ダムと言えば放流を思い浮かべる、という方も多いだろう。これまで国内外合わせて数百ヶ所ものダムを見てきた私としては、ダムの魅力は放流だけではない、と声を大にして言いたいのだが、それでも予想外の放流に出くわすと、いまだに「うおおっ!」などと我を忘れて声を上げてしまう。ダムの放流は役割や目的以前に、エンターテインメントでありスペクタクルだと思う。
しかし、実は放流は思ったほど見られない。なかでも、誰もが「あそこから水が流れれば……」と想像する、堤体のいちばん上に設置された放流設備から水が流れ出る場面は、はっきり言って非常にレアである。
ダムと言えばこんなシーンかも知れないけど実はかなりレア!(滝沢ダム/埼玉県)
逆に、放流するときはさまざまな理由があり、それが複雑に絡み合っている。ではいったいダムはどんなときに放流するのか、いつどのダムに行けば大迫力の放流を眺めることができるのか。今回はそんな情報を、読んでくれたあなただけにこっそり教えたい。
記事初出:『建設の匠』2019年3月8日
先に答えを書いてしまうと、ダムのいちばんの放流シーズンは春。暖かくなると、豪雪地帯のダムには大量の雪解け水が流れ込んでくる。そしてその水は貯水池を満たし、同時に豪快に放流している姿を見ることができるのだ。
雪解け水が流れ込み豪快に放流(荒沢ダム/山形県)
というわけで「来年の春、見に行ける大迫力の放流ベスト10」みたいな記事にしようかと思ったのだけど、せっかくダム専門の連載なので「なぜダムは放流するのか、しないのか」といったあたりから解説したいと思う。ああ、また面倒臭い展開にしてしまった。
通常、ダムが放流する理由は4つに分けられると思う。下流の川が枯れないようにするのと、下流に水が必要なときと、貯水池の水位をコントロールしている最中と、発電を行なっているときである。また、イレギュラーな放流として、ダムが完成して試験的に満水まで水を貯めたとき、放流設備の点検のとき、そして下流の川の環境改善のときなどもある。単に水を流すだけもこれだけの理由があるのだ。それぞれどういうことか説明しよう。
ダムがあると上流から流れてきた水はそこで止まってしまう。必要がなければ放流されることはないし、発電用のダムでは貯水池から取水し、落差を稼ぐために数キロ下流に設置された発電所まで水路トンネルで迂回させて水を送っているところもある。そうするとダムのすぐ下流は水の流れがなくなり、生物や環境、景観に悪影響が出てしまう。
そこで、ダムからは常に一定量の水を「河川維持放流」として流すことになっている。だから、一見放流していないように見えるダムでも、多くは見えづらいところからほんの少し放流している。でもこれを「放流だ!」と言って喜ぶのは下流に住む魚くらいだろう。
よく見るとゲートからではなくその脇から流している維持放流(大森川ダム/高知県)
また、たとえば目的に上水道や農業、工業用水、不特定利水(アルファベットで言えばN、A、W、I)があるダムの下流で、雨が降らず川の水が少なくなり、水量が基準を下回りそうになったとする。そうなると川から水を引いている水路に必要量を取水することができなくなる、もしくは取水されず下流に流れる川の水量が基準を下回る恐れがある。川の水は上流から下流まで多くの人が使っているので、取水した水路の流量だけでなく、取水されずに下流に流れる川の流量も重要なのだ。
川の水がどのくらい流れてどう取水されているか常に監視されている(利根導水総合事業所/埼玉県)
ダムはそんな情報をいちはやく察知し、川が基準となる流量を下回らないように必要量を放流するのだ。これを「低水管理」と言う。もちろんダムから基準点まで流れて行くのに時間がかかるから、それを見越して「将来の流量」を予測したコントロールを行なっている。たとえば利根川は、上流のダムから埼玉県の栗橋にある基準点までおよそ30時間かかるため、1日以上先の流量を予測した運用をしているという。
低水管理でも迫力ある放流が見られるダムもある(滝沢ダム/埼玉県)
ダムの貯水池の水位は常に変化している。大雨が降ったり雪解けで大量の水が流れ込んで来れば上がるし、下流で水が必要になれば放流して下がる。また、洪水調節の目的があるダムでは夏から秋は水位を低くして大雨を待ち受けるし、農業用水専用のダムでは春先に満タンにしておいて、徐々に使いながら秋の農作物が収穫される頃に使い切る、というのが基本のパターンだ。
農業用水の供給が終わり、すっかり水が減った貯水池(新宮川ダム/福島県)
ダムにはさまざまな目的や役割があるけれど、放流は、ダムの目的を果たすために設定された貯水池の水位を基準にコントロールされている、とも言える。
