宮大工――「神社・仏閣などの建築を専門にする大工」(『大辞林』三省堂)。まさに大工界の匠である。
編集部の中の人である筆者の父方の高祖父(ひいひいじいさん)は宮大工だった、らしい。「らしい」というぐらいの伝聞レベルであり、筆者自身は宮大工の技は当然見たことがない。かなり身近な存在になりえた筆者でさえ、ほぼ伝説の妖精のような扱いなのだから、一般の人にはさぞかし遠い存在なのではないだろうか。
それであれば心配になるのは、建設業界でさえ人材不足だと言われる昨今、宮大工界はどうなっているのか、ということ。どんな仕事なのか分からなければ、若い人も入ってこないのでは? それで「匠の技」は持続可能なのか? 入ってきたとしても、「技は見て盗め」「〇〇するまで10年はかかる」的な技術継承の方法では持たないのでは――?
疑問が山積みだが、令和のいま、SNSで積極的に情報発信している宮大工集団がいる。彼らに人材採用&育成術を尋ねるべく、京都へ飛んだ。
記事初出:『建設の匠』2019年7月9日
JR京都駅から市営地下鉄烏丸線・国際会館駅まで20分。国立京都国際会館を横目に見つつ、さらにバスに揺られて15分。「ここから先は別料金になります」とアナウンスが流れるギリギリ手前の市原停留所で降りて、さらにそこから30分ほど山道を登ったところに、匠弘堂の工房はある。「しょうこうどう」と読む。
インタビューに答えてくれたのは匠弘堂創業社長・横川総一郎氏と二代目棟梁・有馬 茂氏だ。
左:有馬 茂氏、右:横川総一郎氏
実はこのおふたり、サラリーマン出身である。
横川氏はF1のエンジン設計に憧れて大学で機械工学を学び、家電メーカーに入るもサラリーマン生活になじめず退職、「同じ設計やから、何とかなるやろ」と建築設計事務所に籍を移す。コンクリート打ち放し建築全盛期、下っ端だからとまわってきた社寺建築の仕事に魅了され、独立。「斗組のように同じような部材を何十個何百個とつくって、それを組み上げる。建築の中でも社寺建築ってメカニカルだなと」と嬉しそうに話す。
一方、有馬氏は化学専攻……だったがどちらかと言うと、「自分の手を動かして、10年やったら10年分、20年やったら20年分の技術が身に付くようなやりがいのある仕事がしたかった」という御仁。新卒で就いた現場管理の仕事ではそれが叶わないと知り、「クビと言われるまでがんばろう」と未知なる宮大工の世界に身を投じた。20年間の修行を経て、2代目棟梁として匠弘堂の職人集団を率いるたしかな腕を持っている。
独立以来、横川氏は設計・事務仕事を、有馬氏は宮大工職人としての現場仕事を完全に分離させて、それぞれが責任を持ってツートップ体制でまわしてきた。この体制は18年目に見事に花開き、経営は順調だとか。
この4月には公益財団法人京都高度技術研究所が認定する第4回「これからの1000年を紡ぐ企業認定」に選ばれた。「売り手よし、買い手よし、世間よし、未来よし」の“四方よし”の精神で頑張る企業が認定されるものだ。
「これからの1000年を紡ぐ企業認定」第4回認定授与式
(写真/京都市ソーシャルイノベーション研究所)
審査基準は3つ。経営理念の実践、マルチステークホルダーへの配慮、そしてソーシャルイノベーション。「自分たちのやってきたことはどうなのか、第三者の人に評価してもらおうと思って申請したら、見事合格しちゃったんですよ。つまり、やってきたことが間違っていなかったんだな、と」と嬉しそうに語る横川氏。
ふたりの共通点は、匠弘堂の初代棟梁であり相談役だった岡本 弘氏(2015年9月、享年82歳にて逝去)に惚れこんだこと。それは社名の一字に「弘」を入っていることからもお分かりだろう。独学で社寺建築を学び、若い人材育成に真摯に取り組んだという岡本棟梁の精神を、彼らふたりは受け継いでいるのだ。
さて、古代から都があったこともあり、近畿地方には宮大工が多い。社寺建築だけを専門にして、かつ通年で行っている会社は、京都に10社ぐらいあるのだとか。その中で匠弘堂は、2001年創業のかなり若い宮大工会社である。
