出版業界はジリ貧である。1996年以来、業界売上は上を向いたことがない。出版社は刊行数を増やしまくる自転車操業を強いられ、コンビニの雑誌売場は縮小し、書店数は減る一方だ。
そして出版業界(というよりメディア業界全般)は、ワーク・ライフ・バランスや働き方改革からはかなり遠く離れたところにいる。「夜討ち朝駆け」という言葉が誇らしげに語られたり、休日出勤や長時間労働が当たり前だったり、末端の制作会社では給与が泣くほど安かったりする。
つい昨年まで業界に身を置いていた筆者も「朝4時にロケ地(注:伊豆の山奥)現地集合ね」という編集部に在籍したこともあるので、それらは身に染みて分かる。
こんな調子なので、最近はメディアが「ニッポンの企業は働き方改革が必要であーる、ワーク・ライフ・バランスを推進させるべきな」と声を張り上げるたび、各方面から「オマエもな」と突っ込みが入るところまでがデフォルトになっている。そのせいか、マスコミ志望者は減るばかり。
かたや、建設業界も過重労働などによって人材不足が叫ばれている。それでは、建設業界の書籍・雑誌出版の世界はどうなっているのだろう。調べてみたら、そこに一筋の希望の光があった。月刊誌『建築知識』(エクスナレッジ刊)だ。なにしろ斬新な企画を次々と実現させ、完売号を連発しているというのだから!!
この出版業界期待の建設パーソン?いや、建設業界期待の出版パーソン? に成功の秘訣を聞くため、編集部は乃木坂へおもむいた。
記事初出:『建設の匠』2019年4月17日
雑誌から書籍への構造転換
『建築知識』は1959年発刊。今年、創刊60年を迎えた建築業界の老舗雑誌だ。創刊当初は木造住宅の建築に際し、いまのように国が明確な法的基準を設けておらず、安全面や構造的な基準がまだまだ定かでない頃、職人さんが机の中にしまっておく「あんちょこ」的な存在だった。現場におけるひとつのメートル原器として、大きな役割を果たしていたのだとか。
しかし、いまはどうか。編集長かつ同社副社長の三輪浩之さんは、雑誌業界の厳しい状況をこう語る。
『建築知識』編集部を率いる三輪浩之さん。胸元に光るは「猫」バッジである。
「かつては当社も、雑誌をたくさん発刊していました。『ビデオ倶楽部』や『CAD&CGマガジン』、フランスの雑誌の日本語版で子供服専門誌『MilK』も当社が最初に手がけていました」
年間10タイトルほどを刊行する雑誌系出版社だったエクスナレッジ。経営判断を迫られて、年間150タイトルを刊行する書籍・雑誌系出版社へのシフトチェンジを決断したのは2008年頃の話だ。
雑誌は若手に任せ、もう一本の経営の柱を築くために、書籍制作に注力した。おかげで直近5、6年は書籍売上もとても好調だとか。他社に比べて単価は高いものの、その凝った装丁と質の高い内容の「紙の本」は思わず所有したくなる魅力にあふれている。
『最高においしい自然ワイン図鑑』のような翻訳本も手がける。「うちのデザイナーの選定基準は相当厳しい」というぐらい、装丁や手触りにこだわりを持っている。
『アニメ私塾流最速でなんでも描けるようになるキャラ作画の技術』は定価2,400円なのに6万部も売れたとか!!
