この連載、ダムのことを知らない初心者でも分かりやすく楽しんでもらえるようにと、これまでダムの基礎知識や専門用語などを極力使わずに進めてきた。しかし、見学に行ったとき、ダムカードをもらうとき、職員さんに質問するとき、ほかのダムマニアと会ったときなどに、多少なりとも専門用語を使えると楽しいと思う。
また、どの業界でも同じように、実際にプロの間で使われる専門用語と、マニアたちが生み出したファン用語があるので、TPOによって使い分けられれば一目置かれること間違いなしである。細かい意味なんて気にしない! 雰囲気でどんどん使っていこう。
そこで今回は、詳しくなくても覚えたい「使えるダム専門用語」を紹介したい。
記事初出:『建設の匠』2019年12月28日
ドリルのように、単語をひとつひとつ並べて覚えても楽しくないので、ここではあなたがダム見学に来たと仮定して、歩き回りながら専門用語を解説していくことにする。ワールドカップを見ていたら知らないうちに全国民がラグビー用語を覚えていた、のと同じメソッドだ。
駐車場に車を停めたあなたは、まずはダムの本体を目にするだろう。
この「ダムの本体」を「堤体(ていたい)」という。これは型式や大きさを問わずどんなダムでも同じである。慣れてくると会話の中では「てーたい」「てぇたい」くらいの発音になってくる。「あそこは面白いてぇたいしてるよねー」といった塩梅だ。ちなみにどのへんが「面白い」かはいくつも堤体を見ればだんだん好みが出てくると思うので、そのあたりも楽しみにダムめぐりしてほしい。
そして堤体にはいくつかの決まった型式があるのだけど、とりあえず「重力式(じゅうりょくしき)」「アーチ式」「フィル」の3つだけ覚えておけばほぼ間違いない。どっしりとしたコンクリートの塊感があるのが重力式、美しくカーブを描くコンクリートの壁がアーチ式、岩や土を積み上げた巨大な土手のようなのがフィルである。
ほかにもいくつか型式はあるけど少数で、たいていは上記の3つのどれかに当てはまる。英語とスペイン語と中国語さえ話せれば地球上の大部分の人と会話ができるのでOK、というマインドだ。
稀に「アーチ式だ」と言ったら「いやこれは曲線重力式で…...」などと言われることがあるかも知れないけれど、熱心なダム好きほどマイノリティである自覚が強く、「これだからニワカは」みたいにマウント取ってくる人はほぼいないので安心してほしい。その代わり「アーチ式」と「曲線重力式」と「重力式アーチ」の違いを嬉々として説明されることになるかも知れない。
ではもっと詳しく堤体を見てみよう、というわけで、堤体の上の通路に行ってみる。この「堤体の上」を「天端(てんば)」と言って、そこにある通路は厳密には「天端通路」などと言うのかも知れないけれど、ほとんどの場合は天端の通路のこと自体を「天端」と言っている。ダムの高さを示す「堤高(ていこう)」の上の基準点になる場所だ。
ちなみに堤高の下の基準点は堤体のいちばん下が基礎の岩盤と接している場所で、外からは見えない。つまり、例えば「堤高100m」と言っても、実際に見える堤体の高さは80mとか90m程度なのだ。
ところで、堤体や周辺を眺めたとき、上流や下流は分かりやすいとして(もちろん堤体から見て貯水池側が上流)、左右がどっちか説明できるだろうか。
ダム用語(というか河川用語)での左右は、上流から下流を見て右が右岸、左を左岸という。だから、逆に下流側から堤体を眺めたときは、向かって左が右岸「側(がわ)」、右が左岸「側(がわ)」になる。これはテストで引っかけ問題として必ず出てくるけど、そんなテストは存在しないので安心してほしい。いや、本職の方々にはそういうテストあるのかも。
ついでに言うと、「ダムの正面どっちだ問題」も存在する。われわれダム好きから見れば、どう考えても堤体の下流側がダムの顔であり正面だろうと思うけれど、プロの世界では、ダムの役割の本質である「水をせき止め」ている上流側こそが正面なのだという。専門用語では堤体の下流側はなんと「背面(はいめん)」である。僕らはいままで背中の写真撮って喜んでたのか!
