2020年2月のある日曜の朝。秋葉原にほど近い神田須田町の「海老原商店」前に、カメラを構えた“看板建築画家”はたたずんでいた。
彼は2020年2月末に『東京のかわいい看板建築さんぽ』(エクスナレッジ)を上梓したばかりの宮下潤也さん。
2019年12月に発売された初の単著『看板建築図鑑』(大福書林)に掲載されている海老原商店のアイソメトリック図を見ながら、当主の海老原義也さんとまるで答え合わせするかのように建物内をめぐる。
昨年5月に刊行された『看板建築 昭和の商店と暮らし』(TWO VIRGINS)の制作に携わって以来、10か月以内に2冊を出版。過去に出版実績のない人が、ここまで立て続けに本を出すのはそうあることではない。そして、いずれも各方面から注目を集めている。
31歳(2020年2月現在)とまだ若い彼が、なぜ戦前の看板建築をテーマに出版するのか。そしてどうやってこのハイペースな執筆・制作活動をおこなっているのだろう。
記事初出:『建設の匠』2020年3月5日
一品モノのものづくりをしたい
宮下さんは物心ついた頃からレゴにハマり、中学時代には2mものタイタニック号をつくったほど。また父親の影響で自動車や飛行機、戦車に戦闘機などのミリタリーものにいたるまで、さまざまな絵を描いていた。プラモデルも好きで、中学生の頃にはガンプラやジオラマ制作に没頭する。
レーザー距離計を使用し、ファサードの高さなどのデータを取得
パースが付かないように高い位置からファサードを撮影
メカが好きな宮下少年は、ロボットをつくる将来を思い描いた。しかし大学のロボット工学の現場を見学してみたら、自分はロボットの中身よりもデザインに関心があったと気づく。そこでカーデザイナーの道も模索した。ただそれはあまりにも狭き門ゆえ、「量産車のサイドミラーのデザイン」など、大量生産的かつ限定的な部分にしか関われない可能性もある。
どうせなら自分の思い描くモノをいちからカタチにしたい。そうした想いから、設計者の意図が反映されやすく、スケールの大きな建築設計の道を志すようになった。実務ではなかなか自分の思い描くカタチを、というわけにはいかないけれど、いつか乗り手を選ぶ流麗なスポーツカーのように、尖った一品生産モノを生み出したいと思っていた――。
3年前の秋、埼玉県川越市を訪れた宮下さんは、古い街並みの中にたたずむ看板建築に出会う。
江戸東京たてもの園の看板建築(編集部撮影)
「看板建築自体は大学の勉強で知っていたんですが、当時はそこまで興味が持てなかった。でも川越に行ってあらためて、大正や昭和初期のデザインの豊かさや、そのおもしろさに気づいたんです」
看板建築は、関東大震災後の東京で生まれた商店建築のひとつ。ファサード(正面部分)を文字どおり“看板”のように銅版やモルタルで飾っているのが特徴だ。建築家・建築史家の藤森照信氏が1975年にそれらを「看板建築」と命名した。
……そういえば看板建築は、まごうことなき「一品生産モノ」だ!
「そうなんです。まちの大工さんや左官屋さんの創意工夫によってへんてこなリリーフや造形が盛り込まれた看板建築は、とてもオリジナリティあふれるものなんです。自分が手を入れる箇所が残されているのは、とてもいいなぁと。自分の好きなモノを突き詰めていったら、その延長線上に看板建築があった」と話す宮下さんは心底嬉しそうだ。
タイルの寸法をメジャーで測り、スケールの参考にする
「ほらあそこ、タイルが欠けて中の木柱が見えます。これが木造だって分かると、ちょっと親近感が湧いてきませんか」
「看板建築に関する書籍を調べてみたんですが、藤森照信さんの著作物以降はほとんど出版されていませんでした」
その価値は一部では認められているけれど、それほど浸透しているとはいえない。たしかに川越に来る人は、古い江戸の街並みは見ても、看板建築には目を向けていなかった。いずれなくなっていくかもしれない看板建築を、なにかしらのカタチで残していく方法を考えたい……。
そこで宮下さんは決めたのだ。「2018年の年初に、『3年以内に看板建築本の出版』をいったんのゴールにしよう」と。
「看板建築」×「〇〇〇〇」=出版?
