建設現場をドローンが飛び、ロボットが現場を巡回するようになった。平成から令和へと元号も変わり、建設業界にもイノベーションの波が押し寄せている。
これからの建設業が、現場とICTの協調の時代になることは間違いないが、こんな時代が来るとはほとんどの人が予想していなかっただろう。これまで、建設業界はものづくりを大切にする業界であり、革新の波が最初に寄せるところではなかった。
ところが、何十年も前から、建設業界において、発想力やアイディアを武器に勝負してきた起業家がいた。ベステラを経営する、吉野佳秀社長だ。これまで、常識をくつがえすようなプラント解体の方法を発明し、業界のスタンダードを何回も塗り替えてきた。
「考えない会社は、だめですね」。インタビュー中、吉野氏はさらりと言った。解体手法、経営、世の中の流れなどを、彼は常に考えている。いま手がけているのは、国家的な課題に向けた準備だ。
そんな吉野氏、解体業のイメージから想像がつかないほど、美しいものに対する感性が高い人物だ。「美」の観点から解体現場について語るとき、彼の口からは、ある意外な言葉が飛び出した(くわしくは本文を読んでいただきたい)。
現在79歳。プラント解体のトップランナーとして、ひとりの経営者として。彼はいま、どんな視点で、未来を変えていこうとしているのだろうか。
記事初出:『建設の匠』2020年1月29日
文・写真/梶川知子
ベステラの社長室には天井にまで届く大きな本棚と、たくさんの本がある。そして、壁には風景写真。まるでベンチャー企業のオフィスのような、個性的でラフな空間。そんな環境で、吉野氏は仕事をしている。
「この本は、みなさんに読んでいただこうと思って置いているんです。『良かったら持って行ってください』と声をかけることもありますよ」。彼いわく、たまに帰ってこない本もある、とか。確かに、本は話の糸口としても最適かもしれない。どんな本を置いているのだろうか。
「特に多いのは歴史の本。ひとつの事実を、後世の歴史家が、いろいろな視点で分析したり、解釈したりするところが、ビジネスと似ていると思います。あとの本は、経営関係や建設関係、原子力発電所がらみなどです」。ほぼ仕事がらみの本だが、アイディアをアウトプットするには、たくさんのインプットが必要なのだろう。
すると、吉野氏は大切にしている本を見せてくれた。植物学者・牧野富太郎の植物図鑑だ。昭和36年刊。ページを開くと、牧野博士の細密な植物の観察スケッチと、説明文がある。
彼は10代の頃、この図鑑の美しさに惚れ込んだ。幸いなことに、大人になってから入手できた。インタビューの日にもその分厚い図鑑を、まるで宝物のように扱っていた。
「牧野先生は本当に、千何百種類もの花を採取した人で、最高の植物学者だと思います。この図鑑に載っている植物を、自分がすべてカラー写真で撮って差し上げたいと思ったのですが、やってみたら種類が多すぎてとても無理でした」と笑う。
ちなみに、ベステラ本社ビルのエントランスに設置されたディスプレイには、折々の花が映し出されている。
「わたしの本業は写真家です。ベステラの社長はあとから始めたので副業ですね(笑)。いまでも、週に1日くらいは近くの木場公園に、植物の写真を撮りに行きます」
さて、ベステラはプラント解体を専門とする会社だ。プラントを建設する会社ではない。
「わたしは『つくったひとには壊せない』と信じています。たとえば大工さんだったら、自分が建物をつくったときの記憶があるから、それと逆の順序で、建物を壊していくと思うんです。でも、われわれには思い込みがない。建てたときの方法に縛られずに、効率よく壊す方法を考えられる」
なるほど、たしかに常識が自由な発想を邪魔することはある。人間がいちばん自由なのは、世間を知らない子供時代だ。筆者は、コップの裏を見たくて、飲み物が入ったままひっくり返してしまった子供を知っているが、大人の常識がないからこそ、普通は思いつかないような発想ができるのだろう。工法の発明も、同じように常識からの逸脱が大切だということか。
「『建てられたんだから壊せるだろう』と思うかもしれないけれど、建物をつくるプロと、壊すプロは別にいたほうがいいんですよ。解体には解体の技術があり、専門家に頼んだほうが、方法は効率的だし、費用も安くなります」
なるほど、言われてみればその通り。
ブレイクスルーのきっかけとなった「リンゴの皮むき工法」の発明も、そうした「知らない者」の柔軟な発想がキーとなった、まるでドラマのようなストーリーだ。
「ちょうど、いまの豊洲市場があるところで東京電力のボイラーの解体工事をしていたのですが、その近くにいずれ再開発で撤去する予定の東京ガスの球形ガスタンクがありました。わたしは『どうやったらあのタンクの解体をさせてもらえるだろうか』と思いながら、ずっとそのタンクを眺めていました」
1mの垣根を隔てた向こう側には、世界最大級の40m級タンクがふたつ、並んでそびえていたという。
写真提供/ベステラ
喉から手が出るほどタンクの解体の仕事が欲しかった吉野氏は、それに適した工法を考え続けた。するとある日、とあるアイディアが降ってきたのだという。
「まず、考えたのは、球形タンクの中に水を張って、上から細く切ったかけらを下に落とすという方法でした。ガスタンクを見上げながら『水の溜まった下の部分をお碗型にして切り取って、水を抜けばいいんだ……と考えました。次に、『いや、水なんかいらない、最初に下を切っておいて、上の破片を落とせばいいんだ』と思ったんです」