たとえば洪水調節では、大雨を待ち受ける「制限水位」に下げ、それをキープするための放流が行われる。流入量が増えて来ると水位は上がり、「常時満水位」を越えて「サーチャージ水位」に達するまで水を貯めることができるけれど、流れ込んで来るすべてを貯めるのではなく、流入量のいちばん多い時間帯に貯水池に貯めることができるように、下流に流しても安全な量は放流を続ける。
ただし、下流が氾濫しそうなときは状況に応じて放流量を減らしたり、ダムによっては流入量が多いときは放流を完全にストップして、すべてを受け止める運用をしているところもある。また、大雨が通り過ぎても、次の雨に備えていち早く「制限水位」に戻すために放流が行なわれる。
洪水調節はふだんの観光放流とは雰囲気がまったく違う(宮ヶ瀬ダム/神奈川県)
洪水調節を細かく説明すると、これまたひとつの濃い記事が書けてしまうので、ひとまずこのへんで。
ここで、前回の「重力式ダムだってダイバーシティ」で書いたように、洪水調節にクレスト部の放流設備を使うダムや、そもそも洪水調節の目的がない発電などの利水専用ダムではクレスト部の放流設備から放流するけれど、オリフィスゲートやコンジットゲートといった洪水調節用の放流設備を装備しているダムでは、基本的にはそちらが優先で使われる。
発電専用ダムはクレストゲートを開けることも少なくない(佐久間ダム/静岡県・愛知県)
もし、ダムの想定を上回り、「サーチャージ水位」に近づいても流入量が減らない場合は「異常洪水時防災操作(いわゆる『ただし書き操作』)」として、クレスト部のゲートを開けたり、自然越流式なら水が越流したりして、堤体の安全を守る「設計洪水位」を越えないように、さらなる放流が行われる。つまり、洪水調節用としてクレスト部以外に放流設備を装備しているダムにとって、クレスト部の放流設備は「最後の手段」なのだ。レアな光景だけど素直に喜んでられない、というかそんな状況のときに放流を見に行くのは危険である。
水力発電では、堤体の真下や数キロ下流に発電所を設置して、貯水池から取水した水を送り込み、その落差で水車を回して発電している。貯水池の水を下流に流しているので「放流」ではあるけれど、落差を稼ぎ、勢いを弱めるために水中に放流されていることも多く、ほとんどが見えない部分で行われているので放流しているのかどうかすら分かりづらい。
奥の発電所からものすごい勢いで放流中だけど目立たない(矢木沢ダム/群馬県)
ここまでは通常のダムの運用で見られる放流を紹介してきた。ここからは通常の運用ではほぼ見られない「レア放流」を紹介したい。
ダムを建設するとき、本体の工事が終わったらいよいよ水を貯めはじめるけれど、堤体の安全性や機能を確認するために、試験湛水と言って、まずはいったん満タン(サーチャージ水位)までゆっくり水位を上げていく。無事に満水を迎えたら、クレスト部の放流設備が正常に機能するかどうかの確認で、いよいよはじめての放流が行われる。
上に書いた通り、洪水調節用の放流設備があるダムでは、クレスト部の放流設備は最後の手段なので、ここからの放流が見られるのはこのときだけ、と言っても過言ではない。
いまのところ最初で最後のクレスト放流(摺上川ダム/福島県)
これから新しく造られるダムは少ないけれど、最近は数日前にプレスリリースも出ることが多いし、新ダム完成の祝祭的な雰囲気もあるので、機会があればぜひ見に行ってほしい。
「クレスト部の放流設備は最後の手段」と書いた。それは間違いではないのだけど、最近ダムにとって「想定外」な出来事で、これまで開かずの扉だったクレストゲートを開けて放流するダムが増えている。その想定外とは、異常気象とダム人気というまったく異なる要素だ。
この数年、異常気象でこれまでの想定を超える豪雨が各地で発生し、洪水調節の結果「異常洪水時防災操作」に移行せざるを得なくなったダムが各地で発生した。それに伴い、基本的に使うことのなかったクレスト部の放流設備について、各ダムがこれまでは正常な動作の点検しか行なっていなかったのを、放流を含めた点検まで行うようになったのだ。
具体的には、ゲートを開けても水が流れ出ない水位の低い時期に動作点検していたのを、水位の高い時期に動かして実際に放流まで行なうダムが増えてきた。
点検放流のイベント化の口火を切ったのは何と言ってもここ(下久保ダム/埼玉県・群馬県)
さらに、ダム人気の高まりでダムを訪れる人が増えた結果、ダムを使った町おこしの一環として、ダム管理所と地元が共同で点検放流をイベント化。本来は事務所が休みだった土日に開催日を設定し、事前の告知はもちろん、当日は屋台などを出して盛り上げたところ、数百人から数千人が訪れるダムも出現。点検放流が毎年恒例となったダムも増えてきているのだ。
