首都高研究家や道路交通ジャーナリストを名乗る私だが、本業は自動車ライターをやっていて、新型車などの試乗レポートなど、クルマにまつわることを主に書いている。
自動車業界は当然ながらクルマ好きが多く、その流れで道路に興味を持つ人も少なくないので、「道路の記事、いつも楽しみに読んでますよ」と声をかけていただくこともしばしばだ。
で、道路の話がはずみ、内容がちょっと深くなっていくと、彼らがよく口にする言葉がある。それは、「いろんな利権があるんでしょうけどねぇ」といった趣旨のことである。
利権。確かに道路建設はかつて利権の温床だったらしい。私はこれまでドライバーの立場で、道路の必要度や渋滞緩和策などについて書いてきただけなので、利権についてメスを入れたことはほぼないが、確かに昔はいろいろあったようだ。
しかし今、このニッポンに、官がらみの利権と言えるものは、果たしてどれくらい残っているのか。
記事初出:『建設の匠』2019年3月20日
例えば警察。かつては、警察に知り合いがいれば、違反をもみ消してもらうことができた。そういう話はしょっちゅう聞いたし、そんなのはアタリマエのことだった。
しかし今、交通違反は、身内の警官同士ですらもみ消せなくなっている。なにせ、バレたらすぐ懲戒免職なのである。そしてなぜか、バレるようになった。バレるようになったのは、同僚が事実を知ってしまったら最後、黙っていたら自分も懲戒免職になるからだ(たぶん)。
警察はお役所の中のお役所で、最も保守的な「官」だと私は考えてきた。警察の時代錯誤な考え方ゆえに渋滞が生まれている部分も多々あり、その保守的な体質には長年うんざりしてきた。ところがその警察内部で、違反のもみ消しひとつできなくなっている(らしい)。
警察が変わりつつあるのは、道路側からもうかがい知れる。新東名や東北道の一部区間で、最高速度が120km/hに引き上げられたが、そんな日が来るとは想像もしなかった。なにしろ警察は官の中の官。冒険を最も嫌う役所のはずだから。
もうひとつの驚きは、オービスの撤去だ。それも渋滞対策のためにオービスを撤去し始めている。警察側はそのようなアナウンスは行わないが、事実だ。
2018年2月、私の長年の悲願であった首都高C2小菅-堀切間の4車線化が完成した。これで、ここを先頭とした渋滞が大幅に緩和されると期待したのだが、当初、効果はかなり限定的だった。
理由は、この区間の拡幅で流れがよくなると同時に、その1キロほど先にあるオービスが渋滞の先頭になったからだった。
渋滞の原因だった車線の減少がなくなれば、当然速度は上がる。速度が上がったところにオービスがあれば、人々はブレーキを踏む。しかもその場所が、ジャンクションの合流のすぐ先、上り坂が終わったあたりだ。ただでさえ自然に速度が落ちる場所にオービスがあれば、絵に描いたような“サグ効果”となる。首都高のような年中混雑している路線では、オービスが立派な渋滞の原因になってしまうのだ。
しかしまさか、拡幅完成のわずか数か月後に、警察がオービスを撤去してくれるとは思いもしなかった。
オービスは、警察にとって金の卵を産むニワトリ。大事な資産であり利権のはずだ。それを、渋滞緩和のためにむざむざ手放すなんてあり得ないと思っていたが、そのまさかが起きている。4号新宿線下り赤坂付近のオービスも、最近撤去された。これも渋滞対策だと思われる。
警察がこうなのだから、国土交通省の頭も当然、柔らかくなっている。
2016年4月、首都圏に新たな高速道路料金制度が導入された。目的地が同じなら、圏央道だろうが首都高だろうが、ルートにかかわらず同一料金にするというもので、具体的には圏央道への迂回を促すためのものだったが、私は正直、こんな理想的な料金が実現するとは思っていなかった。
これを実現するには、首都高とNEXCOの料金体系を統一する必要があった。しかし首都高の料金区分は、当時「普通車/大型車」の2車種。対するNEXCOは5車種。体系が根っこから違う。
NEXCOは全額を国が出資する株式会社だが、首都高は国の他に東京都や神奈川県、埼玉県、横浜市、川崎市、千葉県が出資しており、料金改定にはすべての議会の承認が必要だ。手続きだけでも大変だが、そこにはさまざまな利権がからみあっている……ような気もするではないか。
料金体系を統一すれば、クルマはひたすら最速ルートを選んで走ればいいことになるから、交通量は平準化され、その分渋滞は緩和される。しかし、実現への壁はあまりにも厚すぎるように思えた。
ところが、首都高はいともあっさりと、NEXCOに合わせて料金を5車種に変更し、同時に距離別料金を300円から1300円に改定。夢の料金体系が実現してしまった。
逆に、頭が固かったのはマスコミだ。私のところにコメントを取りに来たNHKの美女アナウンサーは、この料金改定に伴って首都高の距離別料金の上限(普通車)が900円から1300円になることに関し、「これで大変困る会社もあるんです。そちらを今日取材してきました。こんな料金で本当にいいんですか!?」と詰め寄った。
私「いや、全体としては非常に公平で渋滞緩和にも資する料金体系になるんです。一部不利益を被る人もいるでしょうけど、誰もが満足する改革なんてないですよ」
まるで自分が国交省の回し者になった気分だったが、しかし頭の固いマスコミは、この理想的な料金制度の一部だけを捉えて「値上げだ!」と非難した。「どうせ利権がからんでるんだろう」「道路公団は解体しろ!」というような声もネット上に溢れた。道路公団はとっくに解体してNEXCOや首都高(株)になっているが。
私としては、そういった表面的かつ一時的な反発にもめげず、理想的な料金体系への変更を断行した日本の「官」に、尊敬の念すら抱いた。そこには、利権の「り」の字も感じられなかった。
2019年4月15日、首都高湾岸線東行きの大井南入口の名称が「中環大井南」に変更され、湾岸線方面へ向かえなくなった。
これまで大井南入口からの流入車両は、C2方面と湾岸線方面へ輻輳(ふくそう)することで、渋滞の原因になっていた。私はその対策として、大井南入口をできるだけ南側に移設し、交通の輻輳を距離で緩和することを提案していたが、輻輳そのものをなくせばそちらのほうがいいに決まっている。首都高の対策の方が、私の想像力を超えていた。首都高研究家として、参りましたと言うしかない。
入口の行き先を限定するというのは、ユーザーサービスの観点からはマイナスになる。その入口を常に利用するユーザーにとっては、利権を奪われることにもなる。しかし首都高は渋滞緩和という大義を取り、小さな利権を切り捨てた(と言えなくもない)。
昔の首都高はまさにお役所そのもので、決められた通りに働いて何もしないことが美徳、というようなところだった。その首都高が、これだけ変わっている。利権はまだどこかに残っているのだろうか?