現在残っている雑誌は、一級建築士などが対象の看板月刊誌『建築知識』と、工務店や住宅・リフォーム会社で働く人のための季刊誌『建築知識ビルダーズ』のみ。堅く売れる書籍にシフトした流れからすれば、これらの雑誌も休刊にしてもおかしくない。しかし三輪さんは、きっぱり否定した。
「雑誌があるからこそ、いろいろな情報が集まってきて、建築技術書がつくれるんです」
たしかに名刺代わりの看板雑誌なのだから、やすやすと潰すわけにはいかない。そうはいっても、赤字を垂れ流してばかりでは社内の立場も悪くなるだろうし、売れないと分かっているモノをつくるのはしんどい。編集部のモチベーションも下がるばかりでは?「ええ、『建築知識』も部数はずっと落ち続けていました。編集部の雰囲気は暗いし、売れた経験がないと編集者も伸びない」と三輪さん。売上も年あたりでおよそ10%ずつ、低下していたという。
そこで3年前、新規読者を獲得するための誌面リニューアルを決断した。特集キーワードは“猫”だ。発案者は猫好きの三輪さんである。
「わたしが猫を飼っていたのもあって、きっとニーズがあるはず! と。『猫なんて、アホじゃないか』ぐらいにさんざん言われましたが(笑)」
2017年1月号特集「猫のための家づくり」
記念すべき猫特集第1回目。
2019年4月号特集「海外に学ぶ猫のための家づくり」。これまでの反省を込めて、あらためて“猫ファースト”でつくりこんだのだとか。3度目の猫…ならぬどじょうは狙えるか?
売上が落ちて苦境に追いやられた雑誌のリニューアルは、だいたい失敗する。悲しいかな、それは「出版業界あるある」だ。ところがどっこい、この猫特集は大きな話題を呼び、大ヒットした。それを転機に年間10~15%ずつ、売上も上がっているんだとか。
この時の挑戦を三輪さんは「保守的にやっぱり売れなかったというのは、何も得るものがないんじゃないかなと。当たるにせよ外れるにせよ、挑戦したことで編集部自体も明るくなる。外したらわたしのせいだし」と振り返る。
これに広告が下支えする。たとえば3回目の猫特集(2019年4月号)では、猫に関連する建材メーカーからの広告出稿が相次いだ。これは過去2回の猫特集がほぼ完売した実績の賜物だ。PR記事も広告部に所属する元編集部のスタッフが担うため、「編集不可侵」の原則が損なわれることはなく、編集部は安心して制作に注力できるようになった。
衝撃特集のメリットとデメリットは?
かくして、2019年の春までに「擬人化」「BL」(BL=ボーイズラブ)などの衝撃的な企画が次々と打ち出された。……その評判は?
2017年12月号特集「建築基準法キャラクター図鑑」。これでもかというほどに萌え絵である。
「美少女擬人化はおかげさまで完売しました。それで気を良くして、今度はBLだと。ネットでものすごく話題になりましたけれど、旧来の読者に敬遠されて売上的には……この業界はまだまだ男性社会でしたね(苦笑)」
2018年10月号特集「建築構造BLキャラクター図鑑」。60周年にBL……ッ!
そう、気になるのは読者の反応。長い歴史を持つ雑誌ゆえ、愛読してきた既存読者は拒否反応を示すのではあるまいか。
「われわれが扱う住宅建築分野は、大幅に技術的な進歩があるわけでもない。姉歯事件以降、法改正も少ない。となると似たような特集の繰り返しになって、だから結局はマンネリ化してしまうんです。それでは読者もつまらないと思う。
いまはこういう特集をするようになって、かなりバリエーションは増えたかな、と。かつては月号による売上の差はあまりなかったんですが、いまは違う。たとえば昨年11月号は久しぶりの法改正特集で、プロの建築家などの既存読者に非常によく売れました」
2018年11月号特集「建築基準法の改正」
