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首都高研究家・清水草一コラム【13】釜石でラグビーと高速道路に感動した!

30年ぶりに盛り上がっているラグビー

ラグビーワールドカップが、とんでもなく盛り上がっている(編注:この記事は2019年10月に発表されたものです)。私も約30年ぶりにラグビーに熱中しているが、日本代表の熱い戦いぶりには涙が出る。

記事初出:『建設の匠』2019年10月21日

 

01こんなラグビーの盛り上がりは80年代以来だ(写真/Adobe Stock)

それにしてもこの30年間で、ラグビーの戦術や技術はずいぶん変わったらしい。タックルされて態勢を崩されながら出すオフロードパスなんて、昔はなかったと思うのだが……。久しぶりに見るラグビーは、技術的にも新しい刺激に満ちていた。

30年以上前の80年代も、ラグビーが盛り上がっていた。全国高校ラグビーには、『スクール・ウォーズ』を生んだドラマがあったし、ユーミンも『ノーサイド』を歌った。早明戦を中心とした大学ラグビーも大いに注目されていた。

私は当時週刊誌の記者だったので、大学ラグビーを何度か取材したが、当時ラグビーには、古風で男臭いのにどこか貴族的な、とてもファッショナブルな空気感があった。

そのいい空気感が吹き飛んだのは、ほかならずラグビーワールドカップが原因だったと思っている。87年から始まったワールドカップで、日本代表は負け続けた。1995年の対ニュージーランド戦では、145対17という歴史的大敗を喫した。

ここまで弱いと、『スクール・ウォーズ』や『ノーサイド』のロマンも、コップの中の嵐というイメージになってしまう。その頃から私は、ラグビーを見なくなりました……。

で、日本代表が勝ち始めると途端に熱狂するんだから、大衆とは気まぐれなものです。本当にスミマセン。

高速道路も30年の歳月を経て涙の完成

ところで、高速道路の話でなぜラグビーかというと、岩手県釜石市の話を書きたかったからだ。

釜石市といえば新日鉄釜石。1978年から84年にかけてラグビー日本選手権7連覇を達成し、第一次ラグビーブームの中心にいた。

その後、1989年に新日鉄釜石製鉄所の高炉が停止し、新日鉄釜石ラグビー部も徐々に弱体化。現在はラグビートップリーグの下部に属する釜石シーウェイブスRFCとなっているが、「ラグビーの町・釜石」のイメージは、我々の世代には強烈だ。

ということで、東日本大震災からの復興の象徴ということもあり、12会場のひとつに釜石が選定され、釜石鵜住居(うのすまい)復興スタジアムが新設されたのでした。

そして、ワールドカップ開催に間に合わせるという意志があったのかどうか、釜石までの高速道路も、2019年3月から6月にかけて続々と開通した。

東北道の花巻ジャンクションから分岐する釜石道は、2019年3月9日に全線開通。しかも、既存の東和インターから釜石まで、新直轄方式によって全額税金で建設されたため、料金は無料だ。

三陸海岸沿いに、南は仙台から北は八戸までをつなぐ三陸道も、2019年6月、ごく一部の区間を除いて、仙台から宮古までが開通した。こちらも、仙台寄りの一部を除いて料金無料となっている。

02東北横断自動車道釜石秋田線(国土交通省東北地方整備局Webサイトより)

かつて三陸沿岸は、鉄道でも道路でも、アクセスが猛烈に不便な地域だったが、これで仙台や盛岡から、クルマでなら非常にお安く、かつ比較的短時間で行けるようになった。これは、この地域にとって革命と言っても過言ではないだろう。

三陸道や釜石道の建設計画は、1987年(奇しくも第1回ラグビーワールドカップ開催年)に決定していたが、有料道路としての採算性は絶望的につき、税金によって少しずつ、文字通りの牛歩で建設が進められていた。

その状況を一変させたのが、2011年の東日本大震災だ。両道路は復興道路および復興支援道路に指定され、国が別枠での建設を推進。わずか7年で約400キロもの区間が開通に至った。震災以前は、私が生きているうちに三陸道の全通など不可能だろうと思っていたが、国交省によると、来年度末までには550キロ全線が開通できる見通しだという。

