「悪の道路建設」が生み出したもの
数年前、道路建設関連で、久しぶりにマスコミを賑わせる事件があった。
山口県下関市と福岡県北九州市を結ぶ「下関北九州道路」を巡って、自民党の塚田一郎・元国土交通副大臣が、山口を地盤とする安倍晋三首相に「忖度し国直轄の調査に引き上げた」と発言したことだ。ちなみに塚田議員の地元は新潟県で、山口県や福岡県とは関係ない。
この発言を受けて、野党をはじめ大マスコミ各社はいっせいに批判を集中させた。塚田議員が非難されるのは当然だが、矛先は下関北九州道路にも及び、「必要ない道路が総理への忖度で造られようとしている」というラベリングが一部で行われた。
記事初出:『建設の匠』2019年4月22日
政治家が権力を使って道路を建設させるという”悪の構図”に対する批判は、2001年から始まった道路公団民営化議論の際に猛威を振るった。あの時は「道路建設=悪」という十把一絡げ状態で、「この道路は必要です」なんて言おうものなら、建設省(現国交省)の回し者扱い。魔女狩りの対象になってしまうため、そういう声を上げる識者は、私の知る限りひとりもいなかった。
道路建設は悪! だなんて汗水流して働いている建設パーソンに直接言えないでしょ
そんな中私は、2002年に刊行された自著の中で、当時建設中だった37路線の高速道路のうち、25路線について「建設続行」「一部建設続行」と判定した。路線ごとに必要度とコストパフォーマンス指数というものを算出して、建設すべきか否かを独断で判定してみたのだ。
ちなみに、その時の建設優先度ランキング上位は、このようなものだった。
優先順位 | 路線名 |
第1位 | 首都高中央環状線 |
外環道東京区間 | |
第3位 | 外環道千葉区間 |
第4位 | 圏央道 海老名-久喜白岡間 |
第5位 | 阪神高速大和川線 |
北関東道 | |
第7位 | 第二東名・第二名神(現新東名・新名神) |
第8位 | 第二京阪道路 |
舞鶴道 | |
東九州道 小倉-宇佐間 |
当時は、これらすべての路線の建設が「悪」と糾弾されていた。それを「必要です!」と言うのは、大波に立ち向かうみたいな感じだったが、幸いなことに私の影響力など微々たるもの以下だったので、ほぼ誰にも相手にされず、よって吊るし上げを食らうこともなかった。
現在は、当時の風潮などどこ吹く風。かつて魔女狩りを行った大マスコミをはじめとして、そんなことがあったことすら記憶していない。首都高中央環状線や外環道の開通は、拍手喝采をもって迎えられた。
首都高中央環状線の恩恵を受けないと決めているマスコミがいるのなら教えてほしい
今回の忖度道路問題に関しても、当時とはかなり反応が違った。民放テレビ各局は、一応紋切り型の塚田議員&ムダな道路建設批判を行ったが、他の大マスコミはあまりそれに追従せず、冷静な姿勢を見せたのだ。「重要なのは忖度の追及ではなく、その道路が必要か否か」という論調も目立った。その通りだ。
「清廉潔白な道路建設」を担えるのは、誰?
今回の忖度道路問題で、もうひとつ疑問に感じたのは、「政治家が地元の道路建設を推進するのは悪なのか」という点だ。
多くの日本人は、いまだそれを悪と捉えている。18年前の道路公団民営化議論の際の「道路族」という言葉が脳裏に焼き付いているのだろう。知人も、「今どきまだこんな話があるんですねぇ」と、呆れ気味に語っていた。「こんな話」とはつまり、あからさまな悪という意味だと推測される。
しかし、これが道路ではなく、たとえば公立の保育所だったらどうなのか。公共設備という点は、道路と変わらないんじゃないか。
現在のところ、多くの国民の認識としては、政治家が道路建設に関わるのは悪で、保育所なら善なのだろう。しかし冷静に考えてみれば、どちらも公共の利益を図るための存在のはず。
代議士が住民の要望を実現させるのが民主主義のはずだが……
仮に、道路建設に政治家が関わるのは悪だとすると、決定権はすべて官僚が握ることになるが、それはいいのだろうか。民主党政権誕生当時、日本中に官僚批判の嵐が吹き荒れて、官僚=悪、官僚がいなくなれば日本は良くなる的な論調が支配的になったが、今はもう官僚は善ということになったのか。
仮に、依然として官僚は悪だとすると、政治家も官僚も道路建設には関われないことになる。その場合、いったい誰が道路建設を計画し決定するのか。
政治家は代議士というくらいで、我々の代表だ。その代議士が、地元の公共設備の建設に一切関われないとなったら、我々は代議士を選ぶ意欲を失いはしまいか。
道路は、基本的には官僚が計画し、政治家が建設を決定するものだ。それは、他の公共設備と何ら変わらない。公共設備を建設するためには、官僚と政治家がともに必要。それが普遍的な行政システムで、他の国々も変わらない。
本当のところ、現在完成している道路の建設は、どういうプロセスを経て決まってきたのかというと、大部分がこうである。
- 官僚が闇の中で計画を立てる。
- 政治家がそれに関わり、決定する。
施工するのはゼネコンだ。談合も日常茶飯事だった。
「なんだそれ! 悪の構図そのものじゃないか!」
そう思われるだろうが、たとえば近年、続々と開通しつつある新東名・新名神なども、この構図の中で計画・建設された。あれって、実際に走ってみて、そんなに悪を感じるだろうか。
逆だろう。特にクルマ好きなら、「ついに日本にもアウトバーンみたいな道路ができた!」と涙が流れるはずだ。私は流しました。
確かに新東名・新名神は贅沢な道路だ。世界的に見て地形がケタはずれに険しい日本の山間部に、アウトバーンよりも勾配やカーブの少ない、片側3車線の高速道路を建設しようとしたのだ。その分建設費は跳ね上がった。建設単価は1キロあたり約250億円。通常の約5倍である。
私は新東名・新名神を走るたびに、「よくぞこんなものを建設してくれた」と感慨に浸る。確かにコストを無視した計画だったとは思うが、これは道路版「夢の超特急」だ。鉄道が新幹線で実現したものを、道路で再現したと言っていい。もしも私が高速道路建設に携わる官僚だったら、別にそれで自分のフトコロが潤うとかそういうことじゃなく、純粋な夢として、こういうものを造ってみたいと願ったことだろう。
「こんな巨大道路は悪だ!けしからん!」とぷりぷり怒って走っている人はどれだけいるのか
新東名・新名神の計画を中心になって推し進めたのは、藤井治芳氏(元建設省事務次官、元日本道路公団総裁)だと言われる。氏は東大工学部から建設省に入省し、道路畑一筋に歩んだテクノクラート。新東名・新名神は、おそらく彼の夢そのものだったのではないかと想像する。
藤井氏は、道路公団民営化議論の過程において、官製談合疑惑に関し猪瀬直樹氏の追及を受け、石原国交相に日本道路公団総裁の職を解かれた。当時は絵に描いたような悪玉だったが、しかし長い目で見れば、我々は藤井氏に感謝すべきかもしれない。
ちなみに、新東名・新名神を含む高速道路建設費の債務は、民営化による経営の効率化もあって順調に返済が進んでおり、計画以上のペースで減少している。