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【前編】日建設計会長・亀井忠夫氏は「パッションと調整力」の両輪で世界最大級の設計事務所を牽引する

時は1900年。飛行船ツェッペリンがはじめて空を飛び、近代オリンピックはまだ第2回目、ノーベル賞は創設まであと一年待たなければならない。そんな年に、日建設計(当時は住友本店臨時建築部)は産声を上げた

いまや売上は420億円以上(2018年決算結果)、1,927名の社員のうち、一級建築士は実に878名。組織設計事務所としては日本一の規模。それどころか、世界でもトップクラスの規模だ。

しかし、どれだけの一般人が、日建設計を、いや「組織設計事務所」を知っているだろう。テレビや新聞・雑誌で広告展開しているわけでもない。かくいう筆者も正直なところ、このメディアに携わるまで組織設計事務所というカテゴリを知らなかった。

組織設計事務所は建築設計以外の事業を拡大していく中で多様な人材を確保していくためには、建築を学ぶ学生や建築学部・学科を志望する高校生、さらに建築以外の専門の人にまでアプローチしていかなければならない局面に立たされている

そんな日建設計会長の亀井忠夫氏(※本インタビューは2019年の社長在任中に実施)に、「建築設計の匠の技」の持続可能性と、これからを担う建設パーソンへの想いをうかがった。

記事初出:『建設の匠』2019年8月28日
写真:髙橋 学(アニマート)

 

ものづくり好き少年が建築設計の道を選んだワケ

粘土細工やプラモデルなど、ものをつくることに幼いころから興味がありました。小学生のころは自動車の絵をよく描いていて、自動車をデザインする仕事に就くことも考えていました。あるとき、友達の家を見に行ったんですが、そこが一般的な住宅ではない、個性的な住宅で……。それが印象に残っていたんでしょうね、大学を受験するときに『建築をやってみよう』と決めました」

潜在的にものづくりに関わっていきたいという想いがあった」と語る亀井氏だが、志したのは自動車のエンジニアではなくデザイナー、建築も実際につくりあげる職人ではなく、アイディアを描き出す建築家というかたちでの参画だ。

大学院の修士課程を修めたあと、若き日の亀井氏を待ち受けていたのは就職のいくつかの選択肢である。ゼネコンなのか、役所なのか、デベロッパーなのか、それとも設計事務所か――。

設計事務所といっても、ひとりの主宰者が取りしきる個人設計事務所もあるし、日建設計やゲンスラー、スキッドモア・オーウィングズ・アンド・メリル(ともにアメリカ)のような組織設計事務所もある――亀井氏は後者を選んだ。「組織のほうが自分にはやりたいことができるだろう」と思ったからだ。

「アトリエ系設計事務所でひとりの主宰者に従事すれば、その主宰者のやり方を全部学べる良さもありますが、わたしとしては多様なプロフェッショナルのいる組織に興味がありました。その点、雑誌などで見ていた日建設計という組織は、わたしが目指すものに近いものをつくっていましたし、海外の組織事務所とも共通するんですが、デザインをする人だけではなく、構造や都市デザインなどさまざまなタレントが在籍し、協働してプロジェクトに取り組んでいる印象を持ったんです」

スター建築家を目指すのではなく、いろいろな人がいる組織設計事務所で、協働して大きなプロジェクトを実現していこう。亀井氏はそう決心した。

ユーザーの期待を超えるのが日建設計の仕事

さて、ここまで読んで、亀井氏はどんな気質の持ち主だとお思いだろうか? 日建設計でリーダーをつとめるのだから、さぞエッジの効いた、いや、ややもするとクリエーター気質(しかも神経質)なのでは……という畏れに近い予想はいい意味で裏切られた。とても柔和で、物腰やわらか。初対面の筆者のぶしつけな質問にも、しっかりと耳を傾けてくれた。

この高いコミュニケーション力こそ、日建設計の、亀井氏の武器なのかもしれない。

亀井氏が入社した1980年代、全国の企業がこぞって研究所を建てていた。彼自身も午前と午後で別の研究施設の竣工式に出席するぐらいの忙しさだったという。そんな中で学んだのは、調整力だ。

