建設パーソンが心身に障害を抱えたとしたら、仕事を続けられるのか。あるいは、障害のある人は、建設パーソンとして建設業の仕事に就けるのだろうか?
人材不足と国籍、性別、性的指向などのダイバーシティ(多様性)が話題の昨今、建設業界において“障害”はどう扱われているのか、そしてどう対応すべきなのか。ひとりの建築士を訪ねるため、新幹線に乗り込んだ。
記事初出:『建設の匠』2019年5月21日
2019年度4月期の連続ドラマ「パーフェクトワールド」(カンテレ・フジテレビ系)で、俳優の松阪桃李さんが一級建築士の主人公「鮎川 樹」を演じている。鮎川は事故に遭って脊髄を損傷し、下半身不随の車いす生活を送っている。日本アカデミー賞最優秀助演男優賞を獲った松阪さんの、リアリティあふれる演技が話題を呼んでいるドラマだ。
「彼はここ(名古屋市北区)にも来てくれて、一緒に食事をしたり車に乗ったりしたんですが、私の動きをとてもよく研究されていました」と語る男性は、「パーフェクトワールド」の原作同名漫画の制作にも力を貸した、阿部建設株式会社の代表・阿部一雄さんである。
「身体や足の動きなどは『阿部さんの動きによく似ている』と周りの人にも言われるほどで、びっくりしました」と嬉しそうに彼の演技を評した。
阿部建設の代表・阿部一雄さん
そんな話をしながら、ふと車いすの背もたれを可動し、まるで立つような姿勢に。「すみませんね、同じ姿勢だと褥瘡(じょくそう)ができてしまうので……」。そう、彼は30代で下半身不随になり、以来ずっと、車いす生活だ。
2台ある車いすは、屋内外で使い分けているそう
名古屋の工務店・阿部建設の5代目社長である阿部さんは、小学1年生の頃から家業を継ぐことを意識していた。やがて仕事に携わるようになり、叔父が務める社長の下、最前線に立って仕事を精力的にこなしていた。
30代の中盤になり余裕ができて「若い頃の夢をもう一度」と、趣味として愉しんだオートバイレース。2002年4月、岡山のサーキットで臨んだ引退レースの朝の練習走行で、阿部さんのマシンは転倒した。
本格的なレース用オートバイを駆る阿部さん
「コーナーに入った時、マシンが寝すぎてしまい『これは危ない』と思った。そこから私の記憶はないんですが、観ていた人いわく、マシンごとかなり飛んだそうです」
ふっ飛ばされて気を失った阿部さん。暖かな空気の中、トンネルの向こうでみんなが手を振っているのが見えた。「この人、ぜんぜん目が覚めないんだよね」などという会話が聞こえ、「起きてます、起きてますよ!」と言ったところではっと目が覚めた。それはいわゆる臨死体験だったのかもしれない。
目が覚めたらすぐに気付いたのは背中の熱さ。手が動き、首が回り、そして、足の感覚がまったくない。「覚悟しました。すぐに」。まわりのどの医者に訊ねても、阿部さんが喜ぶような回答は得られなかった――。
岡山の病室で駆けつけた父親と長い時間語らう中、阿部さんはポロッと「車いすの建築士がいても、いいのかな?」と漏らした。父親の答えは「そうだな」。「そう答えてくれて、本当にありがたかった」と阿部さんは語る。そう、この一言が彼の進むべき道を決定づけたのだった。
「車いすの建築士と健常者の建築士が、同じようにバリアフリー住宅をつくったとして、どこか違いはあるんですかね?」
事故から3年ほど経ったある時、出演依頼があったテレビ番組のディレクターに投げかけられた素朴な質問。阿部さんはその時からしばらく、その質問に対して明快な答えを出せなかったという。
しかし今なら言える、「車いす建築士にしかできないことがある」と。阿部さんが重視するのは、“心のバリア”だ。
「バリアフリーでもソフト面とハードの面があって、いわゆる段差をなくしたり、手すりを付けたりするのはハード面。それは健常者の建築士でもできる。しかし自分の場合はソフト面のバリア、いわば心にできるバリアをはずす、“心のバリアフリー”ができる建築士だと思っています」
実は、阿部さん自身にも心のバリアを感じた経験がある。事故から1年ほど経って社会生活に復帰した頃、子供の授業参観に車いすで行こうとすると、妻に「車いすの父親なんて恥ずかしい!。子供の気持ちになって考えてよ」と言われたのだ。結局、授業参観には行けなかった――。
