”武道の殿堂”であり”音楽の殿堂”でもある日本武道館。
東京2020オリンピックに向けて、中道場棟の新築工事、そしてわれわれにとってなじみ深い本館の改修工事がおこなわれた。
しかし、もともと短い工期という難題に加え、天はこれまでにない試練を与えた。そう、いまも続くコロナ禍である。
人は、ひとりでは実にちっぽけな存在だ。集まり、話し合い、力を合わせることで、人には何ができるのか。そこには何が必要なのか。そして、どうやって苦難を乗り越えたのか。
後編も引き続き、施工者である竹中工務店の奮闘ぶりに迫る。
※所属・職位は取材時のものです。
記事初出:『建設の匠』2021年1月15日
そろそろ、⽇本武道館改修⼯事ならではの苦労や工夫に迫るとしよう。
まずは、あの⼤きな屋根の頂点にそびえる特徴的な”⽟ねぎ”こと擬宝珠。実はあれが⼯程上、最⼤の難関だったのだとか。擬宝珠の改修を終え、⾜場を外さなければ、屋根の張り替え⼯程へ進めないのである。
「擬宝珠を早く終えて、屋根⼯程に渡してあげる作戦を提案したら、⽇本武道館さんが認めてくれたので助かりました」
その余勢を駆って、大屋根の張り替えへ。ところがこれがまた厄介なシロモノで……。
「緑⻘⾊でも8種類あるんですよ。緑⻘だけで8種類って、なかなか想像つかないですよね」
瀧澤さんが苦笑しながら話す「8種類の緑⻘」。⼭田守建築事務所のアイディアで、元来の銅板屋根の⾵合いを再現するため、8種類のカラースキームからなる元旦ビューティ⼯業製ステンレスパネルを採⽤したのだ。
単⼀の緑⻘⾊を貼れば、ベターッとした単調な⾒た⽬になってしまう。微妙に違う緑⻘⾊のパネルをランダムに貼れば、50年かけてまだらに緑⻘化した銅板屋根がよみがえる――。
あの広⼤な本館屋根は約8,000平⽅メートルもあるという。当然、⼿作業……。気が遠くなる。
「事前に何度も⾒本でつくったけれど、それでも2、3回間違えるぐらいの難しさでした。なにしろほとんど同じ⾊なので……(苦笑)。
そこで個々にナンバリングしたり、裏板の⾊を変えて『この⾊の裏板にはこの⾊の屋根を載せる』といった⼯夫をしました。本番では1回も間違えることなく、2019年3⽉頃に開始して、10⽉にはこの⼯事がだいたい終わりました」
ここで、副部⻑で設備長の⻄出和弘さんにも話を聞いてみよう。建築担当の瀧澤さんとは10年前の地下劇場のある観覧場の新築(文京区)以来、⼆度⽬のタッグとのことで「あの現場では⼤変でしたねぇ」と笑いあう関係だ。
⻄出さんによると施⼯のキモとは、「まず⼯程ありきですね」。
※取材は2020年7月。社会的距離を保って実施、インタビュー時はマスクを着用
「お客様(建築主)からいただいたスケジュールの中で、モノ(資材など)の発注などを早く決めて進めていくことが私たちゼネコンの使命であり、それが⼀番⼤切です。⼈がナンボいたところでも、モノが⼊ってこないと⼯事が進まない。いかにお客様や設計事務所とコミュニケーションを取りながら、早め早めにものを決められるかが重要。そうしないと、決められた⼯期内に収めることは難しいでしょう」
先⾏して⼯事を進めていた中道場棟建設時、1年ほどの時間的猶予があったため念⼊りに現地調査をおこなった。
ところが、また難題が。
ほぼ1年中スケジュールが埋まっている⽇本武道館の稼働率の⾼さ、設計事務所の現地調査などの兼ね合いで、竹中工務店自体の調査時間を取るのに苦労したのだ。
キモは空調である。50年前では考えられないぐらいに⾼温多湿化した⽇本で、最新のエアコンは不可⽋。しかし竣⼯当時はエアコン設置が前提になく、いくどかに渡る⼯事でバラバラな形式でもって増設されてきた。
今回、⻄出さんは現代⽇本の気候に対応できるよう、最新の空調機器ですっきり納めたいと考えた。すると今度は56年前の躯体がネックになる。むりやり今ある場所に納めようとしても納まりきらず、天井の位置を下げることになり、部屋が狭くなる。
【設計編】をお読みいただいた⽅にはお分かりのように、相⼿はこだわりの強い意匠担当・植松千明さん。「それだとちょっと意図が違うので」という彼⼥と何度もラリーし合ったそうだ。それに加えて建築主である⽇本武道館からの要望も――。
