”武道の殿堂”として1964年に竣工した日本武道館は、イギリスから来た4人組の若者により思いがけず”音楽の殿堂”ないしは”ロックの殿堂”となった。
竣工当時の日本武道館西正面玄関(写真提供/山田守建築事務所)
そして、2020年。さまざまな用途や価値観に沿うようにアップデートすべく、日本武道館「令和の大改修」は進められた。
改修後の日本武道館西正面玄関(写真/SS Co.,Ltd. Naohiro Ogura)
日本武道の精神、そして事務所創始者の設計思想を守りつつ、短工期で東京2020オリンピックに間に合わせるミッション。その設計・監理において、事務所の後進たちにはいかなる苦労があったのか。そして、彼らはどのような工夫をしたのか。
前編に続き、山田守建築事務所社長の宮原浩輔氏と植松千明さんにインタビューする。
記事初出:『建設の匠』2020年9月29日
調査で分かったレジェンドの設計力
令和の日本武道館のリニューアルは次の3本柱でおこなわれた。
- 安全性の向上
- 快適性の向上
- バリアフリー
くわしくは宮原氏に解説いただこう。
「まず安全性の向上に関して。耐震性能はもう十何年前に補強してあったのでほぼ問題ないだろう、と。ただアリーナの天井は当時の補強では不十分なので、徹底的に直しました」
「いちばん難しかったのは、スプリンクラーなどの消火設備が全館にないうえに、地下2階から地上2階までつながっている階段に、竪穴区画という階段の安全性を守る防火区画がなかったこと。これは現状を大きくいじらずにシャッターを付けて、4つの階段を含んだカタチで安全性を守れるようにしました。どこかで火事が起きても、このブロックの範囲で収まるように」
もし火災が起きた際、煙をどうやって外に逃がすか。排煙に関する規定は竣工当時の建築基準法にはなかったが、当然、いまは対応しなくてはならない。そこであの”玉ねぎ”こと擬宝珠の下部に排煙口を2か所設けたそうだ。
もし火災が起きたら玉ねぎの下から煙があがる(写真/山田守建築事務所)
快適性について――第一にエアコンの増設だ。東京1964オリンピックは10月におこなわれたが、2021年夏に開催される東京2020オリンピックの気候は、当時のそれとは大きく変化している。そして、トイレである。これも日本武道館の需要の変化により、女性用トイレの絶対数が足りなくなっていたのだ。
「日本武道館はそもそも武道の大会のための会場ですが、いまや女性の武道家もたくさんいらっしゃるし、女性客ばかりのコンサートも開催される。そこですべてのトイレを女性用トイレに一時的に換えられるようなつくりにしよう、と」。こうしてできたトイレは植松さんのアイディアが詰まっているのだが、それは後述する。
間仕切りによって切り替えられ、男女どちらでも使用可能なトイレ。色彩にもご注目(写真/SS Co.,Ltd. Naohiro Ogura)
そして最後は現代社会の必須事項、バリアフリー化である。
「なにしろ旧い建物なので、バリアフリー化がいちばんハードルが高かったんです。幸いにして武道館は1階玄関から入るとすぐ観客席で、車いすがそのまま入れる構造になっている。車いす使用者用観客席は、本当は全観客席の2%ぐらい確保したかったんですがね。
ただ、車いす席はつくっただけではダメなんです。設計段階からハンディキャップを持った方の団体にも来てもらってご意見を伺ったら『前席の人が立ったら見えなくなると困るので、席を少し前に張り出させてほしい』などのオーダーをいただきました。そのようにしてバリアフリー化を進めました」
新設された車いす席(150席)
これらはすべて2020東京大会の会場使用のための改修――と思われがちだ。しかし宮原氏によれば、そうではないという。
「そもそもは2013年頃、『(全面建て替えの協議ののち)いまの建物をさらに50年は使えるようにしてほしい』という話から始まったんです。その検討の段階で『オリンピックが東京に決まりそうだ』という話が出てきた。オリンピックをやるとなれば、立候補ファイルで謳っている400畳の練習道場が必要になる。そこで別棟を隣に建てましょう、となったんです」
2018年に着工した中道場(写真はともにSS Co.,Ltd. Naohiro Ogura)
オリンピック開催は前提条件のひとつにはあったものの、あくまでそれは一度きりのイベント。それよりも数十年先を見据えた改修、という方が正しいだろう。
改修工事の工期はおよそ1年。かなりタイトなスケジュールだ。
