メタボリズム建築・旧都城市民会館を解体目前にめぐったルポルタージュの後編です。前編から読むことをおすすめします。
記事初出:『建設の匠』2019年7月11日
前編では旧市民会館に対するネガティブな話題を書き連ねてしまったような気がするので、お口直しがてら(?)、見学会参加者の声をご紹介したい。
参加者からは、さまざまな話を聞くことができた。この建築は、間違いなく人々の記憶に爪あとを残したのだな、と感じられた。
「昭和42年3月に、ここで結婚式を挙げたんです。式も披露宴もして、写真も撮ったの。あ、あそこにいるのはその後に生まれたうちの娘よ」という女性は、「建物も古いし、音響が悪いとか言っていた人もいたけれどね。なんだか怪獣の背中みたいでしょ? 私はこの建物でよかったと思いますよ。前にお友達と食事会した時に聞いたら、反対が3人で、賛成が2人。私は残してほしかった。なんか壊されるのが忍びないですよね」と目を細めて語った。
近所に住むという主婦ふたりは、近くの小学校に通い、放課後にはこの旧市民会館で遊んでいたそう。「ひさしがあるから雨の日も遊べるし、街灯があるので夜も遊べた。世界で一番ここで遊んでます」と胸を張る。
彼女たちは、「市は『観光に力を入れる』と言っているのに、なんで壊すのかしら。世界遺産になったかもしれないし、ここを買いたいという地元企業だってあったのに」「地元の新聞社が報じないのはなんだかおかしい」「解体に反対すると仕事なくなるから建設関係者もなにも言わないわ」「農業の町で田舎だからねえ、○○党が強いのよ……」と解体決定までのプロセスには不満があるようだった。
しかし、他の市民も同様にこの施設に対する愛着があるのかを尋ねると、「もう使われてないからね、結局は。知らない人のほうが多い。(こだわりがあるのは)私たちの年齢の人ぐらいだよね」と言った。
京都からひとりでやって来た建築士志望の専門学校生が、じっと旧市民会館の上部を見つめていた。設計者のことは授業で扱われた「スカイハウス」で知っていて、一連のニュースを5月にツイッターで知り「ああ、あの菊竹さんの建築か!」と認識したらしい。
実際に見た感想は?「……まだぼくも一般市民目線なんですが、『すごいな』とか『逆に新しいな』って感情しか出てこなかった(笑)。もっと知識があれば、もっといろいろ語れるのかな。周りからいい意味で浮いているのは分かるんですけれど、逆に目立ちすぎるっていうか。でも、いずれ仕事をはじめて、目新しい建築をつくりたいと思った時に、ここに来てこれを見たおかげで、『構造を外側に出して、テントみたいに吊るす』発想が出てくると思うんです。もし見てなかったら、たぶん難しい」と笑った。
「できるだけ残してほしかったですね、我々の立場からすれば。あれだけ贅沢なものはなかなかない。でも、再生したほうがよっぽどね。ここまで放っておくこと自体がいけなかったんですけどね」と残念がるのは、2019年5月まで建築関係の仕事をしていたという男性。
「だいたい新築から15年ぐらいしたら、サイクル的に1回、手を加えたほうがいいですよね。(施工後しばらくして雨漏りしたと聞いて)施工段階でそれなりのものにするための工法とかがあまりない中で、やったんでしょうね。漏水が起こること自体が……複雑な設計だったと思うから、なんともいえないんですけど」と旧市民会館から目を離さぬまま話した。
「高専(高等専門学校)の先生から授業でよく聞かされていて、有名な建築家の方が設計されたということで、どんな工夫があるのか、どんなデザインなのか見てみたくて」と話してくれたのは、15歳ぐらいの女子高専生数人のグループ。「物心ついた頃から閉鎖されたままだったので、地元なのに『あれ、なに?』みたいな感じで、お母さんに聞いてた」。入ってみて、どうでした?
