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旧都城市民会館×菊竹清訓 ―「建設HR」が後世に語り継ぎたい名建築【7】

編集部 2021年11月10日

公共施設とは思えない奇異なフォルムの市民会館

1966年、宮崎県都城市にて竣工した市民会館に、当時の市民は度胆を抜かれた。それはヤマアラシなのかカタツムリなのか、はたまた王蟲(『風の谷のナウシカ』に登場する巨大生物)か……。公共施設とは思えぬ姿かたちだった。

01解体直前に行われた見学会には県内外から400名が集まったとか

地盤が悪い土地、限られた建設費。厳しい制約条件の中で、建築家・菊竹清訓(きくたけ・きよのり)は構造家・松井源吾と協議の上、基礎杭を減らし集中させるため、トラス梁を放射状に並べることにした。鉄骨造の屋根はホールとして求められる音響のスペックを満たしつつ、天井と一体化。きわめて合理的なつくりとなっている。

092階ホールの内部

これには、1960年代に勃興した人口増加&技術発展に応じて更新される都市の成長を説く建築運動・メタボリズムの思想が込められている。鉄筋コンクリート造の下部構造は不変だが、屋根(いわゆるカタツムリ部分)は代替できるようになっているのだ。

04武骨で鋭利でメカメカしい公共施設

市民から愛された「不出来な傑作」

都城市民会館は「中銀カプセルタワービル」や「山梨文化会館」と並び、日本のメタボリズム建築の代表例として教科書にも載るぐらいの建築だった。

だが短期間の設計に無理があったのか、施工段階での不手際があったのか、あるいは監理費用が削られたのか、竣工1年以内には雨漏りする事態に……。屋根=ホール天井のため、大雨の日には遮音性にも難があったようだ。それでもこの異形の建築は市民に愛され、コンサートや結婚披露宴などに使用されてきた。

08時間が止まった楽屋のひとつ

2006年、市中心部に新しい総合文化ホールが完成。40年経った菊竹建築の保存か解体かの議論が起こり、歴史的な近代建築の調査・保存を行う学術組織・DOCOMOMO Japanまで巻き込むも、一時は解体が決定。しかしそこに無償貸与を申し出てきたのはある学校法人だ。市は、サテライト施設として活用したいという学校法人へ20年間貸与することになり、保存を望む市民や全国の建築ファンはほっと胸を撫でおろした。

051階エントランス

しかし、結果的に約束は果たされなかった。学校法人は建物を活用せぬままで、使用者を失った市民会館は老朽化する一方。やがて学校法人は市に返還を申し出て、市は再度市民アンケートを行い、スポンサー企業を募った。事態はふたたび解体へと動きはじめた。

06放射状の扉。木製である

そして2019年3月末、市はついに解体を決断。解体工事に先立つ6月23日、解体前最後の見学会が行われ、7月には解体工事が開始された。いまはもう、跡形もない。

見学会の様子は別途公開する予定だが、まずはこの名建築の最期の雄姿をご覧いただきたい。

07木製サッシ

03南側出入口はいたってシンプル

02在りし日の旧都城市民会館

記事初出:『建設の匠』2019年6月24日

アクセスマップ

データBOX

建物名 旧都城市民会館
発注者(事業主) 都城市
設計者 菊竹清訓建築設計事務所
構造設計 松井源吾研究室
施工者 鹿島建設株式会社
竣工 1966年
構造 鋼構造、低層部は鉄筋コンクリート造
所在地 宮崎県都城市八幡町11−1

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