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建設人事のお悩みに圧倒的熱量で寄りそうメディア

土木写真家・西山芳一氏は「『土木には文化がない』なんて言わせない」という信念のもとにシャッターを切り続ける

編集部 2021年11月22日

日本で唯一の土木写真家、西山芳一氏(にしやま・ほういち)。建設系専門誌『日経コンストラクション』の表紙などを長らく撮影し、「土木写真」というジャンルをつくりだした。いまも『「土木を撮る会」代表として活躍し、出版した写真集・開いた写真展は数知れず、写真コンテストの審査委員や講演活動も精力的に行う。まさに土木写真のレジェンドである。

30年以上、ファインダー越しに土木現場を見つめてきた西山氏は、人材不足やICT技術の進歩によってこの世界がどう変わっていくと考えているのか。その胸の内を明かしてもらった。

記事初出:『建設の匠』2019年6月7日

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ダムとのストーリーは突然に

東京造形大学の写真学科に在籍していた頃、超大手広告代理店にアシスタントとして出入りするようになった。その才能は突出しており、半年も経たないうちにアシスタントを20人ぐらい率いるチーフアシスタントになったという。

「大学3年生で、ですよ。でも自分の作品の撮影のために北海道へ1か月行って戻ってきたらチーフからヒラのアシスタントに降格させられていた」

ここで責任者とケンカするも、今度は別の代理店から「うちで撮ってくれないか」とオファーが。この大手代理店が惚れる撮影の技術、大学ではなくこのような仕事の現場で学んだのだというから驚かされる。むしろ4年生の頃には西山氏が大学の教壇に立ち、4×5(シノゴ)カメラや大型ストロボの扱い方、アオリ撮影のやり方を仲間に教えていたのだとか。

この技術のルーツは、「理系脳」だった。

「中高生の頃、数学と絵画が好きでした。この両方を兼ね備えたものとして、工業デザインを仕事にしたいなと考えていた。でも志望大学の進学は難しいとなって、あらためて数学と絵心の合わさったものはないかと思案の末、出てきたのが写真でした」

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「数学と絵心が合わさる=写真」とはいったいどういうことか?

「写真とは“光の原理”を応用した、すごく素直なものなんですよ。光の原理はビリヤードと同じで幾何学に近い。だから幾何学を応用すればライティングも一発で決まる。私の写真は理系なんです」

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「中途半端なシンメトリーが一番嫌いでね」と笑う西山氏の写真は、たしかにシンメトリック(左右対称)な作品が多い。構図は集約点を最初に決めるのも特徴だとか。フィルム時代のモノクロ現像に際しては、温度管理はもちろん対数も駆使して、統計を取り、数値分析していたという。作品づくりがきわめてロジカルなのだ。こんなアプローチをする同業者はほとんどいないらしく、だから若くして企業に引っ張りだこだったのだろう。

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フリーとして独立した後、日本経済新聞社に出入りしていた西山氏。日経は来るべきインターネット時代の到来を見越して、建築物などさまざまな資料写真を撮影・収集していたのだという。そこで当時の部長に声をかけられる。

「『日経BP社から土木の専門誌が出るから、西山さん、やってみる?』と。『日経アーキテクチャー』がすでにあったにも関わらず、私に建築物を撮らせてくれていた人でした。そこで『日経コンストラクション』創刊編集長を紹介していただいたのが、土木の世界に足を突っ込んだきっかけです」

この話、実は伏線があった。大のクルマ好きである西山氏は、当時“ヨンク”と呼ばれていた四輪駆動車を駆り、スタジオ撮影仕事の合間に山の中を走り回っていた。

「ある時、車中泊しながら新潟の山の中を走っていたら、『十字峡』という渓谷があると地図で知った。それを見たくてジープを走らせて行ったんだけれど……ないんですよ。上から見たら山を切って、重ダンプがチョロQみたいに砂塵を巻き上げて走っている。『これは何をやっているんだろう?』と、飽きずに半日ぐらいずっと見ていた」