「中のほうに、梁っていうんですかね。こう、いっぱい線があって、かっこいいなと思ったり、木製のサッシもすごい味を出してて、かっこよくて。正面のピロティーの部分のうねっているところもかっこいいなあ、って」
他県から来て寮暮らしだという別の子も「この建築を全然知らなかったので、これが有名だって学校に入ってから知った。でも『オペラハウスになんか似てる』って最初、思っていました。開いたり閉じたら、おもしろそうだな(笑)」と好きなタレントのことを語るかのように嬉しそうに話してくれた。
自転車に乗った中学生ぐらいの男女が、見学会が行われている建物の前で立ち止まった。
「なんかこれ、今日は中に入れるらしいよ」
「すっげー、おれも入ってみたかったなあ」
……ちょっと引いて考えてみる。見学会に来るのは「旧市民会館の熱心なファン」だけだ。16万人のうち、百何十人でしかない。そこでは、旧市民会館に対する肯定的な声しか集まらない。実は都城市に二日間滞在したのは、「見学会に参加しなかった市民の声」も聞きたかった、という意味もあった。
しかし、筆者が見学会以外で市民に無作為に聞き込みをしたかぎり、旧市民会館の解体に大賛成! という声はほとんど聞かれなかった。市民アンケートでは解体賛成が8割だったのだから、偏りがあったのかもしれないし、平成の大合併で都城市民となった方々(旧市民会館に思い入れのない人たち)に聞けば、まったく違った反応が返ってきただろう。
「すべての市民に愛されていた」とは言いがたいけれど、「多くの人に愛されていた」とは言えるかもしれない。なぜ、たかがひとつの公共施設がこれほど愛されるのか。
自分も地元にある市民会館で同様の発表会や成人式などでの思い出はあるが、仮に壊されたと聞いても、なんの感慨も湧かないのに。
取材をしながら、自分が若いころに乗っていたクルマのことを思い出していた。それは、イタリアの大物デザイナーがデザインした小型大衆車で、愛くるしい動物の名を冠していた。平面パネル&ガラスで構成されるなど徹底的に合理化された設計で、名車として誉れ高いクルマである。
しかし、10数年落ちの中古車だからか、80~90年代のイタリア工業製品品質のせいか、キャンバストップ(幌屋根)が走行中にいきなり開いたり、そこから雨漏りしたり、クラッチが踏切で壊れたり、マフラーが落っこちたり……たしか中古車屋で30万円ぐらいで買ったけれど、修理費は暮らしを圧迫する程度にかかったような気がする。
それでも、筆者はこのクルマが好きだった。まるで生き物のようにエンジンをうならせて走る“この子”を手放す時には涙した。
だからといって、あのポンコツ(愛をこめてこう表現する)を万人にすすめられるかというと、そんなことはない。なんといっても、好きだから乗っていられるクルマだからだ。タクシーとしてこのクルマに乗せられたら、十人中八人は怒り出すかもしれない。
いわゆる「あばたもえくぼ」ってやつだ。あるいは「手がかかる子ほどかわいい」――。
勝手な憶測だが、都城市民や見学会に来たみなさんは、不便な点もあるけれどそれを凌駕する個性を放つ旧市民会館に、そんな想いを抱いていたんじゃないだろうか?