ダム業界は比較的ファンと中の人が良好な関係を保っていると思うけれど、この点だけはお互い譲れず、毎回議論は平行線を辿っている。
さて、そのほか外から目につくものの用語解説もしていこう。
天端から見下ろしたときに、特にコンクリートダムで堤体が左右の山の斜面に接している場所が、四角く大きな段々になっていることがあると思う。これは堤体と岩盤の接地面を安定させる目的の構造で「フーチング」と言う。フーチングには下から上まで階段が設置されていることが多い。主に点検や、エレベーターが使えない場合に、堤体内に造られている監査廊(かんさろう)というトンネル通路の出入口に行くためのものだけど、中にはここが普段から解放されていたり、見学会に参加すると通行できたりするダムもある。ファンは大喜びだけど、大きなダムの職員さんは辛い記憶しかないと思う。
また、アーチダムでは堤体の下流面にいくつか狭い通路や階段が張り付いているところがある。これも監査廊やフーチング階段と同じ目的のもので「キャットウォーク」という。名前そのままの猫が歩くような狭い道で、さすがにここを普段から一般開放しているダムはないけれど、これも見学会ではファン垂涎の場所である。ただし狭くて高くて足元が透けていたりして、相当にスリルがあるので高所恐怖症の方には決してオススメできない。なぜアーチダムは外側に通路があるのかと言うと、堤体を薄くするために内部に通路を作れないからである。
稀に、フィルダムにも堤体外側に通路が設置されている場合がある。これは「犬走り」という。最初に聞いたときはキャットウォークに対抗した冗談かと思ったけれど、土木建築用語として古くから存在するらしく、たとえば城郭の石垣と堀の間にある細い通路も「犬走り」と呼ぶという。
フィルダムと言えば、土や岩を積み上げて造られるロックフィルダムでは、堤体表面の保護や景観の目的で、手頃な大きさの石を整然と並べているところがある。これをリップラップと言って、リップラップの色や美しさは個性を出しづらいフィルダムの数少ないアピールポイントになっている。美しいリップラップは職人がパワーショベル1台で黙々と作っていくそうで、腕の良いリップラップ職人は全国のロックフィルダム工事現場を渡り歩いているというウワサだ。
貯水池側に目を向けると、湖の上に黄色やオレンジ色の浮きが点々と繋がって浮かんでいるのが見えると思う。これは上流から流れてきた流木やゴミをせき止めるためのもので「網場(あば)」という。浮きの下には数メートルの深さまでネットが張られていて、浮遊するゴミをキャッチし、その先にある堤体や放流設備まで漂着させないようになっている。たとえば水門までゴミがたどり着くと、放流が終わって閉めたときにゴミが挟まって、水が漏れ続けてしまったりするのだ。
続いて、放流で水が流れる部分の用語を簡単に解説したい。あ、そうそう、よく「ダムの放水」と目にすることが多いけれど、ダムから水を流すことは「放流」が正確な表現。ただ、黒部ダムだけはオフィシャルが「観光放水」と表現しているんだよなあ。確かに、あの堤体の真ん中へんから水が噴き出している様子は「放水」感が高いけど。
ちなみにあの「堤体の真ん中へんから水を噴き出す」装置はバルブと言って、それほど多くない量を流すためのコンパクトな放流設備。もっと細かく言うと、黒部ダムのバルブは「ハウエル・バンガー・バルブ」という種類のもの。ハウエルさんとバンガーさんが共同で開発したものらしい。
ダムではもうひとつ「ホロージェットバルブ」という種類のバルブもよく見かける。しかしこの2種類、見分けるのはかなり難しいので、分からないうちは「バルブついてるんですね、ハウエルバンガーですか、ホロージェットですか?」みたいに質問に使うと喜んで教えてくれると思う。
