きさが分かりにくいので、取材に同行した上司を比較のモデルにしてみた。
……そのスケールがおわかりだろうか。
心が大きな上司でも小さく見える。
「人がゴミのようだ」という『天空の城ラピュタ』のムスカ大佐の台詞を思い出す。
(決して上司をゴミと言っているわけではない)
いざという時はダムの放流のように、この地下神殿にすさまじい水圧で濁流が流れ込むのだろうと思っていた。しかし、それは誤解らしい。
「隣の第一立坑のさらに50メートル深いところに横トンネルの出口があります。そこから水が流れ込んできて、じわじわと水位を上げてきて、立坑の横穴から調圧水槽に流れ込みます」(長さん)
奥に見える立坑から水が流れ込んでくる。
こうして調圧水槽に泥水が流れ込み、水位が上がっていくという。吸水口には格子状のスクリーンが備わっているので、生き物が入り込むこともほぼない(ごく小さな生き物が入り込むことはあるらしい)。
そして水が溜まると、1秒間に200立方メートル、25メートルプール1杯分の吸水力を有するポンプによって、地下神殿から吸い上げられ、江戸川へ放流される。動力源であるガスタービンは、航空機用のそれを改造したものだそうだ。
「洪水が収まって水が流入してこなくなるとポンプの羽根車の高さ以上は江戸川に排水できないので、『ポンプ停止水位』から下に溜まった水は小さいポンプで元の川に戻します」(長さん)
泥水が引いた後には、泥が堆積している。年に3センチ程度堆積する泥は、ブルドーザーで除去するのだそうだ。ブルドーザーはどこから入るのか?
「上部に開口部があるので、そのふたを開けてクレーンでブルドーザーを吊って降ろしています」
除去した泥は堤防工事などに活用されるんだとか。とはいえブルドーザーが出動するのは年に1回。観光施設として見学会のエリアは、毎回、人力で掃除しているそうだ。
ところで水が満杯になると、どこまで達するのだろうか。
「なんとなく跡がついていますよね、あのあたりまでです。上の白い四角い表示のところまで水が行くようになっています」
ここまで水が来るのか……。
長さんによれば、ここの施設全体に一度に溜めこめる容量は67万立方メートル。池袋のサンシャインビルの1杯分ぐらいの容量だ。ちょうどこの通路の下ぐらいまで、雨水が湛えられた状態になる。
ポンプで排出できるので、何度も溜め直すことができる。過去最大流入量1,900万立方メートルを記録したのは、2015(平成27)年9月の台風17号・18号である。そう、茨城県常総市周辺で鬼怒川が決壊し、大きな被害をもたらしたあの時の豪雨だ。あの時は、東京ドーム15杯分に相当する量の水を処理したのだという。
神殿風の柱が建つ理由
台風の当たり年だったと言われる2018年はどうだったのだろうか。
「今年は、1回も調圧水槽まで水が達していないんです」と長さん。今年の台風はこの地域に大雨を降らすことが無く流入量が少なかった、というのがその理由らしい。どおりでコンクリートの床に泥が堆積していないわけだ。「ずっとこんなにきれいな状態というのは、今年が初めて」と長さん。
ニュースを見ていると、年々、豪雨や洪水の被害が増えているような印象を受けるが、「平均で年間7回ぐらいは、施設が稼動するんですが、2017年は5回、2018年は4回なので平均よりは少ない。稼働回数で見れば、明確な上昇傾向があるわけではないです」と長さんは否定する。
ところで、高さ18メートル(2017年3月までお台場にあったガンダムと同じぐらい)の柱は、全部で59本もある。なぜ調圧水槽内にこれほどの数が建っているのか。
整然と並ぶ柱はこんなに必要なのだろうか。
「柱は1本あたり500トンあります。ただ天井を支えるだけではなく、地下水から地面を持ち上げる力が働くので、これがないと天井がポコッと上に浮き上がってしまう。それを抑えるためにこれだけの重さでおさえています」
下にアンカーを打つ、水で常に満たしておくなど、浮力対策にはさまざまな方策があるそうだが、まさかこの柱がそれだとは。驚きである。
この「支え&重し」のコンクリート柱の劣化が進んでいないか、点検は日頃から行っている。「いまのところ、そんなに補修が必要なようなことはない」そうだ。前述の通り、河川のようなすさまじい水圧を受けることもないので、崩れたり折れたりすることもない。
取材当日、見学に来ていた小学生の一団がいた。あまりの大きさにピンときていないようだ。それを見て「意外と大人のほうがリアクションはありますよね。このすごさがまだ理解できていないのかも」と長さんも微笑む。そうするうちに、地下神殿コンシェルジュの掛け声によって、子どもたちは地下神殿の奥に向かって叫んだ。
「さん、はい!」
「ヤ―――!!!!!」
甲高い声がしばらくこだまする。一瞬の間をおいて、「こんなにも大きいんだ!」と巨大さをようやく実感した子どもたちから、大きな歓声が上がった。
スケボー遊びの直下で大きく口を開ける第一立抗
調圧水槽からいったん地上に出て、続いて、第一立坑にやってきた。
らせん階段を下る。
らせん階段を降りるとすぐにあらわれる。
今回は取材のため、一般の人が降りられない通路まで降りることができた。
足元がスーッとする。
これ絶対に怖いやつ……!!
想像以上に怖い。
立坑内には、大きな横穴が口を開けている。上の横穴は調圧水槽に通じ、一番下の横穴はトンネルに通じている。
立坑に空く横穴。ここまで達した水は調圧水槽に流れ込んでいく。
各河川の水位が洪水で上昇すると、堤防にもうけられた越流堤から、自然に立坑に流れ込む。流れ込んだ水が国道16号線地下50メートルを横につなぐトンネル“地下の川”を通じて、第一立坑まで到達。最後に備える第一立抗の水位が上がっていくと、その水が調圧水槽に流れ込む……という流れだ。
各立抗の深さは、69~74メートルだ。NY・自由の女神(46メートル)がすっぽり収まり、東京・浅草寺の五重塔(53メートル)より高く、大阪・太陽の塔(70メートル)よりちょっと高いぐらいである。この第一立抗は72メートル。深い。
緑色になった部分までが水に浸かるとか。深さを測るため、慈悲深い上司をメートル原器代わりにしてみた(階段に注目)。
「水はあのあたりまで達しますね」と長さんが緑色に変わった壁面を指差した。ここに水がひたひたに浸った状況を考えると怖いな、と漏らすと、「万が一落ちても水面で、高さを感じないので意外と怖くないです」(長さん)。もう慣れたと言っていたのに、長さんも怖い時はあるらしい。
ちなみに第一立坑の上はちょっとした広場があり、地元の少年たちがスケートボードに興じているらしい。彼らは知っているのだろうか、スケボーで遊ぶその真下に、こんな深く大きな穴が開いていることを……。ガラス張りにでもしたら、彼らは引き続き遊びにきてくれるのだろうか。
後編へつづく