滞在二日目の朝。旧市民会館は、前日のような人だかりもなく、静かにたたずんでいた。茂った草木に覆われ、鳥たちが羽を休め、たくさんの赤いトンボが飛びまわる。シータとパズーが発見したばかりのラピュタみたいだ。それは、見学会という最期の使命を終え、ゆっくりと自然に還ろうとしているかのようだった。
ひと気のない旧市民会館で、見学会での市の担当者の方とのやりとりを思い出していた。意外、というと失礼だけれど、彼はとてもフラットな姿勢で、率直に答えてくれた。そして、当事者でありながら、いや、当事者として、この問題をもっとも冷静に分析していたように思う。
以下は市の公式見解ではない。個人の感情が入った意見としてご覧いただきたい。
編集部 きょうは400人ぐらいの申し込みだったそうですね。
市担当者 けっこう県外の方が多かったので、ドタキャン的なものはあんまりなかったです。申し込まれた方たちは8、9割は来られたんじゃないかなと。市民がだいたい170人ぐらいで、あとは全部、市外でした。宮崎市とか近隣の方もいらっしゃるんですけれど。あと九州外が50名ぐらいです。
編集部 実際、惜しむ声を多く聞かれたんじゃないですか。
市担当者 そうですね。私たちも「いろいろあった施設なので、いろいろ言ってこられる方も、もしかしたら、いらっしゃるかもな」と思っていたんですけれど。でも県外の方を中心に、「最後の機会でこういう場をつくってくださって、ありがとうございます」など、逆にうれしい反響のほうが多かったかなと。
「この建物をなんで壊すんですか」と聞いてきた方も1、2名いらっしゃったんですけれど、それは「壊すべきじゃない!」という押しつけの意味ではなく、単純に疑問として。あとは最後に思い出づくりとして来られた方が多かったですね。
特に午前中に申し込まれた方たちが、県外の建築好きな方たちで、時間ぎりぎりまで熱心に写真を撮って……それがちょっと印象的でした。
編集部 市民のみなさんは割とサラッと見学を?
市担当者 そうですね。割とサラッと。5分後には出てくる方もいらっしゃって。ご高齢の方とか、そういう方がいらっしゃいました。
編集部 議会が解体を決定したわけですが、市の職員としては、この建築にどんな思いを抱いていますか。言いにくいところもあると思いますが……。
市担当者 私も入職当時は、旧市民会館も動いていましたし、イベントで私も携わったことがあるので、それなりの感情というのはあるんですけれど。この建物を1年、担当してきましたが、お話させていただいた建築関係の方たちの専門的な視点が強すぎて、それになかなか市民がついてこれていないな、というのが私の正直な気持ちです。
編集部 それは大切なご意見だと思います。
市担当者 先生方にも、「市民が盛り上がっていない以上、なかなかこの建物の保存は厳しい」とおっしゃる方もいるんですけれど。一部の熱心な先生たちは「建築の価値」とか、「世界で認められている」ことだけで、どんどん盛り上がっていって、市民が付いてこないというのが今回の一件です。
編集部 私も外から見ていて、やや温度差というか、断絶を感じていました。市としても、これを維持するのに税金が投入されるわけで、市民の理解が得られるのかがカギだと。
市担当者 そうですね。市としても10年前に一回、解体が決まった施設なので、基本的なスタンスはやっぱり「解体」なんですよね。でも評価が高い建物なので、「民間の会社の人たちが手を挙げれば、私たちも受け入れて、尊重して、対応してまいります」と続けてきたわけなんですけど、やはり手が挙がらなかった。
編集部 某学校法人が一度関わりましたが、結果的には塩漬けになってしまったみたいなところが……。
市担当者 その10年間がすごく大きかったなと思います。この10年間になんらかの動きがあれば。学校法人さんがなかなか手を付けられなかった時に、「いやいや、それはいかんですよ」と先生たちも1年ぐらい盛り上がったんですよね。あとはイコモスさんとか、学会とかが手を差し伸べて、なんらかの動きがあれば、それはまた違ったかなと、個人的には思います。
編集部 動き出すのがちょっと遅かった。
市担当者 はい。
編集部 そういう意味では学校法人に対して、「なんとかしてくれるだろう」とみんな期待していたのですか。