あとで分かったのだが、それは新潟県南魚沼市のロックフィルダム・三国川ダムの建設現場だった。以来、「いつかはあの現場の中へ入って、写真を撮ってやりたい」と思いを抱いていた西山氏にとって、『日経コンストラクション』撮影の仕事はまさに渡りに船。「これであの中に入れるな」とほくそ笑んだのは言うまでもない。

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土木を成り立たせる“人”のチカラに気付く

西山氏にとって土木の魅力といえば、当初はスケール感だった。

「最初はとにかく規模に魅了されていたんですよ。特に『日経コンストラクション』が創刊(1989年)してからの10年間ぐらいはアクアライン、明石海峡大橋など、巨大構造物がもう目白押しでしたから。毎月、撮影に行くたびに『うおおお!』『うおおおお!』の連続(笑)」

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当時で印象深い仕事は、最初の土木撮影である関西国際空港の連絡橋建設工事(1987年着工、1991年竣工)。2基のフローティングクレーンによって橋桁を載せる瞬間を目の当たりにした。

「土木のスケール観をどう表現するかはもちろん、土木の世界の中で人間がどのくらいの立ち位置にいるのかにも興味があった。だから人間を望遠レンズで撮っていました。ずっと霧が出ていたので、編集長に『もうちょっといてもいいですか』と頼んで泉佐野あたりに泊まり、4日目にようやく撮れたのかな。霧の中から工事現場が垣間見えた時は『いやあ、とんでもないことをやってるな』と興奮しました」

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この時望遠レンズで撮った橋桁の中でボルト締めする作業員のアップは、『日経コンストラクション』誌面の見開き2ページで使われ、大きな反響を得た。当時はブローニー以上のフィルムでしか撮らないなど、撮影機材にもこだわった。

やがて、土木の魅力はスケールだけではないことに気付く。西山氏はいまも「土木は、人の手」というテーマで撮影し続けている。土木現場では人間は何をやっているのか、どんな関わり方をしてるのかを――。

そして撮影の際に彼が心がけていることがある。それは“非・専門家視点”。『日経コンストラクション』という専門誌の表紙を長く撮影してきたのに、また数学は得意ゆえ、土木構造物を成り立たせる数式も理解しようと思えば理解できるのに……。

「現場に行って、所長と失礼のない会話ができるぐらいの知識は仕入れていきますよ。トンネルだったら『切羽』が分かるぐらい。でもその程度までにしているんです。あえて勉強しない。そこまで専門的になったら、自分の眼が技術屋視点になってしまうおそれがあるから。つくる人目線のカメラマンは他にいるので、私は道路の通行人や橋を渡る人など、あくまで使う人目線でね」

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土木写真の匠は、土木をつくる人間にフォーカスしてきた。……では、もし土木の現場から人間がいなくなったら?

そこに誰もいなくなるまで、土木現場を撮り続ける

ダムの建設現場では、すでに無人のICT建機が走り回っている。山岳トンネルの切羽工事もワンオペ化している。現場作業員を撮影しようものなら「(コンプライアンス的に)使えない写真ばかりだった」というぐらい安全面が軽視され、「3K」と言われていた現場は、いまではまったく様変わりした。完璧とは言えないまでも安全になり、きれいになった。それはもちろん良いことである。

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ただし、人間の手は、表情は、息遣いは徐々に見えなくなってきた。「時代の流れです。技術の進化で事故も減っていいことだらけなのだろうから、そればかりはしょうがない」と西山氏は言いながらも、「ちょっと、いいですか」とあらためて眼に力を込めた。

「私が撮っていてもっとも面白かった2000年前後は、シールドや堤防の工事で新しい工法がどんどん生み出されていた。基礎的な技術はもともとあったんだけれど、新技術が花盛りだったんです。ところがいまは、単に大きくて、あとはスピード化=コストカットの技術ばかり。その意味で、本当に技術は進歩したのか?」

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さらに言えば、新たなダム建設計画がもはや国内にはない現状で、ダム施工技術の伝承ができるのか。ダムの存在意義をしっかりと語れる人がいるのか。西山氏は「これからは学校で『ダムってなぜあるの?ダムで何をするの?』から教えなければいけないことになりかねない」とまで心配している。

