小室淑恵氏が語る「建設業界の働き方改革」。前編では業界を取り巻く環境について語ってもらった。後編では、「属人性」「ダイバーシティ」「心理的安全性」などをキーワードに斬りこんでいく。
記事初出:『建設の匠』2018年11月28日
小室氏が長時間労働の原因として挙げる理由に、“属人化”がある。
しかし、建設業界のプロが持っている“匠の技”というのは、それが高度であればあるほど、きわめて属人的なもののように思えるのだが……。
そんな素朴な問いを投げかけたところ、小室氏から次のように問い直され、言葉に詰まった。
「そもそも“プロ”って、何なのでしょうか?」
小室氏はこう続ける。
「自分にしかできない仕事をするのがプロではないと思います。本当のプロは、いざというときに絶対にお客さまに対して穴を開けない。仕事だけはつつがなく進むように、普段からそのような環境を整えているもの――定義をそう変えていく必要があります」
建設業に限ったことではなく、ほぼすべての企業(ホワイトカラー含む)で、自称・他称の“匠の技”問題は起きていると小室氏は言う。みなそれぞれ、自分しかできない仕事に誇りを感じるとともに、能力の高さを裏付けるもの(=給与水準の裏付け)になっている。
しかし、それはインフルエンザにでもかかれば、あっけなく仕事に穴が開くほど不安定なものだ。そんなに持続可能性の低いものをプロの仕事と呼んでいいものか? という小室氏の指摘は、至極ごもっともだ。
行うべきは、分業化や複数担当制、可視化ならびに共有化のためのITインフラ整備だ。管理職による人事評価基準についても、「いかに仕事を早く終わらせたか」「低コストで終わらせたか」という属人化しやすいものではなく、「ノウハウを共有させたか」「チームでビジョンを共有し、形にできたか」などを評価する必要がある。もちろん、これらの実現については、意思決定層がきちんと仕組みを整えなければならない。
「そうすれば、ベテランの方の動きも劇的に変わります」と小室氏は力強く言い切った。
これまで多様性の実現、いわゆるダイバーシティというと、「女性も活躍できたらいいよね」「多様な人材がいたら優しい社会で素敵だよね」と、多くの人にとって、どこかふわふわした、絵空事のように捉えられていた。まるで天のご加護を待つかのような……。
しかし「現状はそれどころの話ではない」と小室氏は熱を込めて断じる。
では、建設業界のダイバーシティは……と問うなり「本当に壊滅的な状況です。ダイバーシティは、余裕のある企業だけが取り組むことではありません」と、またしてもバッサリ。
「ダイバーシティがないと、従来の付加価値を超えるようなモデルをいつまでも生み出せない。それはすなわち、『ちょっと材質を薄くして』『ちょっと安くして』『当社は納期を1日短くしました』的な身を削る競争しか残っていない、常にレッドオーシャンを攻めていくしかない。他が提案しないような切り口で、相手にとっては高価値のイノベーションを起こせば付加価値も高くなって、他と競わなくて済みます」
小室氏は前職である資生堂の事例を語る。かつて資生堂の化粧品工場では、最後にシャワーを浴びて帰らなければいけないぐらい油まみれになる工程だった。しかし、女性が工場に配属されるようになると、「油まみれになりたくない」という女性ならではの要望が出る。そこで「A→B→C→D」という工程を「A→C→B→D」に入れ替えたら油まみれにならないのでは? というプランが出され、結果、製品の質に変わりなく油まみれになることもなくなったという。
このエピソードのポイントは、「油まみれになってもシャワーを浴びて帰ればいい」と思う男性には一切思いつかなかった視点だった、ということ。女性たちからの提案で改定された工程ならば、9割を占める「男性社員もシャワーを浴びなくてよくなった」のだ。するとシャワーを浴びる時間もそれまで勤務時間として計上していたので、その必要がなくなり、大幅なコスト削減にもつながったのだ。
「このような事例は実は世の中にたくさんあります。同じ発想の人たちのあいだで何十回議論しても、結局は同じ結論になる。イノベーティブな提案が生まれるには、多様な人がフラットに議論する場が必須です。特に意思決定層に、いかにして多様な人を入れていけるかが重要です」
現場だけでなく、中間管理職、そして意思決定層にまで一定のダイバーシティがなければ、現場で感じたニーズや課題は吸い上げられることもなく、新規提案に盛り込まれることもないのだ。
それでも、どの企業もダイバーシティというと、「“だれでもトイレ”の設置を増やすためにコストがかかる」「コストを上回るだけのメリットがあるのか」など最初の投資面ばかりに目を向けがちである。その最初のハードルを飛び越える原動力とするために、小室氏は講演や著書などでさまざまなダイバーシティ事例を紹介し続けている。