そのほか、ダムが放流するための設備の中で、大雨で貯水池の水位をコントロールするために使うものを「洪水吐(こうずいばき)」と呼ぶ。逆に、下流に水が必要なときに放流する設備は「洪水吐」とは呼ばず、「利水放流設備(りすいほうりゅうせつび)」と言う。だけどそんなの最初はどれがどれだか分からないので、堤体についている放流設備は洪水吐、くらいの覚え方で良いと思う。利水放流設備は堤体から少し離れた場所にあることが多い。でも黒部ダムのバルブはたぶん利水放流設備である。混乱させて申し訳ないけれど、これは構造ではなく目的の話なので、まあいろんなパターンがあると思ってください。いろんな意味で、ダムは深いのだ。
放流の設備では、ほとんどすべてのダムにある、貯水池の水位のいちばん高いところについている放流設備を「クレスト(放流設備)」と呼ぶ。クレストはもともと「山の頂上」とかそういう意味らしく、ダムでも水が流れるいちばん上の部分をクレストと言って、たとえばそこに水門(ゲート)が設置されていれば「クレストゲート」と言う。「赤いクレストゲートかっこいいですねー!」みたいに言えば職員さんも大喜びである。
水門がなく、部分的に切り欠きがあってそこからあふれ出す方式の洪水吐は「自然越流式(しぜんえつりゅうしき)、自由越流式(じゆうえつりゅうしき)」などと呼ぶのだけど、「クレスト自然越流式」などと合体させて呼ぶことはほとんどなく、「クレスト部にある自然越流式の洪水吐から放流している」みたいに少々まどろっこしい言い方しかできない。なんか「タピる」みたいに単純明快に「クレスト部にある自然越流式の洪水吐から放流している」様子をスパッと表せる動詞ないだろうか。「エツる」とかだろうか。「越流してる」でいいか。
また、フィルダムは本体の構造上、堤体に直接放流設備を設置することができないので、「クレスト部の洪水吐」は貯水池側に張り出した場所に造られることが多い。その張り出した洪水吐の構造を「側水路式(そくすいろしき)」と呼ぶ。
また、洪水吐のうちクレストより少し下にあるものはオリフィスと言って、もっと下に設置されたものはコンジットと呼んでいる。クレストはともかく、オリフィスとコンジットの明確な違いを説明するのは難しいので、いろいろなダムを見て何となく感じてほしい。
とりあえずオリフィスは水門がついているダム、ついていないダムがあるけれど、コンジットは確実に水門かバルブを装備している。クレストと同じく、水門が設置されていれば「オリフィスゲート」「コンジットゲート」などと言う。
余談だけど、クレストが自然越流式のダムをプロは俗に「坊主ダム」と呼ぶ。さらにオリフィスも自然越流式の場合は「坊主坊主」と言うらしい。ダムスラングである。
さて、クレストやオリフィスやコンジットから流れ出た水は堤体の斜面に沿って流れ落ちるけれど、その水が流れる部分を「導流部(どうりゅうぶ)」と言って、その際にきちんと下流の川の部分に水を導くように壁が造られることがある。その壁を「導流壁(どうりゅうへき)」と呼ぶ。
最近は堤体のクレスト部全体が自然越流式の洪水吐になっているダムも多く、そういう場合は堤体全面が導流部になるので、導流壁は堤体下流面を囲うようにフーチングの縁に建てられる。こういう場合の導流壁を「堤趾導流壁(ていしどうりゅうへき)」という。
また、水の流れる先には放流された水の勢いを抑えるための構造があり、それをまとめて「減勢工(げんせいこう)」と呼んでいる。
減勢工にはいろいろな種類があって、もっとも一般的なのは堤体の少し下流に小さなダム(副ダム)を造り、堤体と副ダムの間に水を貯め、そこに放流した水を落とすことで勢いを抑える方式。この副ダムで貯められた滝壺のような部分を「減勢池(げんせいち)」と言う。
また、減勢池を造らず、流れ出た水を下流に立てた無数の柱(バッフルピア)に当てて勢いを抑える方式や、放流された水をジャンプ台によって空中に飛ばして勢いを抑える「スキージャンプ式」という方式もある。減勢工ひとつとってもダムによって個性があり、見どころたくさんなのだ。
というわけで、ひと通りダムを見てまわり、用語もそれなりにおさえたあなたはダムカードをゲットしたりダムカレーを食べたりして帰途に就く。それでは最後に、ダム好き同士の別れの挨拶を伝授しよう。
「では、またどこかの天端で!」