宮大工人口はいまどれぐらいなのかを尋ねると、横川氏は「ちょっと分かんないんですよ」と困り顔。
「宮大工って、正確に統計がとれないんです。そもそも宮大工の定義があいまいで、たとえば、いまぼくらは、京都や奈良や大阪などこのあたりは社寺が多いから専業でできるけれど、地方に行くと数が知れている。かつては村にひとつは必ずあったんです。でも、それだけで仕事できるかというと、なかなか難しい。そうなると普段は住宅関係の仕事をして、5年に1回ぐらいは社寺建築の仕事が回ってくる――そんな人たちも宮大工に含めるとなると、宮大工の数の増減というのは……」
なるほど、減っているかどころか、全体の数もはっきり分からないのでは、行政が産業として保護するのも難しいのか。そんな宮大工界のイノベータ―の人材確保術にますます興味が湧く。
まずはどんな人材採用&育成をしているのか。横川氏に教えてもらった。
「昔の職人見習は、親方と一緒に仕事して、寝食を共にして、24時間一緒にいる。それを10年で一人前になったら暖簾分けさせてもらう……昔からの慣習でした。それが世の中の状況にそぐわなくなってきたので、いま、ぼくらがやっているのは、“現代版 徒弟制度”です」
横川氏が「まずは、この仕事と合っているかどうかのマッチングを見極めます」と言いながら見せてくれたのは、採用エントリーシートだ。
「まず8つの項目について最初に書かせて、自己分析させます。まずもって職人としての素養があるかどうか。と言ってもこれは別に宮大工だけではなく、一般の社会人としても、たぶん当てはまる話だと思うんですけれど」と横川氏。サラリーマンを経験しているだけあって、さすがに視座が高い。このエントリーシートを基に、面接や筆記試験を行う。
匠弘堂のエントリーシート
「入社したら、2年間をひとまずの区切りとして、期間雇用契約社員という扱いで仕事に取り組んでもらう。いきなり正社員になったら、もう匠弘堂に入ったことでゴールになってしまう。結婚と一緒ですよ。『いや、ここからスタートでしょ』みたいな(笑)。作業日誌には『きょうはこんな仕事をしました。こんなことに気が付きました』と書かせて提出させ、わたしも一言コメントして返す。まずはそんなルーチンワークからはじめさせます。現場で先輩や同僚と一緒に仕事をするなかで、仕事の見方も作業日誌を通じて教えます。
なぜ半年置きに契約するか。高卒の子だったら、18や19歳なんですよね。そんな若い子たちに署名させて、判子をつかせる責任の重さも少し感じさせながら、ちょっとずつ社会人に慣れてもらうねらいがあります。
これを4回繰り返し、2年経ったところであらためて面談します。『ぼくはこんなに頑張ってきました』という自己評価と周囲からの評価をマッチングして、あらためて『ほんまにどうする?』と意志を確認し、うまくいきそうなら『じゃあ、このまま続けて、この先まで行こう』となる」
「ただ……そんな人ばかりじゃないですよね」と横川氏。
「自分としては一生懸命、頑張ってるんだけれど、まわりの評価が伴ってない人がほとんど。『したい』と『できる』とは全然別なわけで、そういう子たちには、早いうちに転職を促します。
『残念やけど、ここからまた5年や10年、続けたところで職人としては絶対大成しない。できない子には給料をたくさんあげられないし、ぼくらが君の人生を搾取するのも嫌だから、あなたの将来をつぶすわけにはいかない。違う仕事を選んだほうが、たぶん成功すると思うよ。そのほうが君のためになる』と言ってね。しゃべるのが上手なら『営業の仕事の方が向いているよ』とか。まあ、2年もいたら本人も分かりますよ、それは。『やっぱり、そう思いましたか』みたいな感じで……」
人材不足の折、せっかく志願してきた若い人の夢をあきらめさせるなんて――と一瞬思ったのだが、宮大工職人の世界はきわめてシビアだ。有馬氏も「手先が器用なだけでは、難しい」とピシャリ。