釜石はスタジアムも道路も素晴らしかった

で、今年4月、その三陸道と釜石道を利用して、ワールドカップの会場となった釜石鵜住居復興スタジアムに行ってみた。目的はスタジアムよりも高速道路だったが、どちらも素晴らしかった。

03釜石ジャンクションからE46釜石道へ(著者撮影)

まず三陸道。石巻の北、桃生津山インターで4車線区間は終わって2車線になるが、ここから先は最初から2車線の設計なので、いずれ4車線にする予定の暫定2車線区間と違い、中央分離帯にガードレール等が設置されている区間が長く(全部ではない)、その区間は心理的な安心感が高い。4車線化のめどがまるで立たないまま、樹脂ポールを立てただけの暫定2車線より、こういった完成2車線のほうがはるかに安全だ。

04三陸道は安全な2車線(著者撮影)

三陸道は、沿岸から少し陸側に入ったところを、切り通しやトンネルで通過していくので、町も海岸線もたまにしか見えず、景色を楽しむには物足りない。しかし防災上はこの方が断然優れている。観光したければ国道45号線に出ればいい。私もそうやって、要所で高速を降りて震災遺構を訪ねながら進みました。

そしてスタジアムだ。それは釜石市の中心部から7キロほど北の、釜石北インターのそばにある。三陸鉄道だと鵜住居駅に隣接している。

スタジアムの敷地は小学校と中学校の跡地。震災による津波ですべてが流され、周囲には建物はなく、山と川に囲まれた小さな平原の真ん中に、信じられないほど無防備に建っていた。スタジアムを囲むフェンスもない。

05スタジアムの後ろに山!ヤマ!(著者撮影)

なだらかに築かれた土手を上ると、メイン観客席やその上にかけられた屋根が一望できた。吹き抜ける風が気持ちいい。ああ、なんてサワヤカなんだ! この開放的な雰囲気、ラグビー発祥当時のイングランドみたい……じゃなかろうか? たぶん。

釜石鵜住居復興スタジアムでは、9月25日、フィジー対ウルグアイ戦が行われたが、テレビ中継を見ても、明らかに他のスタジアムとは雰囲気が違った。スタンドには三陸沿岸の小中学生2500人が招待され、みんな小旗を持って応援していた。その背景には山。大きな村祭りという風情に涙が出た。

06釜石はやっぱりラグビーの街なのである(著者撮影)

2試合目のナミビア対カナダ戦が、台風19号の影響で中止になったのは本当に残念だった。予定されたわずか2試合のうち、1試合が中止になるなんて~! またまた涙が出る。

ところで、観客の輸送はどうしたのか。

前述のように、スタジアムは三陸鉄道の駅に隣接しているが、線路は単線で、車両は1両から2両連結。定員は、1両あたりわずか114人に過ぎない。2両めいっぱい乗っても250人くらいか。

07スタジアム近くの三陸鉄道鵜住居駅はこんな駅(写真/PIXTA)

ワールドカップ開催時は、花巻駅から直通の臨時列車も1本運行されたが、4両連結だったので、こっちも500人くらいが精いっぱいだ。1万6020人収容のスタジアムに対して、能力が足りるはずがない。

輸送の主役はバスだった。釜石市中心部や、新幹線の駅がある盛岡、花巻、北上、水沢江刺、一ノ関、加えて三陸沿岸の宮古や盛(大船渡)から、スタジアムそばまでバスが運行された。また、大槌や遠野など3か所にパーク&ライド駐車場が設けられ、そこからもバスで運んだ。たった1試合ではあったけれど、三陸道や釜石道は、立派にその役目を果たしたのである。

今後スタジアムは仮設スタンドが撤去され、6000人収容となり、ラグビーやサッカーの試合も開催しつつ、地域のレクリエーション拠点となるという。244台分の一般駐車場もあるので、普段は自家用車でも行けますよ。

08釜石鵜住居復興スタジアムにはイングランドと同じ風が吹いていた!(著者撮影)

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