「趣味なのに、なぜいきなり出版をめざす⁉」と驚かれるかもしれないが、そこには彼なりの理由がある。
そもそも、宮下さんは″看板建築画家”が本業なわけではない。平日の顔は、ゼネコンで建築設計を手がける一級建築士だ。
自分の筆で大きなものがうみだせる建築設計の世界に魅力を感じ、デザインを学んで、ゼネコンに入社した。ただゼネコンで働いてみて、仕事で携わる最新の現代建築より比較的古めの建築が好きだと彼は気づいたのだ。
「好きなものが好きなままでいられるように、古建築の嗜好は自分の趣味の範囲(イラスト制作)で昇華していけたらな、と」
そうはいっても建設現場にいた頃は忙しく、なかなか家に帰れないこともあった。設計部門に移ってようやく時間が持てるようになったら、今度は一級建築士の勉強に追われるようになり、イラストを描く時間を確保できないでいた。
「そんなタイミングで、イラスト制作を再開したいと妻に相談したんです。すると『やるなら趣味ではなく、プロフェッショナルとしてお金を払ってでも見たいと思われるような作品をつくること』というお題を与えられました」
プロとして作品を発表する、という提案。自分の好きになれるもので、かつ多くの人に共感を与えることができるものは、いったいなんだろう……と彼は考えはじめた。
そこで話は看板建築に戻る。
「建物の立面図を見るのが好きで、19世紀ヨーロッパの建築図面集にも平面図とともに立面図が載っているのを見て、カッコいいなと思っていました」という宮下さんは、立面図にフォーカスを当て、看板建築を描いたイラスト集が過去に存在しないと気づいた。コレだ……!
実は看板建築が盛り上がりそうだと思える火種があった。
「2017年に石岡市で『全国看板建築サミット』がはじめて行われて、その時には藤森照信先生も登壇されています。さらに2018年3月には東京たてもの園で日本で最初の『看板建築展』が開催。以来、看板建築に興味を持つ人が増えた。そういった盛り上がりもあって、これからは看板建築が来るな、と(笑)」
こうして「看板建築」×「イラスト制作」=「看板建築の立面図を描いて出版」という等式が導き出されたのである。
徹底した進捗管理で作業を「見える」化
『看板建築 昭和の商店と暮らし』『看板建築図鑑』に掲載されたイラストは、完全デジタル環境で制作されている。
「イラストは1週間に1~2枚のペースで描いていました。手書きだと制作予定時間内に収まらないので……(笑)。フリーのJw_cadを使って写真から線画を起こし、それにフォトショップで色づけしています。看板建築の特性として、パーツの反復が効きます。パーツをひとつつくれば複数コピーできたり、反転させることで対応できる。そのあたりはデジタルの良さを使える。色はフォトショップを使って、マウスやペンタブで塗りました」
工程は写真の入手、加工、線画トレース、着彩という4つ。どの絵をどこまで進めたか、テキストはどこまで描いたか。進捗管理のために下のような工程表をつくったそうだ。
実際の建築施工管理工程表のように緻密
こうしてできあがったのが、こちらの3冊。
『看板建築 昭和の商店と暮らし』(TWO VIRGINS)
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『看板建築 昭和の商店と暮らし』は、「看板建築」の名を冠した20年ぶりの本である。まずそれだけで価値がある。内容はというと、実際に住んだり使ったりしている人のインタビューや、すでになくなってしまった看板建築の図版を収録。
看板建築のイラストを描いてせっせとブログやTwtter、Instagramにアップしていた宮下さんの活動に目を留めた編集部が声をかけてきたのだとか。結果としてはイラストだけでなく、文章も寄稿する運びとなった。「老若男女問わず手に取りやすく読みやすい体裁になっていて、入門書としてもおすすめです」と宮下さん。
『看板建築図鑑』(大福書林)