市担当者 どうなんでしょうかねえ。議会で「壊すべきだ」という議員さんもいましたし、学校法人さんに「使わないんだったら、どうにかしろ」という厳しい指摘も結構ありました。市としても学校法人さんに「使ってください」「ちゃんと活用してください」と何度もお声かけというか、お願いもしてたんですけれど……。
編集部 はたから見ている限りの印象ですが、建築家なのか、市民なのか、大学なのか、行政なのか、結局、当事者は誰だったんですかね? きっと誰かが守ってくれると、誰もが思っていたのか、だから誰が当事者なのか分かりかねるところがあったのかな、と。
市担当者 正直な気持ちとして――これは市の見解として捉えていただきたくないんですけれど――それぞれに不作為はあったんだと思います。市としてももっとなにかできたこともあっただろうし、学校法人さんももっと頑張らないといけないこともあっただろうし、学会さんとか専門家の方たちも、もっと早い段階からいろんな手を打っていけただろうし、市民もそこまで愛着のある方たちが少なかった。それぞれがそれぞれで、できることがあったのかなと。
編集部 なるほど。行政施設という視点で見た時に思ったのですが、このあたりだけ割と道が狭いですよね。あと大通りからクルマが入ってきたら、駐車場はどうするのだろうか、とか。
市担当者 そうなんですよ。もともと駐車場がない施設だったので。
編集部 やはり存在しないんですね。
市担当者 はい。昔、まだここが動いていた時には、隣の民間の土地(病院保有地)を市が借りていたんです。「もともと駐車場が足りない施設なので、民間活用するにしてもなかなかこういう地方都市では難しいですよね」という話はたしかにありました。
編集部 クルマ社会になって対応できないだろうという印象は持ちました。場所的にも時代に合わなくなってしまったのかなと。
市担当者 いま都城市は中心部を一番推しているところではあります。百貨店をリノベーションして、図書館をつくって、グッドデザイン賞にも選ばれた。その前に、学校法人さんが借りている間に、旧市民会館がそういう動きになれば、可能性ももしかしたらあったのかなあと思います。
編集部 タイミングの問題ですか。
市担当者 タイミングの問題はたしかにあると思います。いまや行政施設としてのニーズが、もうないんですよね、美術館、図書館的なものとしての。
編集部 「何にするか」「どう生かすか」と言ったところで、市としてもやりたくても、なにもやれないと。今回の一連の話のなかで、「都城市民の盛り上がりがないのは、こんなにいいものなのに、盛り上がらないのは、市民の意識や文化のせいだ」という専門家の声もありました。
市担当者 そうですね(苦笑)。民度の問題にもされて。
編集部 個人的に「それは違うんじゃないの?」と思いました。
市担当者 「古代の建築が尊ばれているなかで、近代建築は、なかなかまだ評価されない。それを評価していくように国なども動かしていかないといけないですよね」という話だと思うんです。「近代建築の価値を上げていくのは、あなたたちですよね」って、私たちも先生方とのやりとりで本当に言いましたし。
編集部 いま、これを3次元データにして残すと……。
市担当者 ああ、gluon(グルーオン)さん。そうですね。応援してくださる方も、2日間で目標額に達してすごいなあと。これまでは「これ、つくりませんか。ウン千万ですが」って営業の話ばかりだったんですけれど、gluonさんはそれらと違って、「クラウドファンディングでやっていきたい。営利目的はあまり考えず、ほんとにこの建築の価値を伝えたい」という話だったので。
編集部 それは市としても、うれしい話ですね。
市担当者 そうですね、はい。あと、まだあまりそんなに取り上げていただいてないんですけれど、市も建築学会さんなどと一緒に、映像作品をつくるんですよ。映像としてしっかり残して、それをデジタルアーカイブ化するっていうのは、市も進めているところです。
編集部 これからそれをつくるんですか。
市担当者 実はもう契約もしています。模型と映像と、記録集をつくる。市は学会さん、イコモスさんも協力をしていただくような感じです。外から見たら、市は学会やイコモスと対立の構図だと思うんですけれど……。
編集部 ええ(苦笑)。
市担当者 イコモスさんも一部突出している方もいらっしゃるんですけど、主な方々は私たちと何度も話をしていただいているので……。
編集部 市としてはやるべきことはやったと。