編集の根底に流れるのは、「実務に必ず役立つテーマを扱う」というスタンスである。その際に表現方法を工夫すれば、一般読者も取り込めるのでは……と編集しているそうだ。建築構造も「部材と部材の関係性」や「部材の力の掛け合い」のような話になるので、世界観として親和性が高いはずだと「BL」採用に至ったのだとか。
あるいは、同業者が解説しがちだった物事についても、「あえて他分野のエキスパートに解説してもらう」という表現方法を取る。それによってさらに分かりやすくなって、より役に立つようになれば――という視点である。編集部は専門家が気づいていないアイディアや発想を、誌面でどう表現していけるかを日々探究している。
だから、一過性のバズを追って手段と目的を混同し、過激な方向性へ突き進んで行ってしまう『建築知識』にはならない。彼らは既存読者に求められることをきっちりおさえている。「外からははっちゃけて見えるけれど、我々は実は大真面目に作っている(笑)」と三輪さんが言うとおりに。
一方で、斬新な特集に惹かれてきた新規読者の定着性はどうなのだろう。
「最近は読者ハガキでも若い人が増えてます。定期的に送ってくれる高校生の読者もいたりしますよ。『建築知識』なのに……と思いながら(笑)」と話すのは編集部員の越智和正さん。
『建築知識』編集部在籍2年目の越智和正さん。以前は書籍編集部に在籍していたそうで「スピード感は違うけれど、それぞれに違う楽しみ方がありますね」とのこと。
三輪さんも補足する。
「昨年12月号は“寸法”に関する資料集的な特集でした。それがなぜかイラストレーターや絵師さんたちにバカ受けして完売したんです。この雑誌がいろいろな挑戦をして、世の中の認知度が上がったことによって、絵描きさんも目を付けてくれたんじゃないかなと。そう思えばこれまでの一般の読者に向けて広げていくやり方は、これからの雑誌においては必要なのかなと思いましたね。
ツイッターなどを見ていると『こういう雑誌を大学生の時に読んでいたら……自分も建築の方へ進みたかった』と書いてくれる人もいます。いまの誌面構成は大学で建築をちょっと学んでいて、現在は異業界に身を置く人でも読めます。私たちは雑誌を売るのも大事ですが、この業界に入ってくる人が増えてこないと……」
三輪さんは副社長という経営層側の立場でもある。会社としてのリスクや費用対効果を考えていくと、挑戦にはどうしても及び腰になりがちなものだ。それを問うと、こんな答えが返ってきた。
「同じことを繰り返しても、部数は伸びないんです。結局、読者は飽きていくのだから、変えていくしかない。特集によって波はあるし、『BL』も『擬人化』に比べたら部数は落ちたけれど、ふつうの建築構造特集号よりは売れています」
どこまでも攻める、それが『建築知識』の編集方針だ。すがすがしくてカッコよすぎる。ところで、これらの斬新な企画の源は?
「決めるのは社長やわたしです。それを編集部に降ろしていく感じ」
……さすがに「擬人化」「BL」は戸惑ったのでは? と越智さんに聞いたら、制作の過程を教えてくれた。
「擬人化は、『刀剣乱舞』など擬人化を得意にしているイラストレーターの方を探して依頼し、アドバイスを伺いながら進めました。かなり話し合って中身を詰めていったので、いいモノになったのかなと。BLについては、『わたし、BLは詳しいんで』という新人女性編集者はいたんですけれど、それ以外の編集者は『BLってなんだ?』みたいな状況(笑)。まずはBLの勉強からはじめました」
ふむふむ。それにしても誌面は相当につくりこまれている印象だけれど、編集部は何名体制なのだろう……と思っていたら、三輪さんがしれっと言った。
「12名です。6名から倍増させました」
……え? ?ええ? ? 人員倍増ですってぇぇぇ!?!?