次の瞬間、吉野氏はひらめいた。
「ぶるっと身震いしました。『タンクを細長く切って、つないだまま下に落としていけばいいんだ』と思いついたんです。これが『リンゴの皮むき工法』です。わたしは無神論者ですが、一瞬だけ、神に感謝しました(笑)」
まさにブレイクスルーと言える奇跡の発想だった。
ベステラ創業当時、吉野氏は33歳。地元の名古屋で仕事をしていたが、あまり仕事がなく、会社は赤字続きだった。そのまま経営が持ち直すことはなく、40代で夜逃げ同然で東京に出る。多額の借金も抱え、大手の仕事の受注もできない。「リンゴの皮むき工法」を発明したときには、経営はなかば背水の陣状態だった。
その『リンゴの皮むき工法』がめでたく千葉県で施工の運びとなると、電気新聞が取材にきた。「記者さんに『この工法、経費がどれくらい安くなるんですか?』と聞かれたんですね。3分の1程度になります、とお答えしたら、とても驚かれた。そしてそんな衝撃的な数字ではかえって怪しまれるというので、翌朝の紙面には『ベステラのリンゴの皮むき工法、工期を3分の1に短縮』という見出しの記事が出ました」
吉野氏はその日のことを克明に覚えている。記事を確認したその日の朝のうちに、東京電力から契約に関する問い合わせの電話がかかってきたのだ。「まるで夢を見ているような気がしました。わたしの人生最大の転機でしたね」。ここからベステラの快進撃が始まっていく。
ライバルたちとはまったく違うアプローチをする、独自の工夫を重ねる。お話をうかがうと、決して平坦な道のりではなかったが、吉野氏のやり方は一貫していたことが分かってくる。
プラント解体業をはじめた吉野氏が、まず、着手したのはプラントに使われている素材の調査だったという。それにはある理由があった。
プラントを解体すると、大量のスクラップが出る。解体業者はそれらを転売して利益を得るが、スクラップ自体にどれほどの非鉄金属が含まれているのかは、壊してみるまで分からない。そのため、利益が読めないプラントには競合するライバルも手を出さなかった。
「プラントの役割を知ることができれば、どんな設備があり、どこにどれくらいの非鉄金属が使われているのかが分かります。場合によっては解体を無料で引き受けても利益が出るのです」
通常、プラントの解体には多額の費用がかかる。老朽化したプラントの処分に困っていた企業にとっては、まさに渡りに船。ベステラはこうして、他の企業に差をつけることができた。
吉野氏がもうひとつ取り組んだのが、ガスバーナーを使わずに厚い金属を切断する「無火気工法」の開発だ。プラント内部に必ずといっていいほど備えられている変圧器(トランス)。この内部に油が使われているため、ガスバーナーで切断すると、引火して火災事故が発生する危険があった。火器なしで解体できれば、それを売りにできる――そう見込んでの開発だ。
吉野氏は戦略を練りつつ、ひとりコツコツと勉強に励んだそうだ。とはいえ、プラントといえば専門知識の塊のようなもの。独学するのは大変だったのではないだろうか。そう尋ねると「生きるための勉強だからやりました。それに、本があったのでじゅうぶん勉強できましたよ」と微笑んだ。
そうしているうちに、もうひとつの転換点が訪れた。なんと、20年ほど前、ベステラは職人や重機を自社で抱えるのをやめたのだ。
「プラントは何十年も使うものなので、老朽化して解体する頃には管理者も代替わりしているんです。彼らはプラントを建てた世代ではないので、手順や見積もり、官公庁への届け出、危険予測、といったソフト面でのアドバイスや、予算を作るお手伝いを求められます」
確かに、専門家に聞いたほうがいいケースが多いのだろう。それでも、早くからソフトパワーの重要性に目を向けたのは、先見の明があったと言わざるをえない。
「いまは工事部員が大体30名ぐらいいるだけです。計画づくりをするチームも別にあるのですが、大体その人数で年間50億円ぐらい売り上げています。実際のところ、解体作業は誰がやっても同じ。それなら、専門家としてソフト面に経営資源を集中させようと判断しました」
そうして吉野氏は、見えてきた次の可能性に大胆に舵を切っていったというわけだ。
ところで、いまの日本で大きな課題となっているプラント解体がある。いうまでもなく、福島第一原子力発電所の廃炉作業であり、やがてくる全国の原発の廃炉作業である。
「こういう仕事を、金儲けのためにやるというのは、そもそも違います。原発の解体は、誰かがやらなければいけないからやるんです。社会貢献が事業になり、利益は後からついてくる。そんな形になれば、起業家冥利に尽きますね」
吉野氏は、一瞬、目を閉じた。そしてこう続けた。
「日本には電力関係だけで、原発が60基あります。いま動いているのは9基、中でも加圧式型はテロ対策が整っていないと言われているので、すべて止まる可能性があります」
そうなれば原発廃炉・解体の波が来る。吉野氏は先を見越して解体の特許を数件出願中だそうだ。
「発電所内部を3次元で計測したデータを加工して、図面に落とし込み、計画書をつくる予定です。現状をそのまま図面に落とし込む手法なら、ミリ単位で正確な計画書をつくることができますからね」
とはいえ、原発だ。これまで解体してきたプラントよりも難しい仕事になるのでは?