しかし短工期なら上がいる――他でもない、日本武道館建設時だ。1964東京大会(10月10日開催)に間に合わせるべく、実施設計に着手したのは1963年9月1日、同年10月4日に着工し、1964年8月15日に竣工した。「いまの時代では設計も施工も、その工期では絶対に無理」とふたりとも口を揃えて言う。
新築工事中の日本武道館(写真提供/山田守建築事務所)
「当時の施工中の写真を見ていても、感覚がいまと違うなと思うんですね。相当、マンパワーをつぎ込んでるはずです。いまではちょっと考えられない」
超突貫で設計された日本武道館。……もしかして設計に無理や無茶があって、それが今回の改修であらためて発覚したりしたのではあるまいか……と尋ねると、「それなんですが……」と当時の図面をバッと開く宮原氏。
日本武道館新築時の立面図(写真提供/山田守建築事務所)
日本武道館新築時の断面図(写真提供/山田守建築事務所)
「無理が感じられないんですよ。図面を変更する際は、ゴム印で日付を打っていますね。ゴム印がバーッと並んでいます。どんどん修正しながら、まとめていったんだと思うんですが、相当精度高くやってある。おかしな図面や変な図面があまりないんですよね。トレーシングペーパーに鉛筆で描いているんですが、線がすごくしっかりしています。トレペに鉛筆で強く線を描くと、消しても白く残っちゃうんですが、図面を見ると、そんなところがないんですよ。迷いがないというか、一発で描いている。当時のウチの社員は相当優秀だったんでしょう(笑)」
日本武道館新築時の断面図(写真提供/山田守建築事務所)
そのすごさが垣間見えるのが、山田守が一番こだわったという屋根のラインだ。「まず描き始めるのが大変だなと思いますよ。前の晩に山田守さんが描き、翌日事務所に来て、また直す……ということが何度もあったそうです。CADだったらパラメーターを変えればパッと出るので、どうということはないんですけどね。それを手描きでやるのは……」(宮原氏)
”玉ねぎ”の白い線が残っているのがお分かりだろうか
図面を手描きで描いたことがない、という世代の植松さんも「すごい……」と言葉を失うほどの日本武道館設計図面。「いまでもここまで描く事務所はないですよね、きっと。現地を回っていて、あんな短期間で建てたのだから、そこまで正確につくっていないだろうと思ったら、ほぼ図面通りでした……」
渾身の設計図面の高い精度が手戻りを減らす一助となり、短工期での建設工事を実現させたのではないだろうか。
設計業務も「柔よく剛を制す」
今回の改修にあたって、どんな点に苦労したのだろう。メインで意匠設計を担当した植松さんに訊いた。
「オリンピックのこともあって、ダイバーシティ的なバリアフリーやトイレにおける女性への配慮など、多様な価値観を設計に盛り込みたいと思いました。ただ、現場の職人さんから施工側のみなさん、発注者のみなさんや当社の意匠担当者に至るまで、こちらにもさまざまな価値観や考え方がある。その中でひとつの目的に向かって仕事を進めていくのはとても大変でした」
男女共用多目的トイレ(写真/SS Co.,Ltd. Naohiro Ogura)
間仕切り扉によって男女の個数が調整可能となった(写真/SS Co.,Ltd. Naohiro Ogura)
その際に各方面から湧き出た疑問を書き出すと、以下のようなものだった。
「女子トイレが足りないというけれど、だからってこんなにたくさん要るの?」
「ウォッシュレットはいらないよね? トイレ用の擬音装置って、なぜ使うの?」
「ベビーチェアに赤ちゃんは本当に座っているの?」
「ここにバリアフリー用の手すりをつけるのすごく苦労するけれど、それでも要るの?」
最新オフィスビルや商業施設の新築工事ではいまや当然の概念。しかし今回はあくまで改修工事であり、“武道の殿堂”たる日本武道館にはなかなか馴染みのない概念でもあった。発注者側にはおそらく戸惑いもあったのだろうと推察する。また同じく男性社会の施工側にとってみれば、短工期ゆえに手間のかかる(しかも彼らにとっては理解の範疇を超えている)設備の取り付けは敬遠されがちだ。
それらを納得してもらうことに心を砕いた、と植松さんは言う。
「プレゼンテーションにおいてもひとつ、絵が入るだけで伝わり方も変わってくるので、なるべく絵を描いて入れるようにしました。会社もかなりアプリケーションソフトなどに投資をしてくれて……。
また山田事務所伝統の『詳細な図面をしっかり描き上げる』ことを徹底しました。図面をより詳細に、今回は実施設計図だけで1,000枚以上、基本設計や増築の図面も含めて1,500枚以上は描きました。その枚数はふつうの量ではないと思います」
植松さんは図面と同時並行でパースを描いた
