銀座中のどこよりも愛されたマンション
築49年、地上13階・11階建てで140戸(すべてワンルーム)。
銀座には歩いて10分程度だけれど、部屋の広さはわずか10㎡。
それでも、たまに出てくる賃貸物件はだいたい7万円前後――。
エレベーターや階段が備わる2本の塔に、カプセルが固定されている。まるでぶどうの房のよう。
条件だけ見ればお世辞にも良物件とはいいがたい。しかし、ある意味で銀座でもっとも有名なマンションであり、全国の建築好きを惹きつけてやまないマンション。それが、中銀カプセルタワーだ。ちなみに「中銀」は、「ちゅうぎん」ではなく「なかぎん」と読む。しかしその意味は「中央区銀座」なので少しややこしい。
カプセルはすべて区分所有されている。もちろん、外壁もカプセルの一部なので区分所有だ。
銀座での新陳代謝は実現せず
中銀カプセルタワーを設計したのは黒川紀章。1960年にメタボリズム(“新陳代謝”の意味から転じて、人口増加&技術発展に応じて更新される都市の成長を説く建築運動)を提唱した建築家である。
カプセルタワーは彼の理論をきわめてシンボリックにあらわしたもので、基礎構造はそのままに、カプセルは一つひとつが取り外し交換できて、25年ごとにカプセルが交換される想定だった。2021年時点で竣工後50年近く経ったのだから本来2回は交換されていたはず。もっとも、実際のところ、カプセルが交換されることは一度もなかったのだが……。
カプセルタワー玄関表示は一部欠落し、「プ」は「フ」に、「ビ」は「ヒ」になっている。それもまた一興。
これまで施設老朽化やアスベスト問題によって何度か解体・取り壊しの危機に瀕しており、2018年6月には中銀グループから所有者が変わった。ふたたび解体と再開発の話が持ち上がったが、国内外の熱烈なファンたちに支えられ、現在、保存・再生に向けて署名活動などの取り組みがなされてきた。
また、「中銀カプセルタワービル保存・再生プロジェクト」により、当時の趣を残す部屋を見学できるツアーが実施されてきた。土日の昼頃、50分程度の見学が可能だった。
しかし、2021年3月22日。「建て替えを前提に売却決定」という報道が流れた。9月1日には解体工事に着手するのだという。
「昭和時代に描いた近未来」を令和に味わう
現在、「中銀カプセルタワービル保存・再生プロジェクト」により、カプセルを再活用するためのクラウドファンディングがはじまっている。
竣工時の設備維持はさすがに難しく、これまでの居住者によってリフォームされたカプセルも多いのだが、取り外されたカプセルたちは黒川紀章建築都市設計事務所の協力も得て改修され、国内外の美術館等への寄贈や、宿泊施設等に利用される予定だという。
このカプセル移設、実はすでに前例がある。
北浦和公園におかれた巨大なドラム型洗濯乾燥機……ではなく、カプセルの一部。
たとえばさいたま市・北浦和公園の一角に、同ビル1階の展示物で、美術館展示を経て2012年に埼玉県立近代美術館(黒川紀章設計)に寄贈されたカプセルの一室が、ころんと置かれている。このドラム式洗濯機のようなカプセルは、竣工時の雰囲気がきれいに保たれている。
今後、最大139個のカプセルたちは各地にこのようなかたちで、ドラゴンボールのごとく散らばっていく。それはそれでとても喜ばしいことである。ただし、ドラゴンボールのように集められることはないし、ふたたびビルとしての姿をあらわすことはない……。
カプセル内部。ホワイト×ブルーのシンプルな内装が美しい。
幅:208.1㎝、奥行:418.1㎝、高さ:278㎝のカプセルを玄関から覗いたところ。黒川紀章は円形の窓を好んだ。
先述のとおり、2021年9月1日から解体工事がはじまる。しかし、中銀本社ビル・中銀城山ビルの2棟の解体がI期工事として先におこなわれるようで、カプセルタワービル本体はおそらく来春までのあいだは銀座の片隅に建っているはず。
稀代の個性派建築のビルとしての雄姿、見ておくなら本当にあとすこし。
令和のいまこそ、丸い窓越しに1972年時点の“昭和に思い描かれた近未来”を味わっていただくことをおすすめする。
記事初出:『建設の匠』2018年11月14日
※2021年8月時点の事実に基づいて再編集しています。
近代的な汐留高層ビル群と首都高を挟んだ向かい側に、”メタボリズム”の象徴は建つ。
アクセスマップ
データBOX
建物名 |
中銀カプセルタワービル |
発注者(事業主) |
中銀マンシオン株式会社 |
設計者 |
黒川紀章建築都市設計事務所 |
構造設計者 |
松井源吾+ORS事務所 |
施工者 |
大成建設株式会社 |
竣工 |
1972年4月 |
構造 |
鉄骨鉄筋コンクリート造、一部鉄骨造 |
建材 |
外板:ボンデ鋼板1.2 防錆塗料焼付け・ケニテックス吹付け |