「いえ、発電所の中心部分のほかは、火力発電所とそう変わらないんです。違うのは、安全対策が非常に厳格。また、国民に向けての情報公開も求められます。それらができて、原発の解体に加わることができるんです。そちらの準備のために社内体制の整備が大切です」
そもそも吉野氏が原発の解体に携わるのは、今回で2度目だという。
「45歳ぐらいの頃、茨城県の東海村にある5万KWの実験炉の解体に携わりました。当時、原子力研究所の所長に、『これに放射能がなかったら、いくらくらいで壊せますか?』と聞かれたんです。3000万円くらいと答えた記憶があるのですが、所長さんは『放射能があると300億円かかります』とおっしゃいました。原発をひとつこわすには、それくらいのお金がかかります」
その原発は、福島第一原子力発電所と同じタイプの実験炉だった。経験者として、解体のプロとして、知識はなるべく共有したい。吉野氏は、福島第一原子力発電所の廃炉作業の現場も何度か訪れてアドバイスを行なっている。
「前回はロボットを使った解体のオペレーションについての相談でした。やはり、圧力容器の中でメルトダウンして溶け落ちた核燃料デブリを、どうやって取り出すかがひとつの焦点になっているようです」
実際、その工事のデモンストレーションとして、茨城県の鹿島市にある大手製鉄会社の溶鉱炉で、下に溜まって固まった1500トンほどの鉄を核燃料デブリに見立てて、破壊してみたそうだ。
「ほとんど歯が立ちませんでした。格納容器の底にあるウランは鉄よりも比重が高く、放射線も出しているので、取り出すのはなかなか難しいかもしれません」
2018年、ベステラは日立プラントコンストラクションと業務提携を結んだ。被ばくを防止しながらの効率的な解体作業ができるように共同で研究するそうだ。吉野氏の言うとおり、福島第一原子力発電所の解体は困難を極めている。いまはまだ協力者としての立場だが、ベステラの技術が生かされる日も近いだろう。
まだ先の話ではあるが、原子力発電所の解体が終わったあとのことは考えているのだろうか。
「日本の電力は、自然エネルギーの発電にすこしづつ置き換わっていくと思います。いまでさえ日本には2000基を超える風力発電の風車がありますし、その数はだんだん増えていく。そう考えて、風車の解体に関する特許を出願中です。まあ、まだ誰も考えていないからラクなものですよ」
吉野氏は笑う。なんと技術開発は終わっているらしい。さすがのスピード感である。
とはいえ、御年79歳。いずれは後継者にバトンタッチするとなったとして、吉野氏の考えてきた未来予想図を、どうやって次の世代に引き継ぐのだろうか。ぶしつけな質問をぶつけると「それまでに倒産しなければね」と冗談交じりにつぶやいてから、こう語った。
「次世代は、勝手に育てばいいと思っていますよ。能力があって、そのときいちばん頑張れる人にお願いするしかないですね。わたしの息子もベステラで働いていますが、創業家の人間が会社を継いでもうまく行く保証はありません。会社はみんなのものなので、能力があってやる気がある人がやるべきです」
後継者を育てることは、やっぱり難しいのだろうか。
「人材なんて育ちません(笑)。ひとはみんな横着でわがままだし、勉強しなさいと言って勉強するひとはいません。社会から学ぶひとが伸びるひとです」という。それぞれのひとが、自由に考え、自力で育てばいい。形にとらわれない、実にシンプルな人材論である。
「『リンゴの皮むき工法』の解体の美しさを、あるメディアに特集してもらったことがあります。あれは、理にかなっているから美しいんです」。確かに、らせん状になって上から下へと降りていくガスタンクの切片は、重力と工学の絶妙なコラボレーションが作り出した、幾何学的な模様のようでもある。
「人間にも寿命があるように、プラントにも寿命があります。その終わりをいかに美しく看取ってやるか、に想いを馳せる。『ご苦労様でしたね、よく頑張りました、もう頑張らなくていいですよ』と言って倒してやるんです。その終わりは、美しくなくてはならないと思いませんか?」
効率的に、スマートかつ周到に解体する。そうすることが、頑張ってきたプラントへのはなむけになる。その解体がうまくいったときに、不思議とそのカタチが美しいなんて、実に素晴らしいじゃないか――。野に咲く草花を愛する吉野氏の“美学”が垣間見えた、締めのひとことだった。