「大工は総合建設業的な仕事です。たとえば左官屋さんや屋根屋さん、基礎屋さんなどは大工の仕事内容によって動いていく、いわゆる主流の役割なんです。その主流が『手作業だけをしていたらいい』では、なにも建たない。一人前となったあかつきには、自分の部下の面倒も見ながら全業種も面倒を見て、お客さんと調整をしていく……それが棟梁の仕事」と有馬氏。横川氏も「江戸時代以前の大工は、工人、いわゆる建築職人たちをまとめる“大きな匠”でした。それが明治維新以降、木材を扱う職人になりさがってしまった」と隣で嘆く。
宮大工は俯瞰的に現場を見る「鳥の眼」視点が必要である。そして結果がすべての冷徹な世界だ。有馬氏は静かに語りだした。
「『ぼくは手先が器用なんで』『つくることが好きです』『頑張れます』などは、すべて自己評価です。全国各地からそう思った人間が匠弘堂のような会社に集まってくる。でも、『手先が器用』ははたして学校内のレベルなのか、市町村レベルなのか、県レベルなのか、全国レベルなのか――? たとえ話でよく若い子たちに言うんですけれど、『県レベルで1位獲りたい』と練習していくのか、『オリンピックで1位になりたい』と練習していくのかは、まったく練習量が違う。
わたしたちに求められている仕事は、どちらかというとオリンピックです。オリンピックを目指すという意味では、たかが練習でついてこれるか否かのレベルではとても……。オリンピックで表彰台に登ろうというのは、自分で練習メニューも生活スタイルも考えて、さらにいまからプラスアルファでなにをしていくか、自分でつくっていかないといけない世界です」
ちなみに宮大工になるのに、特殊な資格が必要なわけではない。一般の大工と同様に「建築大工技能士」という資格もあるが、それにしても「社員に『早く受けて資格を取りなさい』と言ったことはないですね。資格取得よりも勉強し続けることに意義がある」とか。
「もちろん、免許ですから訓練すれば早く取得することは可能です。でも適正なタイミングで受けないと知識を結局、忘れてしまう。ある程度の経験があってから得るべき資格を得れば、相乗効果で知識が身に付いていく。意欲を持って仕事していれば、『挑戦してみたい』『あの人たちと同じような仕事がしたい』『もうちょっと自分を高めたい』という欲が出てくる時期が必ずあります。興味が出てくるときが一番、受けるべき時期じゃないかなと。取得時期は自分の判断でいいんです」
歳を重ねて現場経験も豊富だが、腕がイマイチで自律心のない宮大工など育てたくはない。それは社寺建築という文化の継続のため、そして未来に残すべき宮大工の本来の技に雑味を残さないため――。
一見厳しく映る匠弘堂の人材採用・育成の方針は、「匠の技」に真に誇りを持ち、真に敬意を払っているからこそ取れる態度ではないだろうか。
匠弘堂の既成概念にとらわれない試みは、情報発信にも現れている。
「実は会社をつくった18年前(編注:2001年)に、宮大工業界で一番最初にホームページをつくりました。自分調べですが、当時、有名どころの会社はどこもホームページを持っていなかったんです。いまだに持ってない会社もあるけれど」と横川氏は笑う。
ホームページを開設したおかげで、「大工見習いは募集していますか」と若い人から問い合わせが来たり、東京大学附属中等教育学校や筑波大学付属駒場高等学校などの学校から修学旅行の一環として「宮大工さんの仕事を間近で見たいので見せてもらえませんか」という依頼があったり、『探偵ナイトスクープ』(テレビ朝日系)に2回も出たり……。いまもツイッターやフェイスブック、インスタグラムなどのSNSを積極活用するなど、情報発信は怠らない。
「日本を代表する某大企業から、『中堅社員研修で話を聞かせてほしい』という依頼もいくつも来ましたよ。人材教育にはあんな大企業でさえ、みんな社員研修でどう教えたらいいのか苦しんでいるんですよ。嗚呼、なんだ、みんな一緒なんやなあって(苦笑)」(横川氏)
注:みんな大変なんやなあという顔をしてもらいました
Web活用は時代の変化に即している。宮大工の世界では、近隣の社寺に「おたくの瓦、見たところ古いですね。そろそろ替えませんかー?」と飛び込み営業したり、ポスティングしたりする営業スタイルは取らない(しても仕事は獲れない)。基本的には数十年、あるいは数百年も依頼してきた宮大工に頼むのが一般的である。