市担当者 そうですね。私たちは協力関係をいちおう築いているつもりではいます。
編集部 ご苦労お察しします。
市担当者 いえいえ。
二日目、午前11時頃。帰る時間が迫ってきた。
近隣の小学校を訪ねたら、ベテランの教員が対応してくれた(アポなしですみません)。「私も都城に長く住んでいて、子どもたちの発表会も、あそこでやっていたんです。個人的にあの舞台にはすごく思い出があって……。その当時のことを思うと、いろんな思いを込めて、発表会をした場所がなくなって、寂しい気持ちはあります」と話す。
防犯面については、「入ったらいけないところには入ったらいけないよ、と指導はしているので、特に子どもたちにとって危険ということはないんですけれど。それより交差点の見通しが悪くなっているので、壊すにしろ残すにしろ、交通安全のために整備はしていただかないと、という思いはありました」とのこと。交通量の増加は問題なようだ。
すると彼の口から、こんな話が飛び出した。
「この市民会館は長年愛されて親しまれてきた建造物なので、子どもたちの記憶にも残したいと、『都城市民会館カタツムリ千の記憶プロジェクト』が学校に来て、この建造物について『海外の建築の教科書なんかにも載っているんだよ』などとくわしいお話をしてくれました。それから3年生は社会科の一環として、中には入れなかったんですけれど、取り壊す前の建造物を実際に見にいきましたよ」
モノより、思い出。
2019年7月3日には前述のgluonが大雨にも負けず、デジタルデータを残してくれたらしい。それは素晴らしいし大切なことだ。同時に、記録ではなく記憶を語り継いでいる人たちもいることが分かって嬉しくなった。
そして、小学校の後にうかがった老舗の印刷会社でも……。
「ぼくも見学会に行きました。祖父と一緒にあそこの池にいる鯉にエサをやったこともあるし、成人式をした思い出もある」という若社長は、「風景として頭に残ってますもんね。シンボル的な意味合いで、使わないにしろ、保存はしてほしかったなあと思うんですけれど」と懐かしがる。
「近くの小学校にうちの子どもが通っていて、この間、授業の一環でどんな施設かを聞く機会があったそうです。それではじめて『ああ、そういう建物なんだ』と知ったみたいです」。おお、さっき聞いた話だ。そして、そんな彼もまた、彼なりに街の記憶として残そうとしていた。そして、こう言った。
「ぼく、8月3日に都城で行われる『盆地まつり』の実行委員長なんです。最後に思い出を残そうと、昔の旧市民会館の写真パネル展示をしようと思っています」
14時、西都城駅前から宮崎空港行のバスに乗った。次に都城に来た時には、盆地を這う愛すべきカタツムリは、この街から姿を消している。
解体は、宿命なんだと思う。残したくても残せないんだもの。でも、最終的にそれを決めたのはこの街に住む市民であり、彼らの代弁者である市議会だ。とやかく言う権利は、どんな高名な建築家にもどこの国際機関にもない。文句があるなら金出して自分ちの庭にでも移築してくれ。あるいはパトロンつかまえてきて「博物館 菊竹清訓村」をつくってください。個人的にはこのカタツムリの亡骸を、この地でもう土に還してあげたい。
“いろいろなことを「わかったこと」にしないことです。本当は「わかっていない」んです”
……さらに踏み込んでこの二日間のまとめを書こうと思ったが、菊竹氏のことばを思い出して、筆を止めた。ここまでつらつら書いてきたけれど、たかだか二日間滞在しただけで、都城のことも、旧市民会館のことも、分かった気になるべきじゃない。部外者には知るよしもない、もっともっとさまざまな事情があるのだろうと思う。この建築について、筆者はまだなにも分かっていないし、だから結論めいたことも書けない。
いや、ひとつだけ「分かった」ことがある。旧市民会館は、良くも悪くも、保存されても解体されても、いや名建築でも迷建築でもどちらでもよくて、とにかく素人のわたしの心を揺さぶり、「名建築の持続可能性」というものについて考えさせてくれた建築だったということ。こんな建築、そうそうない。
旧市民会館は今日までここに存在してくれた。おかげで筆者は都城に来られた。それでじゅうぶんだ。
いつの日か、東京かどこかで旧市民会館をVR体験できる日が来るだろう。そして、それでは収まらない感情を埋めるために、また都城を訪ねる日が来る。その時に、カタツムリを見に来た日の蒸し暑さを思い出すはずだ。