「妻は自分がそう言ったことを、いまは覚えていないんですけれどね。これも心にバリアができちゃうから。生活が一変して、『こんなはずじゃなかった』と思うのは本人だけではない。家族も想像もしていなかったこんな事態にじわじわと参ってしまって、心がシャットアウトしてしまうんです」
現実を受け入れ、リハビリにいそしむ障害者当人より、実は家族のとまどいや負担は見過ごされがちだ。これまでの生活とのギャップに疲れてしまうことが多いのだという。その後も続く生活のため、家族と住む家づくりのために、家族の心のケアにも取り組む必要があると阿部さんは説く。
仮に事故に遭ったことによって、ひとりの若者が車いす生活になったとしよう。
「勤務中の事故だったけれど労災になるの?」から、「この子は結婚できるの?」「どうやって収入を得て、これから生活していくの?」「私たちの生活はどうなっちゃうの?」まで、家族の頭の中にはたくさんの疑問が湧いてくる。しかし、ソーシャルワーカーやケアマネージャーに聞けば病院内のことや手続きのことは分かっても、「社会復帰後の生活をどう過ごすか」までは分からない。当然、不安はふくれあがる。
病院勤務の理学療法士(PT)や作業療法士(OT)は、病院という大きな空間内でリハビリに携わり、その中で患者を捉えている。しかし、障害者各々が自宅に帰ってからのそれぞれの住宅事情までは守備範囲でないのが現状だ。そんな病院から社会復帰を急がされる一方、バリアフリー対応の住宅改修のために、建築士や工務店からは仕様決定を迫る連絡が続々来る。わずかな期間中に家族にはたくさんの課題が降ってきて、知識もなく不安なまま、決断を迫られる。
こうしてできるバリアフリー住宅は、手すりひとつ取ってみても、本当にその障害者のためになっているか疑わしい場合が多い、と阿部さんは指摘する。そこで“バリアフリー・コーディネーター”を名乗り、家族の心のバリアを外すのをライフワークとすることに決めたのだ。その活動の詳細については後述する。
さて、本題である。
仮にドラマのように障害者が建築士を目指すとしたら、どのようなハードルがあるのか。すると阿部さんが力強く即答した。
「ハードルはまったくない、と思います。どんな職業でも同じだと思うんですが、自分がやりたい仕事があると思えば、なんらかのハードルがあります。それを越えていく必要がある。だから自分がやりたいと思えば、なんでもやれると思います」
建築士の場合、仮に障害を持っていてそれが脳性まひでも、いまはパソコンで図面を描いたり文章を書いたりできる時代。だから手を動かせるのであればそれほどハンディキャップにはならない、というのが阿部さんの見立てだ。「現場に出るのは厳しいかもしれないですが、少なくとも設計やデザインにおいては、問題なくできる気がしますけれど」。
現場と言えば、ドラマの中でこのようなシーンがあった。「障害者が建築士なんてできるのか」と進路決定に悩む若き日の鮎川に対し、建築設計事務所代表の渡辺(木村祐一さん)は「現場だっておぶってもらえば行ける」という趣旨の話をしていた。実際にそんなことできるのか、と思うかもしれない。しかし論より証拠、阿部さん自身もおぶってもらい、現場をまわっていたのだ。
建設現場の視察はおんぶしてもらって行う
阿部さんいわく、「建築士」とは、設計と工事を一貫して見られるかつての大工の棟梁のような存在だった。それが効率化を進め分業化が進んだせいで、俯瞰的に工程を見られない建築士や現場監督が生まれてしまい、いいものができなくなったのだという。
「昔は大工の棟梁が自分で街に自転車で出てお客さんと話をして、『あそこのおばちゃんがどうやら家を建てたいみたいな話をしていたよ』と聞けば営業に行っていた。そして図面を描き『こんな間取りでどう?』と提案し、見積もりして、自分で建て、アフターケアまで行っていた。これが建築士の本来の姿だと思うんですよね。建築士は最初から最後まで全部を知っていなければいけないし、工事現場を知らないなどというのはダメだと思う」
だからおんぶされても現場へ行くし、原木を切る現場を見たり、伐採され乾燥状態の木をチェックするため、山の中までも車いすで立ち入る。いいものをつくるためなら、ハンディキャップを理由にしないのが阿部さんの哲学だ。「できないことはない」という精神で車いすで富士山に登ったり、車いすマラソンにも出場したりもする。
