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旧電通本社ビル×丹下健三 ―「建設HR」が後世に語り継ぎたい名建築【3】

作成者: 編集部|2021年09月10日

丹下健三発案の壮大な都市計画

あなたは「築地再開発計画」をご存知だろうか。あー、あれでしょ。小池都知事が決めた築地市場跡地の活用計画でしょ?……残念ながら、不正解です。それは「築地まちづくり方針」(2019年)。

組み合わされた格子の美しさ……!

名前に仰々しさ漂う「築地再開発計画」のマスタープラン立案は、1回目の東京オリンピックが開催された1964年。発案者は、建築家・丹下健三だ。「広告界のガリバー」こと電通の吉田秀雄社長(当時)から本社ビルの設計を依頼された丹下健三が、ひとつのビルどころか、築地地区全体を対象とした都市計画をデザインしたのである。

エネルギッシュな電通マンに似合う力強いビルだ。いまは誰もいない。

この計画の中では、各ビルが需要や規模に応じて縦横に伸び、それらがさらに空中で横につながっていく都市が構想されていた。電通本社ビルはその巨大ネットワークのワンピースにすぎない。ちなみに「築地再開発計画」は1961年に発表された「東京計画1960」の系譜を継ぐものであり、東京計画1960はさらに東京湾上に拡がっていく壮大な構想だった――。

飛び出した梁の列に底知れぬ迫力を感じる。

モダニズム建築への丹下健三のこだわりが随所に

さて、2021年現在の東京を見ればお分かりのように、両計画はいずれも実現していない。吉田社長の死去や建設費の都合もあり、当初の計画から軌道修正を受けた電通本社ビルが築地の街角にぽつんと建つのみである。それでも、このビルには丹下健三のこだわりが随所に見られる。

力強い柱

力強い柱・その2

モダニズム建築の文法にのっとったビルの断面には、萌芽のような梁の出っぱりが連なる。まるで「モット、ノビタカッタ、ツナガリタカッタ」と訴えているかのようだ。

レ○ブロックのように隣のビルと合体できそう。

解体を待つ「つわものどもが夢の跡」

しかしこのビル、もはや電通の持ちものですらない。電通本社はとうの昔に汐留に移り、グループ会社も退去し、2014年に住友不動産に売却された。住友不動産の「築地一丁目地区再開発」の御沙汰を待つ空虚な箱となってしまった旧電通本社ビル。草葉の陰で丹下健三はなにを想うのだろう。

 

編集部追記:「築地一丁目地区再開発」ではこの電通築地ビルをはじめ、電通築地第二ビル、電通築地第三ビル、電通恒産第二ビルを含めた一帯が再開発される予定。すでに4月より解体工事がスタートしており、電通築地ビルはかなりの部分が仮囲いに覆われている。2022年7月末までには工事完了予定とのことなので、今のうちにこのビルの雄姿を目に焼きつけておきたい。

「つわものどもが夢のあと」な旧電通本社ビル。

 

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データBOX

建物名 旧電通本社ビル(電通築地ビル)
発注者(事業主) 電通
設計者 丹下健三・都市・建築設計研究所
構造設計者 坪井善勝研究所
設備設計者 井上宇市研究室
施工者 株式会社大林組
竣工 1967年1月
所在地 東京都中央区築地1-11