成田社長が就任した2009年当時、応用地質の業績はお世辞にも良い状態とは言えなかった。2009年に創業以来初の赤字に転落、2011年には東日本大震災が発生。創業以来一番のピンチだった。
「国内の公共事業投資額はピーク時の1997年と比べて半減し、我々の売上も4割近くまで落ちました。地方自治体の発注は地元優先になり、はっきり『大手には仕事を出せない』と言われたこともあります。しかし私たちも食べていくために次の段階へ行かなければいけない。そこで打ち出したのが地盤2次元データの3次元化、動画化でした」
地質情報の重要性と活用法について技術面から世にアピールしていこうと決めた。しかし3次元化の可能性に気づいた企業はまだ少なかったのではないだろうか。
「グループ会社で石油に関わる企業がありまして、私もアメリカやヨーロッパの海底探査の現場に行ったことがありました。彼らはもう3次元で結果を表示していて、それがとても精密に作られている。調べてみたら私たちも技術的には可能だと分かったんです。その後数年間でPCの性能がどんどん上がって2016年頃には手持ちのPCでも十分なデータを出せるようになり、私たちが扱う地表近くの調査でも3次元が使えると思いました」
地球温暖化や大きな災害が重なり、地質調査に対する世間の見方も変わってきたという。
「調査をコストと捉えるのではなく、地質をリスクと考えて対応しなければ大変という風潮が出てきた。公共事業でも強靱化などの項目で予算が付き始め、私たちも専門的な情報を皆さんが理解できる形にアウトプットしなければと考えるようになりました」
幸いにして、応用地質にはこれらの新しい技術に対応できる人材がいた。
「まだ昔ながらの技術者集団でしたが、物理探査系・地震調査系の社員たちは調査で必要なツールやソフトは自分たちで組んで使う文化がありました。最初はスーパーコンピュータ並のパワーを得るためにPCを100台つないでみようとか、PCがダメならゲーム機で応用するなんて話も出たくらい(笑)。ITに対するアレルギーは少なかったかもしれません」
専門分野のデータ3次元化は社員の工夫もあってどんどん進んだ。しかし、ここで大きな問題に突き当たる。
「技術者はみんな自分たちだけが分かる専門ソフトを作るので、汎用性がないんです。それに技術データを効率良く使うことには興味があっても、DXでビジネス自体や働き方を変えるという話には非常に消極的だった」
そこで2017年に立ち上げたのが情報企画本部。専門技術や調査結果だけでなく、基幹業務やDXサービス創造も含めて全社のDXを統括する部門だ。面白いのはこの部門のメンバーの集め方である。