「建設の匠」開設一周年の日に公開するはやっぱりこの大人気漫画エッセイ。第7回は「日本武道館のモチーフ」とうわさのあの建物に迫る!!(編集部)
記事初出:『建設の匠』2019年10月31日
【7】日本武道館は大仏殿?
今月の編集後記
みなさまこんにちは。漫画エッセイストのY田Y子です。
日本武道館は、その八角形の姿から、法隆寺夢殿がモデルだとよく言われます。武道館をつくるとき、祖父はたしかに法隆寺の夢殿も見学していたと聞いています。
建物を形にしていく際、いろいろな物からインスパイアされながらイメージを膨らませていくのだとすれば、その中で夢殿の雰囲気も入っていなくもないかもしれず、日本武道館が夢殿であると言われることを、ことさらに否定することもないと思ったりしています。
ただ、「結果的に夢殿を思い起こさせる形になったが、富士山と東大寺がモチーフになっている」と本人が語っていたことを、『美の巨人たち』のVTRで伯父や部下も伝えていたのを聞くことができたので、あまり知られていない武道館と東大寺の関係を検証すべく、今回は奈良まで行って見て来たというわけです。
祖父の建物をいくつか追っていくと、丘の上に佇むような姿のもの、日本の景観の中にふっと浮かんでいる印象のものが多いことに気づかされます。
『美の巨人たち』のVTRでも、部下の方が「山田先生には『建物を見る人の目線を意識しろ』と教わった』と言っていました。
祖父は、岐阜の木曽三川がつくった広大な平野の真ん中で育ちましたが、その風景を愛し、日本の景観に建物で美しさをつけ加える、などというような、見る人々の視線を意識した言葉をいくつも残しています。
近代建築のパイオニア世代であった祖父の目の前には、四角い箱のような建物はほぼ無く、日本の美しい風景が、日本の伝統的な家屋とともに広がっていたと思われます。
そこに、近代的技術で、新たに建物をつくって残すとき、どんなものがふさわしいのかを、考えていた祖父……。
彼も、高台にある二月堂から、東大寺の屋根を見つめたのでしょうか……?
記録には残っていないのですが、私はそこに立ったとき、きっとここから同じ光景を望み、日本の風景になじむ建物のひとつの答えを見出したのではないか、と思ったりしたのでした。
千鳥ヶ淵が桜の名所と言われるようになって何十年経ちます。
そこに緑の屋根と金の擬宝珠を覗かせて、風景にアクセントを与えている日本武道館。
奈良、という日本の原風景もひとつのヒントになって、あの光景が今息づいているのかと思うと、「武道の大殿堂を日本に長く長く根付かせたい」という先人の思いを、ここでも感じられたように思いました。
【こぼれ話】
*鴟尾(シビ)は、もともと漫画に出した写真のような金ピカではなかったそうで、修復されてこのように綺麗になったそうです。このシビが武道館の玉ねぎのヒントになったかどうかは分かりません。
私は研究者ではないので、このあたりのことは、山田守を研究してくださっている大宮司勝弘先生などにまたご意見を伺えたらと思っています。
*武道館の擬宝珠――玉ねぎが避雷針だったかどうかについては、山田守建築事務所の宮原社長に訊ねてみました。『当初から避雷針を兼ねています。ただ、その後避雷針の法令基準が変わり、擬宝珠頂部の突針だけでは建物全体をカバーできず、今回の改修で大屋根の外周先端にケーブルを回す工事を行う予定』とのこと。
また、宮原社長には事前にこの原稿を読んでいただいたのですが、以下のような見解をいただきました。
なお『それが千古の森の中に奈良の大仏殿の屋根として聳ゆる姿にも感動し』についてですが、大仏殿の形や色彩そのものを単に模したのではなく『木々の間から富士の裾野のような曲線を持つ大屋根が聳えるシチュエーションにインスパイアされた』と理解しています。モチーフは富士の裾野の曲線美であり、それを杜の中に実大スケールで実現した大仏殿の屋根で再確認したといったところでしょうか。あくまでも個人的な感想です。
私も祖父は、大仏殿の形などをただ真似た、ということではないだろうな、ともやもやしていたので、こちらの意見がとても腑に落ち、理解がすすみました。宮原社長ありがとうございました。
*『美の巨人たち』の日本武道館特集(2009年)の収録時のお写真をお借りしたので、せっかくなのでご紹介! 武道館の屋根から見ると、創建時はパサパサだった皇居の木々が、今や樹海のようでびっくり!(笑)
日経映像の瀬川ディレクター、今回は大変貴重なものを見せていただきました。お世話になり、ありがとうございました。