働き方改革で業績もアップ
月刊誌の編集部員が12名。専門誌編集者ならおそらく腰を抜かすはずだ。
週刊誌や隔月刊誌ならば刊行ペースが早いため、それぐらいの陣容を構えなければいけないのは分かる。しかし月刊の、しかも業界専門誌だ。200ページ近い雑誌をひとりでつくっていたこともある筆者からすると、もはや亜空間の話である。
三輪さんによれば『建築知識』も例に漏れず、かつては5~6人で業務をまわしていた。ひとりで80~100ページの特集を請け負うような状況だった。
「このままでは人材が入ってこない」と危機感を募らせたエクスナレッジ経営層は、大改革に出た。編集部員の倍増計画だ。12名を2チームに分け、年間6回、6名ずつで交互に特集を担う仕組みにした。さらに就業時間制限を設けた。22時以降は働けないようになり、土日は完全に出勤NGだとか。
業績が悪化したら人員を減らして経費削減を図るというのが、これまで業種を問わず「業務効率化」の名のもとに行われてきた常套手段。それは出版業界も例外ではない。エクスナレッジの試みは、それとまったく正反対のものである。
体制改革によって、誌面の精度・密度が飛躍的に向上したそう。「読みたくないですけどね、ここまで詰まっていたら(笑)」と三輪さんが自嘲ネタにするほどのつくりこみだ。そして斬新な企画と高い密度が雑誌のお役立ち度を高め、『建築知識』の評判は上がり、ファンがじわじわと増えていく。見事な好循環が生まれているのだ。
ちなみに編集部内の比率はといえば、男:女=2:10(社全体で見ても女性は7割を占める)。 一級建築士は編集部内に2名、建築学科卒系が2名いるが、そのほかの8名は、建築とは無縁のキャリアを積んできた人たちだとか。平均年齢も30代と若めである。
「貧すれば鈍する」を体現するかのような昨今の出版業界において、人材をとても大切にしていて、ダイバーシティも推進している。クリエイターとして理想の職場だという印象を受けた。しかしその背景にあるのは危機感だ。三輪さんは真剣な面持ちで口を開いた。
「みんな、WEB業界へ行ってしまうからですよ」
「優秀でちょっと変わった人がいるコンテンツメーカーだった出版社は、かつては『ほっといても人が来る』業界だった。人が来るから『ある程度は人が辞めてしまってもかまわない』という悪しき習慣があったんだと思います。そこで生き残る人だけが偉かった。でも、そのたくさんいた人に助けられて、雑誌は出ていたはずなんです。依存していたんですね。……しかしいまは、いい人材はみんなWEB業界へ流れてしまっている。
出版の魅力に依存していたのを改め、雑誌のつくりかたから変えないと、よいモノも作れないし、人も育たない。それでは出版業界自体がダメになってしまいます。そんなやり方は、もう変えたかったんです」
2年ほど前から働き方改革に取り組んでいるエクスナレッジ。それでも優秀な人材の獲得は思うようにいかない面もあるようだが、ブラック職場でくすぶっている建築好き編集者はぜひ門を叩いてほしい……。
『建築知識』は明るく楽しい職場です!! ※イメージです
昨今、建築業界離れが大きな課題だったが、「ここ3年間ぐらいで給料は1.5倍まで上がっていますし、労働に見合った報酬は出るようになっているので、みんな危機感を強く持っていて、働き方もすこしずつ変わりつつあるんじゃないか」というのが、建設業界の経営者にインタビューしてきた三輪さんの実感だ。
「ただハウスメーカーさんが強い中、我々がメインターゲットにしてきた戸建住宅を手がける設計者・施工者は、やはりちょっと元気はないですよね。逆に言えば、“猫”などの切り口など、いままで提案できなかったようなことも受け入れてもらえる雰囲気になってきました。
個人的には、これまでのこの業界は住宅などの“器”の設計や施工だけで施主さんとの関係は終わっていたような気がするんです。これからは新規で建つ戸数が減っていくのだから、もっと住む人のことを考えて住宅設計をする。あるいは次のリフォームなどの仕事のためにつながっていく必要がある。その際のコミュニケーションツールとして、この雑誌を使ってもらえればいいなと。
そして、建設業界を志す人が、すこしでも増えればいいですね。その意味で『建築知識』はフックとして効いているんじゃないかな」
三輪さんと越智さんは、すこし得意げに笑った。
人材不足に悩む建設系企業のみなさんは、『建築知識』の働き方改革をご参考にしてみてはいかがだろうか。