しかし、中小企業ばかりの宮大工会社は、後継者不足で閉じたり、技を持つ職人がいないなどの理由で縮小傾向にある。社寺が建築の補修の依頼先に困った際、Web検索でヒットするような対策や、認知度を高めるような活動はマストだ。その意味で匠弘堂の戦略は非常に当を射ているように思う。
「時間はかかるけれど、一度でもお会いしたお客さんにも『匠弘堂さん、なんていい会社なんやろ、匠弘堂さんじゃないとダメ』と思ってもらおうと、日々いろいろと考えています。たとえば技術がどこもそんなに変わらなければ、職人の教育面でね。たとえば、うちの会社は公私ともタバコ禁止です」(横川)
匠弘堂の建築現場では、基礎工事中の職人がタバコの吸い殻やゴミを「どうせ埋めるんだから」と土の中に投げ込むようなまねは絶対にしないそう。このような姿勢は、ふたりがはじめから建設業界の「当たり前」に浸かっておらず、一般目線を持っているから生まれる。
それでは、人材不足の昨今、女性や外国人など多様な人材の起用は考えているのだろうか? と斬り込むと、ふたりが難しい顔をして「……うーん」と唸る。
変な誤解をしないでいただきたいのだが、多様な人材を拒絶しているわけではない。実は匠弘堂では過去すでに女性大工を2名ほど採用していて、現在も横川氏の下、設計部門で活躍している女性がいる。ドイツからやってきてマイスターを目指すという人からの「日本の大工のことも勉強したい」という体験希望に対応をしたこともあり、国籍がどうであれ、その能力自体にはまったく問題はないと有馬氏も認める。さすが、彼らはすでにひと通りトライ済みである。
それでも力仕事や遠距離の長期出張もあり、身体に負担もかかる。人生を投じる覚悟が要る宮大工の仕事を女性に背負わせて本当にいいのか? 大相撲と同じように、日本の伝統文化である宮大工の仕事に就くのが外国人ばかりになってもいいのだろうか? どちらもナイーブな話だが、そのあたり、まだまだ試行錯誤かつ葛藤中のようだ。
課題という点で言えば、生産性向上が一筋縄ではいかないのも宮大工の仕事。
「かつてはお寺1軒を建てるのに、現在の3倍、4倍も時間がかかっていたのだと思います。そのなかで技術を養えていたのが、いまは機械化が進んで、工程が短縮に次ぐ短縮で、本当の基礎の基礎まで機械が担っていたりする。ところが宮大工の世界では、基礎基本なしに技術を教えるのは難しい。すると今度は、基礎基本を主体的に習得できない人間に教える時間が必要になってきてしまう」と有馬氏。
たとえば、下の「手斧ハツリ」という作業。1本の丸太を加工するのだが、機械ならば15分で終わる。しかし人の手でやれば、半日かかる。かつて新入りの頃は年がら年中、こればかりやっていたそう。
「いまや半日かかることばかりやっていたら人件費がかかるので、お客さんに高い支払いを求めることになりますが、そんなお金を支払ってもらえるわけがないので、会社はすぐにつぶれてしまう。でも、ここを手で作業することの意味合いもまた、ものすごくある。そこのバランスが難しい」と有馬氏は悩ましげに話す。
注:悩ましい顔をしてもらいました
機械化すれば生産性は上がるが、宮大工の真髄は手仕事。現代宮大工会社において、経営のための効率化と技術の伝承のバランスは、非常に悩ましい問題なのだ。
ところで、匠弘堂の人材育成に関する興味深いエピソードがある。
とある若い職人が匠弘堂を退職し、地元の建設会社で働き出した。はじめて他社のルーズでミスの多い現場を目の当たりにした。そこであらためて、匠弘堂のダンドリのすごさに気付いたのだ。彼はふたたび匠弘堂に戻ることにしたのだという。
社寺建築を扱う宮大工会社の方が、ICT建機も駆使する街の建設会社よりダンドリ力が優れている……まったくの先入観だが、なんだか意外に思える。率直にそうぶつけると、有馬氏は微笑みながら「疲れると、不満が多くなる。やりがいもなくなるんですよ」。……えっ、どういうことです?