小室氏はこれまで多くの著書で、働き方改革でもっとも改善すべき項目として「長時間労働」を挙げている。長時間労働に加えて、責任が重く人間関係のストレスもあれば、心理的安全性はますます脅かされる。しかし建設業界のような大きな仕事は、“やりがい”を強調することが多い。では、やりがいさえあれば、長時間労働は苦ではなくなるのだろうか。
「普通の人は長時間労働になると、普通は睡眠不足になるので、誰もが怒りっぽくなる。労働時間と睡眠時間は、その人のコンディションを大きく変えてしまうので、労働時間と心理的安全性はほぼ連動していると思ったほうがいいと思います。
では、長時間労働をやめたら、明日からみんな機嫌がよくなって誰もが幸せな職場になるか――そんなことはありません。特に建設業界は慣習として、若い人の言うことに耳を傾けるとか丁寧に教えることなどを、これまであまりやってこなかった。別に悪気はなくても放たれる日々の強い発言は、若い人にとって、きわめてハードルの高いものです」
ここで「いまの若い人は打たれ弱い! 昔も若い時分はもっとボロクソに言われたが、なにくそという思いで耐えてきた。それがやりがいになったのだ」とお考えの向きもあろう。
それについて小室氏は、「かつての人口ボーナス期の良さは、社会全体のステージがエスカレーターみたいに自動的に上がっていったんです。その社会に耐えて立っていると、ステージが上がっていく感覚があった。自分が成長したかのように感じられる社会だったんです」と冷静に分析する。
しかし、いまは時代がまったく違う。
「人口オーナス期は、社会全体がシュリンクしていく感覚があるんです。そこに立っているだけで落ちていく中、自分が『成長しよう』と意識し、行動しないと、自分のいる場所すらなくなってしまう。それが若い人の先の見えない不安感につながっている。つまり、若い人にとっては同じ職場に何年もいても、自分がそこで成長できているかどうか分からない――それが一番苦しいことなんですよ」
現代の職場環境における“心理的安全性”とは、若い人が成長できるように、その未来を一緒になって考えることを意味する。
小室氏は「建設業界においては、若い人が『自分は成長できているな』と実感できるようなコミュニケーションとフィードバックを意識的に行うことが、なにより大切だと思います」と言う。
具体例を挙げよう。前述の新菱冷熱工業では、若手から「報告・連絡・相談」はしっかりするけれど、「怒らないで・否定しないで・助けて・指導して」という要望の頭文字を取った「ほうれんそうのおひたし」を部内会議でベテランの先輩たちに伝えたという。「コミュニケーションをとってもらえている」という安心感が醸成されて、はじめて人が定着する職場になる。
考えてみれば、「相手の気持ちを考えて発言する」のは人間にとってごくごく当たり前のコミュニケーションだ。人は会社でも、学校でも、地域でも、家庭でも、誰かに認められていたい生き物である。建設業界がその例外であっていいはずはないし、仮にそれが「社会の厳しさ」だというならば、その厳しさはいったい誰のためにあるのか、そこから疑うべきではないだろうか。それが成立しない世界では、人が育つはずもない。人がいなければ、どんなに卓越した技も、後世に伝わるはずもない。
さらにコミュニケーションにちなみ、小室氏は興味深いエピソードを披露してくれた。
「某企業で、“朝メール/夜メール”に訥々と『昨日Aさんにこんなことを教えてもらって、すごく目からウロコだった』と書く若手がいました。夜メールはその日に嬉しかったことを書くことが多いんですが、『その夜メールがすごくモチベーションになった』というベテランの方がいたんです。役職にも付かず、あと2年で定年で、『やる気を失ってしまった人』とみんなが見ていた方だったので、みんなびっくりした。彼のさまざまなスキルに対して、若手からの感謝の言葉が夜メールに書かれた日から元気になりはじめて、『いま私、人生で一番やりがいを感じてますわ』と、朝メールに頼まれてもいないのに、自分のスキルや若い頃の現場経験についてコラムを書きはじめたりして。それにみんな『そんな経験があったんですか!すごい方だったんですね!』と返信をして……。
知られざる匠の技術を同僚に披露することが喜びになってくれば、技術の伝承もどんどん進むんです。それを会社として促進する仕組み化を構築するのはとても大切だし、素敵なことだと思いますよ」
「ありがとう」「すごいですね」と伝えるだけの、人間としてごく当たり前のコミュニケーションを、忙しすぎるわたしたちは、いつの間にか忘れてしまっていないだろうか?