日本武道館をアップデートせよ―山田守建築事務所の挑戦【後編】
「デザインを考えながら⼯夫してうまく収めるのが、今回⼀番⼤変だったかなぁ」
当初、全⾯建て替え案があったことは【設計編】で述べた。設備施⼯担当としても、ゼロベースでやった⽅がはるかに⾃由度が⾼くてラクだっただろう。しかし⻄出さんはそれを否定する。
「『壊して新築したほうがいいんじゃない︖』という考え⽅もあるんでしょうけれどね。でも私は、何⼗年か前にこの会社に⼊社するときから、⽵中⼯務店のなかでこの⽇本武道館が『当社がつくったメジャーな建物』だと思っていました。だからこの建物を改修できたのは、なんだか縁を感じるし、思い⼊れも深い」
⻄出さんは今回、若⼿社員ふたりと中道場棟の新築から本館改修まで携わって、思うところがあるそうだ。
「われわれゼネコンは、施⼯したものを1年後や2年後、さらには10年後もちゃんと使っていただけるようお客さんにアドバイスするのも仕事のひとつです。ときには設計事務所にも『なぜそれをやるのか。これじゃ1年後に不具合が起きてしまう』などと⾔うべきところは⾔う責任があると思う。
『図⾯どおりにやります』『設計図のとおりに⾊を決めました』じゃなくて、⾊をひとつ付け加える提案をするとか、そういうことをジャッジしたり提案したりできる担当者になってほしいなと思いますね、若い⼈たちには」
ちなみに、今回「⻄出さんにもぜひインタビューを」と推薦したのは、さんざんやりあったであろう、当の⼭⽥守建築事務所の植松さんである。
次の改修までの20年後や30年後、また⽵中が関われるかどうかではありますけれど、としながら⻄出さんは照れ臭そうに⾔った。
「⾃分のやり⽅を仕事のなかで教えられたかなぁとは思うんです。今回の⼯事で図⾯をCAD化して残せました。それをうまく活⽤できれば、次は今回みたいな苦労はしなくても済むかなと。まあ、また時代の流れによって、やり⽅も違ってくるでしょうしその都度⼤変なこともあるんでしょうけれど、うまくやり⽅を伝承してくれるんじゃないかなと思っています」
話を聞きながら、ふと「想いをかたちに 未来へつなぐ」という⽵中⼯務店が掲げるメッセージを思い出した。想い、か――。
設備担当の⻄出さんは図⾯で苦労したと主張していた。なるほど。建築計画を取り仕切った瀧澤さんがもっとも苦労したのは、やはりオリンピックに間に合わせるタイトな⼯期だったんでしょう、と尋ねた。
すると「うーん……。やはり施⼯図⾯ですねぇ」。
……えっ、⼯期は⼼配じゃなかったというの︖
なにしろ、新国⽴競技場をはじめとした東京2020オリンピック会場は、ほぼ2019年のうちに⼯事を終わらせている。それからオリンピック向けの準備を約半年かけておこなっている。
そんななか、⽇本武道館は着⼯も完成もタイミングがもっとも遅い。当初の予定では2020年6⽉末竣⼯。⽇本武道館での競技実施は7⽉24⽇。かつての東京1964オリンピックの8⽉15⽇竣⼯→10⽉15⽇競技実施よりタイトな⽇程である。⼯事終了と同時、いや並⾏するぐらいのタイミングでオリンピック準備をはじめなければとても間に合わない。
そこへ襲いかかったのが、新型コロナウイルスである。感染拡⼤に伴い、IOC(国際オリンピック協会)は2020年3⽉30⽇に2021年夏への延期を発表。そして4⽉16⽇、政府による緊急事態宣⾔が発出された――。
この当時、建設現場のコロナ感染者が各現場で確認され、⼤⼿ゼネコンは⼯事の⼀時中⽌を決断した。
そんななか、瀧澤さんらは……︖
「4⽉に緊急事態宣⾔が出てから調整しました。もともとは⼟⽇もぜんぶ稼働する予定だったのを、4⽉は⼟⽇すべて休みにしたし、ゴールデンウイークも11連休にしました。他社が現場閉鎖する話が出てきたときには、やはり不安にもなりましたよ」
緊急事態宣⾔発出時、現場では350⼈の職⼈さんがいた。
「『本当は出たくないけれど、出させられているんだ」という職⼈の声もちょっとあがっていたので、『無理に来たくないメンバーはもう休んでほしい』と」