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イラストから文章まですべてを制作した『看板建築図鑑』は? 「図鑑という性格から資料性も重視し、ここ十数年のあいだに書かれた近代建築調査資料の書き方を踏襲して文体も硬めにしています。専門用語も臆面なく使っているので、専門用語を補足するため各部名称説明のコーナーも充実させました」。やや専門的だけれど、イラストを眺めているだけでも心ゆくまで楽しめる。
筆者が「これはイイ!」と思ったのは、上製本(ハードカバー)ならではの重厚感ある見た目を裏切る重量だ。持ち上げるとその軽さに驚くほど。だから、とっつきにくさがない。「さすが、よくお気づきで。本をめくるときに、ちょっとしなるぐらいの感じを追求した結果、この装丁に落ち着きました。気軽に手に取ってもらって、日常の一部として眺めてもらいたくて」とニコリ。
制作にあたっては、多くの看板建築を取材した。自転車を飛ばしてできるだけ実地調査しつつ、遠方であれば知人に写真を撮ってきてもらったり、編集者から声をかけてもらったり、逆に看板建築の写真を撮っている人に「使わせてほしい」と頼んだりしたそうだ。3冊中、もっとも手間ひまがかかっている労作である。
宮下さんが足で稼いだレトロ建築マップ。赤い印が看板建築だ
『東京のかわいい看板建築さんぽ』(エクスナレッジ)
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そして、2020年3月1日に発売された『東京のかわいい看板建築さんぽ』。『〇〇建築さんぽ』シリーズの一巻である。「東京都内の看板建築を訪ねられるような本をつくりたい」という編集部の要望に沿って、看板建築が集中して存在するエリアに絞り、物件セレクトや撮影のポイント整理、紹介文の執筆をおこなった。タイトルからお分かりだろうが若い女性をターゲットにしており、あまり専門用語は使われておらず、文体もやさしい(もちろん男性でも楽しめる)。
「『東京都内で現在も営業中、見に行ける建物に絞って紹介』という制約があったため仕舞屋(しもたや、廃業店のこと)をチョイスできず、また他書籍ともできるだけかぶらないように……」とセレクト時の苦労を明かすも、「ただ、そのセレクト過程であらためて見返してみると、これまで印象に残っていなかった物件のおもしろさに気づいたり……それがプラスに作用して、いままで載せなかったようなことまで盛り込めた。結果的にバラエティ豊かな内容になったんじゃないかなぁ」と満足げに話した。
保存のために自分にできることを探して
宮下さんが関心を寄せる戦前の看板建築は、基本的には個人経営の商店や邸宅である。
「『看板建築図鑑』で触れていますが、茨城県石岡市では土屋辰之助という左官職人が大火後につくられた看板建築のほとんどを手がけています。いっぽうで都内は全国から震災復興のために集まってきた全国の大工さんたちが、バババーッと勢いでつくった。だから建築的に見ればチグハグな部分もあって、当時の建築家には『百鬼夜行』と評され、無秩序で劣ったものとみなされていたほどです」
思いがけない場所に階段があったりする
名もなき大工たちのオリジナリティあふれる建物に、藤森照信ら東京建築探偵団が着目して名を授けられた「看板建築」。裏を返せば、それまでは建築界から見向きもされない存在だった。「看板建築」は蔑称に近いニュアンスで使われていた時期もあったんだとか。
関東を中心に存在する看板建築は、都市開発の波に呑まれて急速に失われつつある。日本建築学会が名建築のように保存活用のために声明を出すでもなく、行政が保存のためにお金を出してくれるわけでもない。気がついたら駐車場やマンションに――なんてことはザラにある。
台所の地下には防空壕の跡も
歴史の違いはあれど、京町家がセレクトショップや宿泊施設としてリノベーションされ、外国人観光客にも大ウケしているというのに、かたや関東代表の看板建築は壊されるばかりだなんて、実にもったいないと思うのだけれど……。
「ここはウチを含めて4軒の看板建築が並んでいたんですが、壊されて隣もコインパーキングになって……。ぜんぶ壊して大きなビルでも建てたほうが、お金になるし効率的かもしれない。でも、ぼくの価値観はそっちじゃなかった」
