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【前編】ケンクラフトのケンさんは今日もミニチュア建機で人々に“幸せ”を売る

子どもの頃、機能的かつ武骨なフォルムと力強い動きを見せる「はたらくくるま」に心をグッと掴まれた経験がある人は多いだろう。しかし、自動車と違い、大人になったからといって、おいそれと乗ったり所有したりできるものではない。

だがミニチュアモデルなら話は別だ。誰もがそんなロマンの詰まったミニチュア建機モデルに愛と情熱を注ぐひとりの男性に話を聞いた。

記事初出:『建設の匠』2018年10月31日

なぜミニチュア建機専門店が生まれたか

東京・秋葉原近くにある「KEN KRAFT(ケンクラフト)」は、道行く人の足を思わず停めさせ、全国の愛好家を惹きつけてやまないミニチュア建機モデル専門店である。

オーナーは高石賢一さん。通称“ケンさん”

ミニチュア建機モデル専門店のあるじというので、ブルドーザーやクレーン車のように大柄で、武骨で頑固そうな人物を勝手に想像していたが、とても物腰柔らかで、にこにこと笑顔を絶やさない人だった。

取材がてら近隣のトラットリアに赴くと、他のお客が「やあ、高石さん」「どうも、こんにちは」と声をかけてくる。お店の人は、「高石さんにつくっていただいたんですよ」とお店とミニカーが並んだミニディスプレイをわざわざ奥から出して見せてくれた。誰からも愛されるケンさんの人柄を感じ取れた。

だからここでは親しみを込めて“ケンさん”と呼ばせていただこう。

さて、そんな彼は、なぜミニチュア建機モデル専門店というニッチなビジネスをはじめたのだろう

「ぼくは大学を出て印刷会社に勤めて製版の仕事をしていたんですが、“平面”の仕事に生意気ながら飽きてきて……。ちょうどその頃、読んでいた自動車雑誌に、タミヤからプロター(イタリアの模型メーカー)に移って設計の仕事をしていた方がつくった、モトグッチというバイクの模型の記事が出ていました。それを見て、ひらめいちゃったんですね。『そうだ、模型の仕事をしよう!』と」

閃いたらすぐに行動したくなり、雑誌の問い合わせ先を見て設計者に電話。「模型の設計をしたいの?」と聞かれて、「はい」と即答した。

「それならば金型から覚えないと。金型屋さんを紹介するよ」「はい、行きます」とまたもその場で返事し、すぐに紹介された模型専門の金型屋で働きだした。当時、弱冠24歳。しかもドがつくほどの文系である。知識も技術もまったくないのに、いきなり模型製作の世界に飛び込んでしまったのだ。

彼が、ものづくりの仕事に没頭した時期だ。

「面白い会社でね、アメリカの模型メーカーから金型製作を請け負っていたりもしたので、ボール盤やフライス盤の操作から金型の磨きまで、何でもやりました。プログラミングみたいなことも専門学校に通って学びました。最後の頃には企画室で都電やトヨタ・ハイラックスの図面などを描かせてもらいました」

しかし、その企画室は解散してしまう。放り出されたメンバー3人のうち、ひとりは模型メーカーに、ひとりは模型の試作品をつくる会社に移った。ひとりに誘われ、「お金をいただいて、モノづくりを覚えているみたいな」状態で試作品づくりに取り組んだ。やがて前者の模型メーカーから声がかかり、転籍。今度は商品企画や組立説明書の制作を行っていた。

その会社で、ケンさんの運命を変える出会いが訪れた。

スワップミートでの出会い

アメリカの模型メーカー・レベル社のミニカ―を輸入販売するにあたり、社長に同行してレベルのシカゴ本社に訪問。仕事でアメリカ! しかも模型メーカーへ。その興奮はいまでも鮮明に記憶されている。

「アメリカなんて新婚旅行でちょっと行きましたけれど、サラリーマンにはそうそう行ける時代じゃありませんでしたし、なにより憧れの地でしたからね」

アメリカの模型雑誌に、スワップミート開催の告知広告が掲載されていた。いわゆる模型・オモチャのフリーマーケットだ。そのイベントに参加すべくあれこれ手を尽くし、ついに、その会場に足を踏み入れた。

「体育館のような建物の中で、出展者数も200程度でしたが、日本人なんて誰もいない。本場のスワップミートに大興奮でした

あまりの面白さを誰かに伝えたくて、ケンさんはイベントレポートを日本の模型専門誌に寄稿した。インターネットもまだ普及していない頃の話だ。

「これを伝える使命が、自分にあるような気がする! と勘違いしたのかなぁ」

とケンさんは照れくさそうに述懐する。

そんなスワップミートに何度も顔を出すうちに、素晴らしく出来のいいミニチュアモデルに出会う。ダンバリーミントという会社の製品だった。2万円以上する富裕層向けの高額なモデルだが日本には輸入されていなかった。ちなみに同時期、建設機械のミニチュアモデルにも出会った。

僕は基本的に、精密な模型が好きなんです。この品質ならば、自分としても納得して世に紹介できると思った。それで、お店をやろうと

会社を退職して、アメリカの古い模型を仕入れては販売していたケンさんは、1996年にKEN KRAFTをオープンした。当初はまだ60年代のアメリカ車のプラモデルを専門とした品揃えであり、ミニチュア建機はごくわずかな取り扱いだったそうだ。

KEN KRAFTは創業時と変わらぬ場所に店を構えている。

ミニチュア建機は何のためにある?

