これまで、「レインボーブリッジからの景観は日本三景」だの、「首都高を世界遺産に」だの書いたので、私のことを首都高の盲目的なマニア、あるいは崇拝者だと思われたことだろう。
確かに私は首都高が大好きだ。愛していると言ってもいい。しかし現在のように、ほぼ手放しで絶賛するようになったのは近年のことで、それまでは、愛するがゆえに、激しい罵詈雑言を浴びせてきた。
拙著『首都高はなぜ渋滞するのか!?』(2000年、講談社刊 絶版)では、最初の見出しで「ゾウリムシ並みの単純構造」とこき下ろしている。
「1960年代に成り行きで作られた最初の路線は、すべて片側2車線だった。放射線はもちろん都心環状線もすべて片側2車線だ。このあまりにも単純な構造は、いったいどうやって発想されたのだろうか。8本の片側2車線道路がすべて片側2車線の環状線に集まったら、いったいどういうことになるのか、少しも考えた痕跡がない。(中略)これを設計した人間はゾウリムシのような単細胞動物ではないかと思う。」(本文より)
当時の首都高は、まだ中央環状線は東側区間しか開通しておらず、現在に比べれば渋滞量は2倍ほどもあった。それとて、バブル期に比べれば約半分に減少していたのだが、とにかく私は首都高の欠陥構造が許せず、なんとか改善できないものかと素人なりに熟考した。
その結果、
①「都心環状線8の字一方通行化案」
②「中央環状線のボトルネックである小菅-堀切間および板橋-熊野町間の拡幅」
③「湾岸線新木場出口-新木場入口間の片側4車線化」
④「外環道東京区間を環八の地下にルート変更」
⑤「片道4000円(当時)の東京湾アクアラインを1000円に値下げすることで湾岸線や小松川線の渋滞を緩和」
といった具体策を提案したのだった。
記事初出:『建設の匠』2018年12月19日
このうち、③は2004年に真っ先に実現し、湾岸線西行きの渋滞緩和にそれなりに寄与した。⑤に関しては、現在なんと800円(ETC利用の普通車)! 料金を5分の1にしたことで、交通量は約4.5倍に激増し、逆にアクアラインの渋滞が問題になってしまったが、交通転換によって、湾岸線西行きや小松川線上りの渋滞は大幅に緩和された。
④に関しては、石原都知事の英断により、従来ルートのまま大深度地下トンネル化が決定したことで解決。①は、中央環状線が、計画段階から②の欠陥構造を持つがゆえに行ったケーススタディだったが、その②がなんと2018年2月~3月に実現、拡幅が完成した。
書いた本人は、5つの提案のうち、ひとつでも実現するなどカケラも期待していなかったのに、3つも実現してしまったのだ。首都高研究家として、まさかの大勝利である。
2015年には中央環状線が全線開通。現在、首都高の渋滞量は、バブル期の4分の1程度にまで減っている。
これは、数年前にベストセラーになった『学年ビリのギャルが1年で偏差値を40上げて慶應大学に現役合格した話』のようなもので、期待値が低かっただけに、幸福感も大きい。
私が『首都高はなぜ渋滞するのか!?』を書いてからの18年間で、首都高には新たな路線がいくつか完成したが、その筆頭は言わずもがな。中央環状線「山手トンネル」だ。
これは、走れば誰しも驚倒するしかない。大都市地下に建設された、日本最長の道路トンネル(18.2km)なのである。これを完成させた皆様の偉業を思うと、目頭が熱くなる。
ただ、私としては、先に開通した中央環状新宿線(熊野町-大橋間約11km)区間よりも、2015年開通の中央環状品川線(大橋-大井間約9.4km)区間のほうが、マニア心を揺さぶられる。
新宿線が計画された当時、首都高はまだ公団。お役所のようなものだったから、いろいろな面で保守的かつどんぶり勘定で、コストダウン志向も弱かった。
まず、地上の山手通りの幅員を22mから40mに拡幅する必要があったとはいえ、建設費は1kmあたり約1000億円。合計1兆1千億円もかかっている。この金額を見ると、「カネさえかけりゃ、そりゃ凄いものができるだろうさ」という思いも沸く。
ところが品川線の建設時には、首都高は民営化されていた。総工費は約4000億円。建設会社が技術提案をして採用された場合、それによるコストダウンの一部がインセンティブとして還元されるシステムが導入されたこともあり、建設単価は新宿線の半分以下に下がった。
コストダウンのために、品川線は構造も圧倒的にシンプルになっている。ほぼ全区間がシールドトンネルなので、トンネル断面はすべて円。一部が開削トンネルのため天井が四角くて広い区間がある新宿線に比べると圧迫感は強いが、シンプルで機能的だ。
シールドマシンも、品川線は内回り・外回りとも1基づつ、合計わずか2基で一気に掘った。新宿線はシールド区間が細切れだったこともあり、9基も使っている。
途中の出入口は五反田の一か所のみで、1号線、2号線交差部ともにジャンクションを設けずにスルー。3号線から湾岸線まで直結とした。
ルートも、山手通りの地下と目黒川の地下に徹しているため、ミミズのようにくねっている。知らずに走ると「なんでこんなにカーブが続くんだろう」と感じるが、知って走れば涙が出る。
用地買収を減らすため、可能な限り公共用地を利用するというのは首都高の伝統だが、品川線は用地買収がほぼゼロだったというから凄いじゃないか。ちなみにトンネルでも、深度が浅ければ用地買収は必要だ。
そのくねったルートに沿って、シールドマシンは見事に舵を切りつつ正確に掘り進んだ。こんなにクネクネしているシールドトンネルは、世界広しといえども中央環状品川線だけだろう。
こうして2015年に中央環状線は全線開通し、2018年には中央環状線のボトルネックだった小菅-堀切間および板橋-熊野町間の拡幅も完成。18年前、私が「ゾウリムシ並み」と罵った首都高は、文句を付ける余地のほとんどないネットワークになった。
「それは誉めすぎだ。まだまだ渋滞してるじゃないか」
そういう意見もあるだろう。しかし、渋滞のない巨大都市などこの世に存在しない。
都市計画が常に後手に回ったため、東京の一般街路は相変わらず非常に貧しいが、今や東京は世界の巨大都市の中でも、クルマでの移動がしやすい部類に入る。これは、世界初の都市高速道路網・首都高速道路を完成させたがゆえの逆転勝利。文句を言うのはゼイタクすぎる。
いや、かつて文句を付けまくった私としては、現状に文句を付ける人をたしなめたい思いがある。だから今は誉めまくっているのだ。慶大に合格したビリギャルに、「なぜ東大に入れなかったんだ」と責めるのは酷というものだ。