「建物を残し、しかもただ残すだけじゃなく活用して、コインパーキングに負けないぐらいの価値を提示したい。改修するなら本物にこだわってやってやろう! と思って」
そう語る海老原義男さんは、2016年から2年ほどかけて先祖から受け継いだ海老原商店をリノベーションした。木・土・草など建築当時と同じ資材による伝統工法にこだわったはいいものの、資材手配や職人探しに相当苦労したそうだ。
現在はギャラリーやイベントスペースとしても使用されている海老原商店。せっかく魂を込めてリノベした看板建築が世間から忘れ去られていくほど、悲しいことはない。
だから海老原さんは宮下さんの活動に感謝し、その心意気を嬉しく思っている。
「もうホントに、ありがたい限りです。リノベをしてくれた建築士さんは、『建物の価値は、いかに頑丈につくるかではなくて、いかに人に愛される建物であるか。それが結果的に建物の寿命につながる』とおっしゃっていました。目の前のビジネスホテルに比べたらウチは頑丈でもないですけれど、建物を愛してくれる宮下さんみたいな方が少しでも増えてくれれば、ウチの建物もきっと長生きできると思う。その言葉を胸に、ファンをひとりでも増やせればと考えています」
出版記念イベントやトークライブを開催すれば、参加者は女性の割合が多いという。海老原さんのように、宮下さんのもとには持ち主からの共感や期待の声も集まっている。
「図鑑のイラストを見て『きれいに描いてくださって、ありがとうございます』と感謝されることもあるし『ウチ、意外といいじゃん』と驚かれることもある(笑)。この本によって、看板建築の評価がもっと高まっていけばいいなと。
看板建築のファサードを趣味的に撮影する人は、実は潜在的に存在しているんです。持ち主もそれは薄々勘付いていて、自分の家の画像がインターネット上にあがっていることも知っている。だから、あらためてこうした書籍にまとめられることには、好感をもって迎えられている印象です」
「建築にちょっとくわしい知人でも、“看板建築”という名称を知らなかったりするんですよね。そんな人たちに『看板建築って、こういうものなんだ』と知っていただく機会が広がったんじゃないかなぁ。
いままでなんとなく眺めていたものに名前が付くのって、人にとっては快感だったりするんですよね。『看板建築を意識して見るようになったよ』と言われると、(本を)出した意味や意義はあったのかなと感じています」
″藤森照信後”の看板建築界において、20年ぶりに出版された宮下作看板建築本は新たなブームの牽引役となるかもしれない。そう口にしたら、宮下さんにやんわり否定された。
「いえ、ブームだけで終わらせないようにしたいんですよね。いい建物を残せるんだったら残したいし、残ってほしい。その残し方っていろいろあるけれど、持ち主が身銭を切って苦しい思いをしてまで残していくのは、ツラくなると思うんです。
もっとポジティブに、『こういう使い方だったら自分も残したい』『間借りをして、ここでこんなお店をやってみたい』という人がひとりでも多く現れたら、建物は延命できる可能性があると思う」
建築界隈に正当に評価されていない建築はまだまだあるように思う。看板建築だけでなく、純喫茶建築や銭湯建築、あるいはラブホテル建築や遊郭建築……。サブカル方面でニーズはあるのだから、建築の専門家視点やそのお墨付きがあれば、もっとブレイクするのではないか。
「どんな層に向けてプレゼンテーションをするのかは大事ですよね。路上観察学会は、一般の人でも楽しめる趣味として提唱していましたから。わたしが自分を専門家と言っていいのかはさておき、資格(建築士)持ちのひとりとして『こんな部分がおもしろい』と提案するのが自分の使命かなと」
看板建築については3冊を出してひとまずやりきった感があるそうだが、自分の専門分野と趣味を掛け合わせた「建築×イラスト」で引き合いがあったり喜んでもらえるのなら、建築の魅力を伝えるためになにかできることをしたい――宮下さんはどこまでもおだやかに笑った。
建築を愛することは、自分が住んでいる街や生活空間に対する視点を変える機会になる。これまで光が当たらなかった場所を照らそうとする彼の、次なるアクションが実に楽しみだ。