下半身不随でもチャレンジングスピリッツは失っていない
過度の分業をやめ、「年間棟数は少なくてもいいから、みんなが営業も設計も現場も見れるようにしていこう」という方針に切り替えている阿部建設。ただ、阿部さんのようなタフさを障害の有無に関わらずすべてのスタッフが持っているわけではない。矛盾するようだが、バリアフリー住宅の設計だけに特化した建築士がいてもいいのでは、とも考えている。それには「チームづくり」が必要だ。
「当社も最近そのような体制になってきたのですが、建築士は住宅設計だけに取り組み、インテリアはインテリアコーディネーターに任せ、図面を描くのはCADオペレーターに……とチームで設計していく。車いすは現場や遠距離移動にハンディを抱えるわけですが、それはチームの他の人に担ってもらう。そうして成果の大きな仕事につながるようなやり方が車いすでもできるんじゃないかなと。だからハンディキャップがあっても専門分野をつくり自分の強みがあれば、これからの若い人たちでも問題なく建築業界で働けると思います」
裏を返せば、チームをつくれない1~2名の個人設計事務所で、障害を抱える建築士が働くのは難しいかもしれない。阿部さんも「劇中の渡辺設計事務所の設定でも、所員が何人かいますよね。あのように中堅より上の規模じゃないと、(障害者を)雇って活かしきれない感じはします」とひとりの経営者としての現実的な意見を示してくれた。
いまは設計の仕事の多くを育成のためにスタッフに任せ、自身は主に障害者宅の設計を担うようにしている阿部さん。事故の前、会社をぐいぐいと牽引していたスタンスとは大きく変わった。彼は「神様が『おまえ、少し歩けなくなるぐらいがいいよ』と思ったのかな」と苦笑しながら話す。
「『失礼だけど、阿部さんは障害を持つようになって、よかったね』と、昔から自分を知っている人たちによく言われます。事故で障害者にならなければ、たぶん自分のおごりのせいで、人が付いてこない会社になっていた。きっと、会社がなくなっていた」
ややもするとスタンドプレー気味だった阿部さんは、みずからが障害者となり、誰かの助けがないと一棟の家づくりも成し遂げられないことを痛感した。近年はバリアフリー対応の福祉施設の設計を手がける際も、それを成し遂げるために自分が配慮し、誰かの手を借り、協働することの大切さを学んだ。それが結果的に、阿部建設の経営上の個性にもなっている。
そんな阿部さんがいま注力しているのは、小・中規模の障害者施設のユニバーサルデザイン(UD)化だ。法律によって「障害者のバリアを除去する」バリアフリー化は進んでいるが、意外なことに「障害の有無などに関わらず多様な人々が利用しやすいよう生活環境をデザインする」ユニバーサルデザインは、まだまだ採り入れられていない。
実は役所の単年度主義の弊害で工期が圧縮されるなどの要因で、体裁こそたしかに満たしつつも、障害者はもちろん、利用者全般のことを真に考えていない施設が多いのだそうだ。
そこで阿部さんは障害者施設のUD化を目指し、「一般社団法人バリアフリー総合研究所 UD-ラボ 東海」を立ち上げた。立ち上げに際しては、20年前から行政とタッグを組んでバリアフリー・アドバイザー派遣などを行っている一般社団法人バリアフリー総合研究所(石川県白山市)を訪ね、「のれん分けしてほしい」と頼んだ(大歓迎されたそうだ)。つまり、全国で2例目である。
「UD-ラボ 東海」は障害者施設建設にあたって障害者側と役所の間で意見の対立が起きる際に、建築のプロ視点で、あるいは障害者視点を伝える通訳として、両者のあいだに立つ。これはきっと、彼のライフワークになるのだろう。
阿部さんはたしかに不幸な事故によって、大きな障害を抱えた。「パーフェクトワールド」でそのまま描かれているように、現在までも多くの苦悩や葛藤があったはずだ。しかし、彼は下半身の感覚を失う代わりに、健常者とは別の視点を獲得した。建築士として、会社経営者として――。
阿部さんの穏やかな笑顔の裏にある、建設パーソンとしての情熱と覚悟を感じずにはいられなかった。そして思う。建設業界において、阿部さんのような優しさと現実性を兼ね備えたまなざしは必要不可欠だと。
取材協力/阿部建設