この山奥に1,000人以上が集まり全国のダム関係者の意識を変えた(矢木沢ダム/群馬県)
各地のダムが、これまでほとんど使われなかったクレストゲートからの放流をイベント化して行なうこの状況、ダム好きからすれば夢のような展開である。ぜひこのビッグウェーブに乗り遅れないでほしい。まだ点検放流を体験していないファンも、まだ点検放流していないダムも。
ダムができると下流は安定する。ダムができる以前は少し雨が降る度にこまめに増水を繰り返していた川が、ちょっとやそっとの雨では放流が行われず、たまに洪水調節を伴うような大雨が発生しない限り、河川維持放流や低水管理の放流程度の水しか流れない環境になる。そうなると、安全ではあるけれど、淀みが発生したり、苔や藻などが跋扈して環境が悪化してしまう、という面もある。
そこで、稀にダムから水を放流、人工的に流量を増やして川底の汚れを流してしまう、という取り組みが行われているダムがある。これは「フラッシュ放流」と呼ばれていて、最近はクレストゲートの点検を兼ねて行なっているところも増えてきている。
最後に、ちょっと変わった放流をご紹介しよう。オリフィスゲートやコンジットゲートを点検や修理したいとき、開閉すると放流してしまうので、ほとんどのダムには通常使用するゲートの上流側に、もうひとつ予備のゲートが設置されている。点検や修理のときは、ふだんは全開にされている予備ゲートを閉めて、本ゲートを開閉しても水が流れないようにするのだけれど、本ゲートと予備ゲートの間に水が溜まっているので、本ゲートを開けるとその水が流れ出る。これは抜水(ばっすい)と呼ばれていて、一見すると放流のように見えるのだ。
とつぜん放流がはじまり、すぐ終わるので何事かと思う(下久保ダム/埼玉県・群馬県)
溜まった水はそれほど多くないので、放流と言っても数十秒から数分で自然に終わるけれど、商魂たくましくこれをイベント化するダムもある。また、どのダムでも1ヶ月に1度程度行われているので、ダム見学に行ったときに偶然出会うこともあるだろう。私はいままで3回くらい遭遇したことがある。
いかがだっただろうか。単にダムの放流、と言ってもその目的や事情はさまざまだ。貯めた水を1滴も無駄にしないよう、ダムの運用は水位や気候を見ながら1年以上先まで見渡して行われているので、気軽に「放流してほしい」なんて言えないだろう。……見たいけど。
すっかり長くなってしまったけれど、そういったことを踏まえて、春から初夏にかけて、恐らく見られるであろうオススメの放流をいくつかご紹介したい。きっと、知らずに見に行くよりも有り難みを感じられるのではないだろうか。
青森県の津軽ダム。東北地方最新のダムで、クレスト部からではないものの雪解けの豪快な放流が見られるはず。車で1時間ほどの距離にある浅瀬石川ダムでは毎年クレストゲートの点検放流が行われているのでこちらも要チェック。
岩手県の胆沢ダム。巨大ロックフィルダムの放流が見たければここがオススメ。恐らく4月中旬~5月初旬頃まで雪解けの放流が見られるはず
数年前からクレストゲート点検放流を行なっている湯田ダム(岩手県)。この際だからハッキリ言ってしまおう、私の中ではいまのところこれが日本で最高の放流です。本当にすばらしいので一見の価値あり。
完成当時から毎年ゴールデンウィークにクレスト越流を行なっているという歴史と伝統の鳴子ダム(宮城県)。ここも美しいので必見。ゴールデンウィーク開催という行きやすさも良い。
毎年クレストゲートから雪解け放流を行なっている月山ダム(山形県)。ダムの規模、堤体の美しさ、放流の水量など、どれをとっても国内屈指のクレスト放流だと言える。ここも4月中旬~5月初旬頃までは見られると思う
年を追うごとに点検放流の見物客が増えている矢木沢ダム(群馬県)。例年、隣の奈良俣ダムともども5月頃に開催されている。同じ時期に少し下流の藤原ダム、小森ダムも越流するので1日かけて見て回ろう
点検放流イベントブームの火をつけた下久保ダム(埼玉県・群馬県)。なんと数千人を動員!
どうしても東日本が多くなってしまうなか、唯一西日本からエントリーの温井ダム(広島県)。毎年6月頃、常時満水位から洪水期制限水位に水位を下げるためのド派手な放流が見られる
ここまで書いてなんだけれど、今年はどうも雪が少ない上に暖冬傾向(編集部:2019年3月時点)らしいので、雪解け放流も例年より早くなる可能性があるし、そもそも放流まで至らないダムもあるかも知れない。ぜひ、行きたいダムの情報をチェックしてから臨んでほしい。