「実際に使用される研究者の方と、建築主としてお金を出す立場の方、それから管理する方、大きくはその3つの立場の方がいるわけです。研究者は自分たちにいい環境をつくりたいとどんどんおっしゃる。お金を出す方は予算を絞ってくる。管理側はファシリティ管理の視点で見る。それぞれがそれぞれの立場で矛盾したリクエストを出されるので、それを調整していくのも、こちら側の役割

また設計者は設計者のほうで、『もっとこうしたほうがいいんじゃないか』と設計者として表現したいこともあるから、それらをいかに折り合いをつけていくか、ですね」

亀井氏いわく、「ユーザーの要望を満たすことがまず大事」。しかしそれだけではプロの仕事ではない。「それだと70点か、及第点」なんだそうだ。

「さらにわれわれなりの新たな視点で提案して、ユーザーが『そのほうがもっといい!』と思われたとき、初めてわれわれの価値が出てくるんです。3つの立場の異なる視点からの要望が、わたしたちの提案で全部解決できればみなさん、ハッピーなわけです。どこかひとつを抑えすぎたり、最後までどこかにしこりが残っていたりすると、竣工後にちょっとしたことでもクレームが来るようになる。いい関係をつくり、いい提案で解決することがわたしたちの役割です」

組織設計事務所が担当することが多い大きなプロジェクトではステークホルダーが多くなる。複数の異業種の企業がかかわることもザラだ。大変な調整能力が必要とされるのは言わずもがな。だからといって、バランスを取ることに終始するのではなく、さらに期待を超える結果を創る。……これはどんな仕事でも当てはまりそうな話である。

ただ、90年代前半までは設計者側主導で進められたものが、やがてクライアント側にも建築設計を専門とするメンバ―が加わるようになり、クライアント側主導での協議が増えてきたという。要望や調整、確認が多くなれば、設計事務所側の仕事は膨れあがり、忙しくなる。

かつては馬車馬のように働き、「学生のときから製図台の下で寝ていましたから、『ここで寝ろ』と言われれば、どこでも寝られる」と話す亀井氏。彼自身は学生時代からしごかれてきたから耐性はあるそうだ。

しかし2019年のいま、そんな働き方や価値観を押し付けたら、誰も入社してくれないだろう。では、亀井氏率いる日建設計が考える、“次世代の建築設計の匠”とその働き方とは?

日建設計で求める人材像とは

「いまの採用活動においては、特に女性か男性かとか、国籍がどこかとか、出身大学はどこかなどということもまったくない。まずその人の能力を見て、その人はなにが得意で、どんな人なのか。その点で考えています」

以前に別メディア「建設の匠」でインタビューした畑島 楓(モデル名:サリー楓)さんは、2019年春から日建設計の NAD(NIKKEN Activity Design Lab)に所属している。別にトランスジェンダーだからという理由で採用されたわけではない。能力をフラットに評価したら、たまたまMTF(性自認が女性)という個性を持っていた――というだけの話だ。

こうして日建設計は、保守的な建設業界内において結果的にダイバーシティが進んでいる。それでも亀井氏は「女性社員の比率はまだ全体の25%ぐらいだから、(比率が)そんなに高いとは言えない」と冷静に分析するが……。

ただ日建設計の看板を背負うだけに、生半可なスキルではプロジェクトを担うチームの一員として物足りない。スキルはやはり重要――そのせいか、設計部門の新卒社員はポートフォリオの良し悪しなどで合否を決めがちだ、と亀井氏。「(採用の)尺度がなかなか難しい」とも漏らしていた。

では、シンプルに彼個人の考えを訊いてみるとしよう。亀井氏は、どんな人と一緒に働きたいのか

「まず話がきちんと通じる人ですかね。わたしたちの事務所は扱っている分野も広いし、いろいろな役割の人が必要なので、『この人はどこの部署だったら、うまく当てはまりそうか』とか、そういうことは見ます。同じようなタイプの人ばかりいても仕事にならない」

スキルが最初はなくても伸びそうだとか、地道にディテールを詰めていけそうだとか、対外的にコミュニケーションがすごくうまくできそうだというような可能性を重視するそうだ。逆に言えば、いかに能力が高くても、個人プレーに走りそうなタイプはNGだとか。やはりチームの話、コミュニケーションの話に落ち着く。これからの組織設計事務所はダイバーシティが不可欠なのである。

後編に続く     

 

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