植松さんがそこまで絵を描いたのは、56年前の建設時と同じく工期の短さもその理由である。打ち合わせをしている時間も惜しい状況だったのだ。それゆえ、ていねいに設計図面を描き、念入りな調査をおこなった。
「ビル改修の場合は“基準階”というひとつの基準があって、他の階も構造は同じなので基準に沿っていくだけですが、日本武道館は8分割されたブロックのひとつが、他の7つには当てはめられないんです。しかも約50年分、毎週のように修繕や改修がおこなわれているので、その履歴もていねいに追いながら調査しました。昔の手描き図面もCADでおこして……」
竣工当時の天井(写真提供/山田守建築事務所)
耐震化・LED照明化されたが天井自体はそのまま
日本武道館調査のために360度カメラ「RICOH THETA」や天井裏撮影用のストロボを導入したんです、と宮原氏が口を挟むと、植松さんもそれを受けて「そのような3D機器導入に対しての決断が早いとか、平成初期にいち早くCAD導入・使用に踏み切るなど、決断が早くて新しい挑戦も厭わないのが山田事務所の伝統であり特徴なのかな、と所員としては感じます」とうなずいていた。
想いが建築をつくり、建築が想いをつくる
2019年にはじまった改修工事は、工期のまっただなかでコロナ禍に見舞われた。新型コロナウイルス感染防止のために山田事務所はテレワークを実施、サイボウズやSlackなどのコミュニケーションツールを導入した。
「Slackはプロジェクトごとにワークスペースをつくっていて、所員のあいだでいろいろなディスカッションをしているのがリアルタイムで見えるので、誰かが書き込めば私もすかさずそれを見るようにしています。以前よりコミュニケーションが密になったとさえ思いますね。チャットは当初Skypeで始めたのですが、所員からSlackにしたいと要望がありました。切り替えて大成功です。やはりボトムアップでないとダメだし、いまの時代はあのようなツールがないといけないなという気がします」と宮原氏。
この迅速な英断が功を奏し、コロナ禍でもスムーズな情報共有が可能となった。現場での承認スピードは落ちなかったのだ。山田事務所はかつてはトップダウン型の組織だったそうだが、いまはこのようにすっかりボトムアップ型。所員の声を柔軟に受け入れ、業務に活かす組織だ。
「昔、図面をレーザーディスクでファイル化しようと思って、1,000万の投資をしたんですけど、所員の声も聞かずトップダウンでやっちゃったので結果的に大失敗でした。若い人のほうがITについては絶対に詳しいし、様子も分かる。あの時は先代社長がワケも分からず『なんだか新しそうだから』って買っちゃったら」と宮原氏は笑う。だから伝統や慣習に縛られることなく、スムーズに対応できた。
しかし、さすがに工事の監理業務は在宅で……というわけにはいかない。担当者である植松さんは日本武道館に足しげく通い、日本武道館や竹中工務店と密なコミュニケーションを図っていた。
全室スプリンクラー設置のため天井を改修。意匠は竣工時のクラシカルなものに
「早く決めていかないと工事が止まってしまうので……(笑)。現場では、お互いのモチベーションを保つためのやりとりが必要なのかなと思っています。
『図面どおりに施工するのはものすごく大変だから』と施工側に提案をされて『それだとちょっと意図が違うので』『それで施主さんを説得しても、たいして違わないのでは?』『いや、でも、こっちで』……といったやりとりがあったとして、『どうしても、これでやりたいのでお願いします』の一言があるかないかで、全然、施工側や職人さんもモチベーションが変わるというか……思いを共有するって大切ですよね」
継承されるもうひとつの“レガシー”
そう、植松さんが日本武道館改修の中で気づき、重んじてきたこと。それは”想い”のベクトル合わせだ。
「竣工当時もいまも、この建物は、ひとの想いでできています。ひとが集まらなければ建築はできないし、事務的なやりとりだけでなくそれぞれの立場での想いを共有しないと、みんなが仕事を進んでやってくれない。私たちのモチベーションが現場の職人さんの一人ひとりにまで伝わるという意味で、想いの共有がものすごく大切だと感じました。今後、AIなどテクノロジーの進化が進んでも、ひとの想いでつくるというのは今後も続いていく部分だと強く感じています」
”想い”を大切に――。
そんなエモーショナルな発言をする植松さんが、一転、意外なことを言いだした。一級建築士である彼女は学生時代、全国の学生が競う「建築新人戦」初代最優秀賞を受賞しており、大きな夢と希望を胸に社会に出た。しかしいざ社会に出てからは、あまりポジティブな気持ちで建築設計に向き合えていなかった、というのだ。……それはなぜ?