数多あるミニチュアモデル専門店の中で、KEN KRAFTの品揃えは非常にユニークだ。「よそがやっていないものばかり、扱っていた」とケンさん。年に5回ぐらいアメリカへ行って古いプラモデルなどを買い付けして、手づくりでカタログを作って配布する。商品がなくなれば、また買い付けへ……を繰り返すうちに、徐々にお客さんが付くようになってきたとか。「自転車操業どころか、三輪車操業ぐらいでしたけれどね」と屈託なく笑う。

ある時、建機好きだという人物から一本の電話があった。間違い電話だったようだが、当時16万円ぐらいという真鍮製のモデルを紹介すると、「それ、欲しいです!」。この「彼とはその後、長い付き合いになりました。彼がいなかったら、ケンクラフトはこうなってなかったかもしれないな」という電話の主こそ、長野県・伊那市で「はたらくじどうしゃ博物館」館長の土田健一郎さんだというのだから、縁とは奇妙なものである。

ところで当時、ミニチュア建機は一般に入手できるものではなかった。なぜなら建機メーカーがすべて買い取り、ノベルティとしてユーザーに提供するたぐいのものだったからだ。しかしそれが流通しはじめると、模型メーカー側も潜在的なニーズに気づき、少しずつラインナップが増え、精度も上がっていったのだという。

彼もまた、ミニチュア建機の魅力やニーズに気づいたひとりだった。

「アメリカのスワップミートに行った時に僕が感じたのは、『どんな趣味の世界も間口は狭いけど実は奥が深くて広い』ということです。ドイツ製のミニチュア建機を細々と扱っている日本の輸入業者はありましたが、アメリカに行けば、日本で売っている価格よりもはるかに安くて、しかも簡単に手に入る。また、日本国内の有名模型店でさえも、建機ミニチュアは店内の端に3つぐらいしか置いていないし、なおかつ『こういうのは売れないんだよねぇ』と言うんです。ということは、彼らが『売れない』と言うぐらいだったら、僕がこれを扱っても迷惑にならないな、と

そうは言っても、高額でニッチな商品を扱うのは、個人商店としてはかなりのリスク。相当のチャレンジであるという不安や認識はなかったのだろうか?

「……そう言われてみれば、そうかもしれないね」と少し考えた後、「僕は人と戦うのがイヤなの。負けるのがイヤなのかもしれない」とはにかむ。市場のニーズを読んで、売れるという確信があったのか、というさらなる問いにも、今までで一番力強く、言い切った。

「これは売れる、というより何より、“僕自身がこのミニチュア建機が好きだから”だったんですよ。愛なんです、簡単に言うと

1/50スケールモデルを生み出した男

ミニチュア建機を本格的に揃えたくなったケンさん。しかし、ミニチュア建機を市場流通させていない建機メーカーもあった。

日本一の建機メーカー・コマツもそのひとつ。「店でコマツのミニチュア建機を取り扱いたいと強く思って、コマツに直電。すると「偉い人が2人来てくれて、いろいろと話した結果、ミニチュアを分けてくれることになった」そうだ。

コマツのミニチュアはケンさんにとって思い出深いものだ。

ところが、当時のコマツのミニチュア建機はおもちゃっぽくて、正直言ってチャチなものだったという。当時、広告などで「グローバル」というフレーズを多用していたコマツの担当者に、ケンさんははっきりとこう言った。

御社のミニチュア建機は、“グローバル”じゃないんです

「それはどういうことですか?」

「まず縮尺が違います。御社は1/40ですが、海外はみんな1/50です。御社はおもちゃっぽいんですが、海外のメーカーはすごく精密なものを作ります。精密なミニチュア建機をもらった人は、どんな印象を抱くと思いますか。『コマツは模型のメーカーじゃないけれど、模型もしっかり作れる会社なんだ』と思うでしょう。そうすると本物の機械の印象も良くなる。それがメーカーの“演出”なんですよ

コマツの担当者は深く納得して、なんとその場で、翌年デビューする新型モデルのミニチュア建機制作をケンさんに委ねてきたのだ。

ケンさんはさっそく試作機を工場で取材、図面を確認し、写真を撮って、信頼できるドイツの模型メーカーに制作委託を持ちかけた。そして10か月後、ケンさんのイメージ通りの建機ミニチュアができあがった。

「うちですべて検品して、コマツさんに納品しました。モデルチェンジするまで、累計で1万台以上を納めたかなぁ」

この話には後日談がある。そこからコマツを含むすべての日本のミニチュア建機は、すべて1/50になったのである。建機メーカーを動かすほどのエポックメイキングな流れをつくったのは、ケンさんのミニチュア建機への愛とこだわりだった。

「愛はすべての壁を越えますよね。言葉の壁さえもなくなる。海外に行けば、『KEN KRAFTはお前か!』とよく言われるんですよ。それぐらい、アメリカやヨーロッパではうちのお店の名前を知られているみたいだね

ケンさんは照れくさそうに、でも、ちょっと誇らしげに笑った。

誰よりも嬉しそうに商品を紹介してくれるケンさん

後編に続く     

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