そうは⾔いつつも「引き続き働きたい」という職⼈さんもいたため、結局は150⼈ぐらいになったという。
繰り返すが、当初の⽬標は東京2020オリンピックに間に合わせること。ゴールが遠のいてしまった以上、不透明な状況下でリスクを負ってまで⼯事を進める必要はない。「引き渡しを6⽉末から7⽉末へ1か⽉、延ばしてもらいました。ストップが決まったタイミングで、⼿がついていない箇所もあったので、そこは⼯事を⽌めました」
イレギュラー要因もあって、やはり⼯期の件は⼤変だったのでは。東京2020オリンピック延期の報には正直ホッとしたのでは……︖ しつこく聞いても、瀧澤さんは表情を変えず、きっぱりと⾔う。
「ホッとした……というのとはちょっと違いますね。それを⽬標にやってきたので、むしろ拍⼦抜けという感じ。厳しいミッションだったけれど、それが達成できるところまでほぼほぼ⾒えていましたから。
実は6⽉末引き渡しといいながら、5⽉中頃にはおおかた終わらせようと進めていたんです。『オリンピックの準備⼯事が⼤変そうだな。工夫を凝らして、ちょっとでも早く終わらせてやろう』と思っていた」
実は⼯事完了後の試運転や諸官庁の検査中に、同時並⾏でオリンピック準備のための⼯事を進められるようにと、彼はオリンピック組織委員会と打ち合わせをしていたそうだ。
「本当は今年オリンピックをやってもらったほうが、現場が『こんなにタイトな⼯事だったのに、おれたちうまくやったんだな』という達成感が、もっと湧いたと思うんですよね」
瀧澤さんいわく、タイトな⼯程にもいろいろあって、予定外にタイトになれば、いわゆる突貫⼯事をおこなう必要が出てくる。
しかし最初から「こういうタイトな現場だけれど、みんなで頑張ろうぜ」と段取りすれば、みんなが「そうだね、頑張ろう」と同じ⽅向に向かって⾛れるのだとか。
「計画どおりタイトなのか、予定外にタイトになるのかは違うんですよね」。瀧澤さんはさらっと⾔ってのけた。⽇本武道館改修⼯事は計画どおりのタイトさだったというのか……。おそろしい⼈!
これは⽵中⼯務店にかぎらないけれど、建設業界において施⼯管理という「調整役」はつくづく⼤変な仕事だと思う。関係各所からいろいろな球が⾶んでくる。すべてとラリーをする余裕はない。でも打ち返さなくてはいけない。
「イージーだけれどたくさん⾶んで来る協⼒会社からの球、正⾯から来るよけられない設計事務所の球、⾜元から来る難しい建築主の球、後ろからくる所内からの球とか(笑)。だから『リターンエースを返せるようになろう。リターンエースを返すためには、常⽇頃から問題に相対しなきゃダメだよ』と⾔っています」(瀧澤さん)
理想とする施⼯管理は「イメージとしては、パシュートみたいな感じ」と瀧澤さんは⾔う。3⼈ひとチームで縦⼀列になってタイムや順位を競う、スピードスケートのあれだ。空気抵抗を軽減させるためみんなまったく同じ姿勢をすることもあれば、それぞれがバラバラな動きをして滑っているときもある。
でもとにかく、みんなで前を向いて進んでいる。
「現場って、みんなが同じ⽅向に向かって動かないと、ムダな作業が多くなるんですよね。でもみんなが同じ想いで同じ⽅向を向いていれば、ちょっと脱線しても多少曲がってもいいと思う」
彼はこう⾔う。その道のプロでありたいと。プロの施⼯管理者でありたいと――。
すてきな建築ができると、とかく意匠設計を⼿がけた建築家の名ばかりが取り沙汰されるけれど、実はその裏に「名施⼯管理者」がたくさんいる。世間のみんなはもっと、彼ら施⼯管理の匠の技に⽬を向けてほしい。そう願わずにはいられない。
そんな彼らのプロフェッショナリズムを⾒て、次世代の施⼯管理が育っていく。「おれたちの背中なんて、⾒てくれているかなぁ」と笑いあうふたりは、まったくのシロウトである筆者にもまぶしく⾒えた。
今後、この日本武道館施工で得られたノウハウは、社内であらためて共有していくのだという。山田守建築事務所と同様に、竹中工務店施工管理のワザは、″武道の殿堂″の数十年後のアップデートにいかされていくはずだ。
※クレジットの入っていない写真はすべて編集部撮影