「バブル期の失敗を引きずっている私の親世代も含めて、上の世代から受け継いだ建物は、とても建設や維持管理にお金がかかっている。それは“無駄遣い”であり、ともすれば”悪”である――テレビなどから、そんな空気を感じていたんです。だから、自分の提案が出来上がればいいものになると思いつつ、提案の実現にはお金がかかる。そんな付加価値の提案すらも”悪”だと思っていて……」
建築設計で大きなプロジェクトに従事するようになっても、メディアで報じられる建設業界のネガティブなイメージが心のどこかに引っかかっていた。しかし、金色の大きな玉ねぎが燦然と輝く建物に携わることで、彼女の気持ちは変わりはじめた。
「50年前の人たちが北の丸公園にこれだけ強いカタチの建物を建てた。強いカタチがあったからこそ、改修しても映えるんです。
『オリンピックが来るからといって建物にそんなにお金を使って……』とテレビでは言っているし、お金をあまり使うのは……という周囲の建築関係者のネガティブな空気に私自身も流されつつあったけれど、『シンボリックなものをつくるのにお金を使う』のは間違っていないんだな、って。お金を使っていいものをつくると、これだけ人が幸せになれるんだというのを見せていただいた気がします。うまく言葉にできないけれど、お金の”正しい使い方”があると信じることができたので、最後まで提案し続けられました」
山田守テイストを感じさせるトイレ窓ガラスや、区画ごとに異なる壁や床の色は、そんな植松さんのアイディアが盛り込まれた最たるものだ。
トイレ窓ガラスブロックを2階屋内から見たところ(写真/SS Co.,Ltd. Naohiro Ogura)
外観イメージを継承しつつ外の光を採り込むガラスブロックをトイレ外壁に採用
北の丸公園のやさしい光を採り入れたトイレは植松さんのアイディア(写真/山田守建築事務所)
「廊下が狭くなるので、窓ガラスブロックをつくって光を入れたほうがいいと思ったんです。『でも、ムダかな』『なければ新たにお金がかからなくて済むし……』『すでに照明もあるしなぁ』と思いつつ社長や上司に見せたら、みんなが『いや、これやるべきでしょう』と。壁の色についても同様の反応でした。色を多用するのが伝統の山田事務所には親和性が高かったみたいです。
方位ごとに壁や床の色を変えることで館内における所在地も分かりやすくなった(写真/SS Co.,Ltd. Naohiro Ogura)
もちろん追加のコストはかかるので、施工側にコストダウンの観点から厳しく突かれます。でもこの事務所は積算の体制もしっかりしているし、これまで公共的な建築を多く手がけているので、時代の流れに影響されず、価値を見出し、大切にしてくれる。宮原社長のように事務所の伝統を守ってきてくれている人がいる。だからこの仕事は、山田事務所じゃないとできなかったなと思います」
あらためて宮原氏にも訊いた。この丸ガラスブロックや窓ガラス、壁の色は植松さんから提案をしてもらって、彼が承認したものだ。
「これまでにない新しいポイントとなるな、と感じました。壁や床の色については、日本武道館さんからは『そんなの必要なんですか?』とちょっと難色を示されましたが、こちらの信念も揺るがなかったですね。どうやったらご理解いただけるのかなと思って、いろいろ理論武装しました」
各所に日本武道館のカタチ”八角形”を盛り込んでいるデザイン(写真/SS Co.,Ltd. Naohiro Ogura)
VIPも使用する地下1階特別室。山田守をリスペクトし、オリジナルの設計に配慮したデザインとなっている(写真/SS Co.,Ltd. Naohiro Ogura)
地下1階会議室。天井の高さが変えられないため、耐震性に影響を与えない範囲でアクセントとしての開口部を設けている
ベテランの心強いバックアップを得て、若手がのびのびとアイディアを発揮できる。その過程で引き継がれていくレガシーとは――。
「日本武道館を調査する最中、その設計意図やつくられた精神を知るにつれて、それがこれまで事務所で教わってきた『分からないことは分かるまで聞きなさい』とか『美しい建築をつくるためには美しい図面が必要だ』という建築設計に取り組む精神が当時から続いていると思いました。建築って、本当につながっているんだなと。
技術や建築に向き合う精神をせっかく感じられたのだから、自分がこれまでやっていただいたことは、(後進のために)私もやりたいと思いました。詳しくしっかりと図面を描こうと思うきっかけになりました」。
植松さんはそう笑顔で語った。
山田守のつくった建築によって、彼の立ち上げた事務所で働く若い建築士が建築士観を揺さぶられる――植松さんの心の変容は、建築そのものの持つ力、そして匠の技術を伝承することの大切さを教えてくれる。
建築家・山田守の精神や技術は、令和仕様にアップデートされ、山田事務所にたしかに息づいている。かくしてそれは、日本武道館増改修という大プロジェクトにおいて見事に活かされた。
山田守建築事務所が今回培った経験は、これからの世代に脈々と引き継がれていくはずだ。そう、この世に日本武道館があるかぎり――。