2019年7月、東京・北区にある旧赤羽台団地の「スターハウス」を含む4棟が、団地としてははじめて、国の登録有形文化財となることが決まった。
赤羽台団地は1962年、旧日本住宅公団(現UR都市機構)によって建てられた集合住宅だ。全3,373 戸の団地は、当時の東京23区内では最大規模だった。
当時の人々を魅了した昭和30年代の建築であり、令和の世の中で文化財に選ばれるほどの「赤羽台団地」とは、そしてスターハウスとは、いったいどのようなものなのだろうか?
記事初出:『建設の匠』2019年8月8日
赤羽台団地とはどんな団地か
旧赤羽台団地(現ヌーヴェル赤羽台)はJR赤羽駅より徒歩8分ほどの場所に位置する。
郊外型の団地が主流だった時代、都市型の団地として建設された赤羽台団地は多くの人々の羨望の眼差しを浴びた。その人気は高く、赤羽台団地へ入居するには、収入の下限制限が設けられるほど。ある程度の所得がなければ入居できないので、無理をして居住した住人もいたんだとか……!
余談だが、ロックバンド「エレファントカシマシ」のボーカル・宮本浩次は赤羽台団地で育った。彼は「桜の花、舞い上がる道を」のMVをこの赤羽台団地で撮影したんだとか。ちなみにJR赤羽駅の発車メロディもエレカシだ。
都市型の再開発モデル団地として位置づけられた赤羽台団地。なにがそれほどまで魅力だったのだろう?
赤羽台団地には、単身者用の1K(風呂なし)からファミリー世帯向けの4Kまで、バリエーション豊かな部屋が存在していた。そこにはダイバーシティ(多様性)を認める居住空間があり、事情をそれぞれ持つ住人に、居心地の良い空間を提供していたのだ。
また、この赤羽台団地は住棟の配置が非常に独特である。風変わりな配置が誕生したのは、旧日本陸軍の被服廠跡地の道路を再利用したという背景があった。そこで直工住棟や囲み型住棟、ポイント型住棟(スターハウス)が組み合わされた斬新な景観を形成したのだ。
赤羽台団地に輝く三連星
2019年7月19日、文化審議会は旧赤羽台団地のポイント型住棟(スターハウス)を含む4棟を登録有形文化財にするよう、柴山文部科学大臣に答申した。4棟が登録されれば、建造物としての登録有形文化財は1万2,470件となる。
登録有形文化財(建造物)に登録される4棟
- 41号棟(板状階段室型:鉄筋コンクリート造地上5階建)
- 42号棟(ポイント型住棟:鉄筋コンクリート造地上5階建)
- 43号棟(ポイント型住棟:鉄筋コンクリート造地上5階建)
- 44号棟(ポイント型住棟:鉄筋コンクリート造地上5階建)
41号棟の特徴:板状階段室型
41号棟
41号棟の板状階段室型は、多くの団地で採用されている造りだ。高度経済成長期の標準的な住棟形式で、当時の住棟形式を現代へ引き継ぐ例として、いまとなっては非常に建築的価値が高い。
その特徴としては、住棟の全部屋が日当たり、風通しが良くなるよう住棟を南面させていること。それに加え、各戸の南側にバルコニーを備えて住環境を快適にしようと試みたのも特筆すべき点である。
42~44号棟の特徴:ポイント型住宅(スターハウス)
42~44号棟
42~44号棟のポイント型住宅は、三角形平面の階段室の周囲に各階3戸を放射状に配置し、全体がY字形の平面形状になっている。上空から見ると星のような形になっていることから、俗に“スターハウス”と呼ばれている。
42号棟
43号棟
44号棟
スターハウスらしさあふれる角度
封鎖された44号棟入口
封鎖されても階段の蛍光灯は点いていた
裏手に椅子が捨てられていた
おや、なにかが付いている……
夏ですなあ
スターハウスは各部屋の日当たり、風通しといった住環境を良くしようと考案されたデザインだ。それに加えて敷地を有効利用できること、景観に変化を与えるという利点も兼ね備えている。
日本国内に残存するスターハウスは数少なく、しかも42~44号棟のように3棟がまとまって残っている例は非常に珍しい。そういった意味でも赤羽台団地のスターハウスは歴史的価値がきわめて高いのだ。
2018年7月には、日本建築学会が「景観形成における役割を担う」ものとして旧赤羽台団地住棟の保存活用をUR都市機構に要望した。
この甲斐もあってか、UR都市機構は6月に保存を決めた。そして7月、文化財登録が答申されたのだ。
ちなみにスターハウスの考案者は、建築家・市浦 健である。
市浦 健(©市浦ハウジング&プランニング)
1904年生まれの市浦は関東大震災を機に、大学で建築学を学ぶことを決意。卒業後は大学で教鞭を執ったり、住宅営団や鹿島建設で勤務したりした。その後、建設設計事務所を設立して公共住宅のスターハウス普及にいそしんだ。全国各地のスターハウスの中で赤羽台団地のそれはお気に入りだったようで「公団の標準設計になってから最もうまく使われているのは赤羽の団地かも知れない」と語ったほどである。
登録される4棟はUR都市機構が保存し、今後は一般公開も予定しているのだとか。
建て替えで失われたもの、残るもの
さて、歴史的価値の高い赤羽台団地だが、昭和30年代に造られた建物にはさすがに老朽化や耐震性といった問題が持ち上がってきた。そこで2000年より赤羽台団地の建て替えがはじまり、多くの住棟は「ヌーヴェル赤羽台」へと姿を変えた。
2006年にA街区(1、2号棟)が竣工しているので、それ以降に建てられたものであろう案内板
ヌーヴェル赤羽台が12号棟まで完成している最近の案内板。45~48のスターハウスがいない
その奥では、39・40号棟の取り壊しが進んでいた。一部界隈で有名だった「くらげ公園」も消滅したようだ……
赤羽台団地はダイバーシティを認める居住空間であり、ある意味でさまざまなコミュニティが形成されていた。それを踏まえてか、団地の建て替え時には複数の建築家と協働して設計を行い、多様な個性が協調しながら連続する街並みを目指したのだという。
旧赤羽台団地41号棟とヌーヴェル赤羽台6号棟のコントラスト
UR都市機構によると、2022(令和4)年に開館予定の情報発信施設「ミュージアム&Lab」では、スターハウスや代官山同潤会アパートなどの住戸の再現を行い、当時の暮らしを直感的に体験できる展示を行うという。
時代の移ろいと共に建て替えが行われるのはやむを得ない。そこには一抹の寂しさもあるが、当時の人々の想いは、こうして継承されていくはずだ。
©UR都市機構
©UR都市機構
団地育ちの筆者としては、このように団地が再評価されるのは嬉しい限りである。この日、夕方にわざわざ撮影に行ったのも「団地といえば夕暮れの雰囲気が最高でしょ」と思ったため(思い込み)。
団地に来ると思い出す。不気味だった給水塔とかどこかの家のピアノの練習音とかバランス釜の「カチカチカチ……ボッ!」という音とかだるかった芝生の草むしりとか側溝でミニ四駆走らせたりとか……嗚呼、すべてが懐かしい。
全団地マニアの想いを込めて、赤羽台団地よ、永遠たれ!
ひとつだけ気になったのは赤羽台団地の玄関口にぽつんと取り残された49号棟。保存活用の対象に含まれていないので、いずれ解体されてしまうのだろうか……
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