昭和10年までに竣工した150~160基ほどのコンクリートダムには、表面に石を積んだ作業員の手の温もりが感じられる、と好んで撮影してきた西山氏。仮にロボットによる完全自動化が実現した土木現場を、土木写真の匠は撮りたいと思うのだろうか。

「それはそれで最初は興味あるだろうけれど、でも、やはり“人の手”が私のテーマのひとつ。たとえばダムの場合だと、最初に岩盤にコンクリートの馴染みをよくするために、モルタルを撒いて、それを手でこすっていくんですよ。岩の割れ目に全部です。あれは手でないとできない。それをロボットができるようになるのは、かなり後になるんじゃないかという気がします。ロックフィルダムの石を一個ずつ選んで載せて、コンコン、コンコンと積んでいくのも、機械が代わりに行うにはまだ時間がかかるのでは……」

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「あれはずっと見ていても、本当に飽きない。土木現場に人間が入る余地はまだまだ残っている、という気がします」と言う西山氏は、建設パーソンへ「やりがいを持ってほしい」とエールを送る。

「たとえばトンネルを撮っていて、一番ドラマチックなのは貫通の瞬間。それに向けてみんな毎日、同じことを努力してるわけです。貫通式も何度も撮っているけれど、その時の所長の涙を見てしまうと、やはり、やりがいやつくりがいを持ってほしいなと思います。そのトンネルがどれだけ社会に貢献するか、技術的に進歩したというよりも、自分が携わって、どんなものをつくったかという「甲斐」。「それを持て」というのは難しいんですけれど、一生懸命、現場に向き合って仕事をしてれば、絶対につくりがいは出てくるはず。

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まあ、とにかく、自分が喜べるのが一番ですよ。写真もけっこう自己満足な面があって、私も自分の好きなものを好きな時に撮ってきた。もちろん依頼を受けて撮影するのが生業ではあるんだけれど、最近歳を取ってわがままがきくようになってきちゃった(笑)。まあ、好きにやってます。私は幸せですよ」

西山氏はいたずら好きな少年のように笑った。

「土木の文化」をつくる者の矜持

デジカメやSNSの普及により、ダムをはじめとした土木写真を撮る人が増えてきた。インフラツーリズムも盛んになってきている。以前は発注者や建設コンサルタントから「見る専門家として意見が欲しいので委員会に出てください」とよく依頼されたという土木写真家として、土木ファン・土木写真ファンの裾野の広がりをどう考えているのかを尋ねると、「本当はもっと土木現場を撮って、それで食べていける人間が増えてくれてもいいのかなと。でも、なかなか広がりませんね」とつぶやく。すこし寂しそうに見えたのは、気のせいだろうか。

たしかに建築写真家を名乗る人の数に比べ、土木写真家は圧倒的に少ない(仮に西山氏の弟子を含めても数人)。たまに建築物撮影の仕事が来ても、仲間の建築写真家に振るのだという。やがて建築と土木の写真について話が及んだ。

「建築も土木も扱うゼネコンは、撮影のために社でカメラマンを抱えます。そのカメラマンには『建築の方が写真的に上位』という考え方があって、いずれは建築を撮りたいという願望がある。土木現場でも、『本社からカメラマンが派遣されるんですが、下っ端しか来ないからいい写真が撮れないんですよ。だから、西山さんにお願いしました』とこっそり言われることもあった」

だからか、建築写真家と飲むとケンカになるんだ、と冗談めかして言った。「建築という他人の作品を撮っているのが建築写真家だ。仏像を撮ったり、絵画を複写しているのと変わらないじゃないか」と。

そして、こう言い切った。

「以前は『土木に文化はない』とのたまう輩もいたぐらいですが、それじゃあいけない。こんな素晴らしい被写体は、他にない」

土木の文化の一端は、俺たちがつくる。そんな匠のプライドと信念が、ひしひしと伝わってきた。

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