いま、建設業界の働き方が見直されているといっても、企業によってまだまだ温度差もある。現在の職場でそれがなかなか進まないことに不安やいらだちを感じている建設パーソンもいるだろう。彼らは何を思って働いていけばいいのか。また個人でできることはないのだろうか?
「これだけ働き方改革が叫ばれていれば、上の立場の人から『休みをとれ』と言ってくれることもある。その時、若い方には『半人前なのに休むなんて申し訳ない』と思ったり、『残業をつけないで、もうちょっと働きます』と、自己犠牲で自分を追い込んでしまう方も多い。せっかく社会全体で働き方改革の波が来ているので、『取っていいんだよ』と言われた休みを、まず素直に、しっかり取りましょう」と小室氏。そして……。
「休んだ時にもちろん体を休めるのは大前提ですが、さらに違う業界の人と会いましょう。いまの自分たちのいる業界はさまざまなことで行きづまっていて、『この業界では当たり前』と言われてきた商習慣で自分たちの首を絞めて、思考停止しているケースが多いんです。
それが違う業界を見たら、『えっ、そんなやり方でできるの?』と驚くような方法が山ほどある。だから自分の友人関係を大事にしつつ、なるべく違う業界の人と情報交換をする。そして外の世界でインプットしてきた情報を、自分たちの働いている業界にもアウトプットしていってはどうかな、と」
小室氏は、さまざまな企業でコンサルティングをして痛切に感じているのは、声の大きな人の意見が通りがちなこと。若い人の声はそれに比べてみれば小さいし、『過去に自分は何回もそれをやったんだ』と言われてしまえば萎縮してしまう。
小室氏はコンサルティングで“カエル会議”“付箋ワーク”“朝メール・夜メール”などを実施している。これらの施策について詳しくは彼女の著書を読んでいただきたいが、たとえば付箋ワークで意見を出していくと、キーとなる意見を出すのは実はたいてい、20~30代のまだ業界の常識に染まってない人だとか。昔の仕事の残骸のようなものに、「そんなものいらない」と言えるのは、若手の特権なのだ。
「もし、いま、転職を考えている人は、一度は辞めようと思った会社なのですから、何を言ったって一緒です。外の世界で触れた『これがいい』と思ったものを『ウチもぜひやりましょう。他が取り組んでいるのに遅れていますよ、損していますよ』と、事例を紹介していったら、自分が慣れ親しんだ職場が、意外にも変わってくれるかもしれない。変わってくれたら、慣れ親しんだ職場にいたほうがいいですよね! 」とにっこりと微笑む小室氏。
「その意味では、働き方改革に関する事例が収録されている書籍を読むのも、とても有効です。特に自分の上長や先輩方が意識するような競合企業の事例を紹介すれば、『えっ、●●建設さんがそんなことに取り組んでいるの?』『○○組も?』『ならば、ウチもやってもいいんじゃない』と話が一気に進む可能性もある。組織にいかに何らかの起爆剤を放り込んでいくかを考えていってはいかがだろう、と思いますよ』
小室淑恵氏は、“最難関”と評した建設業界の未来を本気で心配している。
でも、業界が内に秘めたエネルギーが一気にベクトルを変えることに、期待も抱いている。
現状を変えるきっかけとなるのは、この記事を読んだ後の、あなたのひとつの小さなアクションかもしれない。