「たとえばダンドリする親方が従業員に『おーい、あしたの現場、あそこやで。こんな仕事やってくれよ』と指示するとします。前日に言う人、1か月前に言う人、現場で当日に『ここはこうしてくれ、ああしてくれ』と言う人、ケースバイケースです。昔から職人は、現場ではじめて、その日の仕事内容を聞くことが多かった。大工は道具がいっぱい要りますよね。持ってきていない道具があっては困るから。でも、ひとりのダンドリに任せて動いていくとミスが多くなりがちです。
わたしは、それがものすごくイヤなんです。だから各々に『そんなことは一人ひとりが全部、頭の中に入れろ。人に使われるな』と言っている。使われると、人は疲れるんです。疲れると、不満が多くなる。やりがいもなくなるんです」
「『こんなものがつくりたい』『お客さんはこういうスタンスで、こういうものを求めている』という目標をみんなが共有できていたら、多少の個人差があったとしても、目標に近いものができてくるはず。わたしもサラリーマンをしていたけれど、サラリーマンでも通じることだと思う。
ひとりだけ分かっていて、分からないみんなが指図されるだけで進めていけば、それは最終的に『お金がほしいだけの仕事』になる。それなら宮大工をしなくても、もっといい仕事がありますよ。手仕事でものをつくっていく以上、つくったものには責任を持たないといけないし、やりがいも自分で持っていかなければいけない。そのために、しっかりしたダンドリがひとつの手法だと、わたしは思っています」
まるでベストセラーのビジネス書に書かれた金言のようだ。この考え方は、有馬氏が大工の仕事をはじめた頃、当時の勤務先の社長のダンドリの悪さにみんなが「あれがない」「これがない」「いつ、何をどうすんねん」と文句を言っていたことから生まれた。
「みんな、分からないから、見えないから、文句を言うんです。自分たちがつくるものを少しでもいい方向に向けるようにするには、それの見える化が絶対に必要だと、仕事しながら思ってました。いい仕事をするためには、自分の自由が利く、自分の考えが通りやすい会社をつくること。それがいい建物をつくるためのひとつの手法です」
有馬氏の言葉はシンプルだが、スッと腹に落ちる。どんな仕事も当事者意識を持った準備によって、成果は決まるのだ。
高齢化・過疎化に伴う氏子や檀家の減少により、数十年後には寺や神社の数はいまの半分以下になっているという見方もある。氏子や檀家の寄付や浄財で成り立っている社寺建築にとって、その資財はとても貴重なものだ。
「寄付金や浄財で建てられているのだから、一文も無駄にできません。浄財を満遍なくモノに替えていく作業において、『これぐらいでいいや』『こうしといたらお金が残るやん』という気持ちでは、全然いいものはできない。だから徹底したダンドリによって無駄を省く」
と有馬氏が淡々と話せば、隣で横川氏は熱っぽく語る。
「住宅の場合なら、施主さんひとりを満足させたらいいんですけれど、社寺建築はそもそもお客さんがひとりじゃない。1円でも100円でも出している人がお客さま。すべての人を満足させるなんて、こんな至難の業はないですよ。それでもひとりでもたくさんの人に喜んでもらえるような仕事をしたい。ひとりでもね!」
ふたりが話す様子を写真に収めながら、冷静と情熱を胸に秘めた素敵なコンビだな、と思った。
最後に社寺建築の魅力を存分に語っていただき、この稿を締めくくるとしよう。
「わたしも携わったけれど家電商品は、だいたい10年で壊れるのが前提なんですよ。でも社寺建築の場合はもしかしたら1000年残る可能性もある。1000年残るものに携われるって、こんなロマンがある仕事は社寺建築でしかないと思っています。わたしたちみたいな考えの会社や宮大工がたくさん増えて、みんなでこの業界を盛り上げれば、魅力もどんどん発信されるし、若い人も入ってきやすくなる。世間からの注目も浴びれば、『文化財を守ろう』と寄付金も集まりやすくなる。いいことばかりですよ」(横川氏)
「社寺建築は、一生かけて技術や技能を習得しようとしても、基本的には追いつかないと思っています。それでも続けていく。自分は終わってしまうけれど、世の中は続いていき、建物は残っていく。社寺建築の世界で大事なのは、やはり心の持ちようです。『お金を儲けたいから、かっこいいから』ではなくて、ピュアな気持ちで、仏様や神様に携わらせてもらう――そんな謙虚な気持ちを持ち続けられるような人に、この世界に入ってきてもらいたいですね」(有馬氏)
横川氏がおもむろに言った。
「これ、最近考えた新しいキャッチコピーなんですけれど。『過去と現代と未来をつなぐ仕事が、宮大工の仕事だ』って。どう?」
過去・現在・未来をつなぐ仕事、か――。宮大工だけでなく、すべての建設パーソンにも贈りたい、実にすてきな言葉じゃないか。