たとえば「コンクリートから人へ」というスローガンに使われたりすることからも明らかなように、コンクリートは何かと嫌われやすい。なかでも山間部の谷を塞ぐダムは、あの有名な「脱ダム宣言」でも「100年、200年先の我々の子孫に残す資産としての河川・湖沼の価値を重視」するため「コンクリートのダムを造るべきではない」と書かれているように、自然破壊の象徴、と捉えられることが多い。シンプルに考えれば、言わんとしていることはまあ分からなくはない。
しかし、自然界に存在する砂や砂利と水、セメントを混ぜて作られるコンクリートもまた天然素材である。たとえば「自然と調和する」と言われる木造の建築物と何が違うのか(極論である認識はしています、あと現在のセメントがいろいろ手が加わった工業製品であること、混和剤などの存在も存じています)。それで言ったら木造建築の緊結金具は? 瓦は? 漆喰は? 襖や障子の紙は!?
いやそんなことを訴えたいんじゃなかった。
コンクリートが「不自然」に見えて嫌われやすいのは分かった。しかし逆に「不自然」だからこそ、「自然」の中で際立つその美しさに魅せられている人も少なくないと思う。私もその一人である。そして、コンクリートだからこその造形美を味わえるものの中でも、特に大きなものがダムである。
というわけで余計な前置きが長くなったけれど、今回はコンクリートの美しさを味わう、という目線で、魅力的なダムを紹介したい。
記事初出:『建設の匠』2020年2月21日
何と言っても真っ平な壁!
コンクリートの魅力としては、やっぱり何より「人工的な造形」がいちばんだと思う。特に、コンクリートのダムとして真っ先に頭に浮かぶ重力式コンクリートダムで見られる、自然界には存在しない「真っ平の巨大な壁」は圧倒されると同時に強く惹きつけられないだろうか。
明らかに「不自然」な巨大で真っ平なコンクリートの壁(小玉ダム/福島県)
水門などの装備がないほうがより壁感を味わえるかも知れない(新宮川ダム/福島県)
この堤体は相当シンプルだがもっとシンプルな姿を見たい!(志津見ダム/島根県)
しかも、ここで取り上げた3つの堤体はどれも全面越流型、つまり真っ平らな面すべて水が流れる部分なのだ。通常、堤体にはコンクリートの継ぎ目で縦や横に筋が入っているが、水が流れる部分は継ぎ目が目立たず真っ平に仕上げてある(そういえばどうやって施工しているんだろう)。これが「コンクリートのフラット感」をひときわ引き立たせていると思う。
コンクリートを味わうなら全面越流型に限る、と言えるかも知れない。
エッジの効いたコンクリート感
コンクリートらしさと言えば、打ちっ放しのデザイナーズ建築のように、角がくっきり出たいわゆる「ピン角」の美しさもあると思う。ダムを「打ちっ放し」と表現するのが正しいかどうかは分からないけれど、そういった「デザイナーズダム」も一時期各地に造られた。
「ガンダム」のホワイトベースのようなガッチリした存在感(日吉ダム/京都府)
「面取り」や「角丸」という概念の存在しない世界(苫田ダム/岡山県)
複雑な形状だがラインがスッキリしているしょうゆ顔なのでくどさを感じない(深城ダム/山梨県)
こういったデザイナーズダムはバブル末期に計画がまとまり、それからおよそ10年後の2000年前後に完成した物件に多い。この世代の前後で堤体デザインに大きな変化が見られ、まさに時代のエッジに登場した堤体たちだと言える。
水を導くなめらかな曲線
ダムでコンクリートの魅力を味わうことができるのは堤体だけではない。水をなめらかに、かつ正しく導く放流設備や導流部もコンクリートの造形を存分に堪能できるのだ。
この艶かしく、かつ機能的なラインを造ることができるのはコンクリートならでは!(摺上川ダム/福島県)
わたしも水になってこのすべすべの壁を流れ落ちたい(堀川ダム/福島県)
優しく導く先にはどんな景色が待っているのか(南相木ダム/長野県)
隠すことができないぬくもり
コンクリートは固く、冷たいと言われる。「コンクリートから人へ」の「人」の部分はきっと、まごころやおもいやり、ぬくもりなどといった、固さ冷たさの対極にあるぼんやりと聞こえの良いフレーズを指しているのだろう。しかし本当にそうだろうか。コンクリートにもやさしさやぬくもりを感じることができるのではないだろうか。
流れる水を両手でやさしくつつみこむようなこの繊細な曲線を見よ!(鳴子ダム/宮城県)
思わず幼少の心に戻り父や母の腕に抱かれている夢を見そう(小里川ダム/岐阜県)
「胸さわぎの腰つき」ってこれのことじゃないのか(一ツ瀬ダム/宮崎県)