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首都高研究家・清水草一コラム【20】 天から「6車線の新東名」が降ってきた

編集部 2021年10月29日

「第二東名の橋脚、あのまま廃墟にするから」

2020年12月22日、新東名御殿場JCT-浜松いなさJCT間145kmの全線6車線化が完成し、同時にこの区間の最高速度が、正式に120km/hに引き上げられる。このことについて私は、非常に複雑な思いを抱きつつ、「とにかくよかった……」と心の底から思う。

01新東名6車線化事業(出典/NEXCO中日本)

新東名については、個人的に深い思い入れがある。そしてほんの少しだけ、自分も貢献したかもしれないと思っている。

記事初出:『建設の匠』2020年12月18日

 

小泉純一郎首相(当時)の指示により、2002年から始まった道路四公団民営化議論。それ以前から中央の大マスコミは、「ムダな赤字高速道路の建設」に対して集中砲火を浴びせており、中でも第二東名(当時の呼称)はその象徴としてスケーブゴートにされていた。

このままでは第二東名の建設が中止されてしまう。私は、東名のどうにもならない混雑の実態を知る者として、同時にクルマと道路を愛する者として、大きな危機感を抱いた。自分に何かできることはないか。

そこで思いついたのが、間もなく発足する道路公団民営化委員会のリーダー的存在になると目されていた猪瀬直樹氏に、直談判することだった。直談判とはつまり、インタビューを申し込んで、その場でその必要性を主張するのである。

当日、西麻布の猪瀬直樹事務所を訪れた私に、猪瀬氏はのっけからこう言い放った。

「御殿場に立ってる第二東名の橋脚、あれをあのまま廃墟にするから」

02猪瀬直樹氏と2ショット(2004年、筆者撮影)

「ちょっと待ってください猪瀬さん。確かにいらない高速道路はたくさんあります。でも第二東名や第二名神はいるんです。北関東道もいります。いる道路といらない道路があるんです!」

当初はまったく聞く耳を持たなかった猪瀬氏だったが、私が実際に全国の高速道路や、当時計画中だった高速道路路線に並行する一般道をほぼ実走調査済みであることを知ると、現場勝負のジャーナリストだけに、少し見る目が変わった。

私はその後も猪瀬氏に何度かインタビューを申し込み、何度も議論を重ねたが、当初は「高速道路計画の全面凍結」を主張していた猪瀬氏の姿勢も徐々に変化し、焦点は民営化後の組織のあり方になっていった。

別に私の説明で氏が考えを変えたわけではなかろうが、とにもかくにも私は、おそらく最初に猪瀬直樹氏に「第二東名は必要です!」と言った民間人である。

 

ただ、その設計に関しては、当初の「全線6車線、設計速度120km/h」は贅沢過ぎるだろうと考えていた。もちろんクルマ好き&道路好きとしては、そんなアウトバーンみたいな道路が出来てほしいという思いはあったが、ドラ息子が父親に「スーパーカーを買ってくれ」とねだるような後ろめたさもあった。

03アウトバーンのように巨大な風力発電を目指して走ってみたいよね……(写真/Adobe Stock)

よって、民営化委員会が出した「建設続行、ただし6車線を4車線に設計変更し、コストダウンを図る」という結論には、一抹の寂しさを抱きつつ、「よかった……」と胸を撫でおろした。

あの西麻布のインタビューから約10年後の2012年4月。新東名の御殿場JCT-三ケ日JCT間が開通。さっそく走り初めをした私は、「なんだこりゃ!?」と驚愕した。

「ほとんど6車線」のプレゼントは誰から?

04……風車に向かって走れるじゃないか!(写真/Adobe Stock)

4車線になったはずの設計が、「ほとんど6車線」だったのである。民営化委員会の答申では、「旧計画の構造物6車線を、新計画では4車線に変更」とされ、これで約1兆円のコストダウンを図るはずだった。民営化されたNEXCO中日本は、その答申通りに施工するはずだった。

新東名の4年前に開通していた新名神(亀山JCT-草津田上IC間)は、6車線設計を途中でむりやり4車線に変更した形跡ありありながら、トンネルを除き、ほぼしっかり4車線構造に縮小されていた。

新東名も同じ構造を予想していたが、それは「ほとんど6車線」であり、ごく簡単な追加工事で6車線化できるように見えたし、開通時すでに全体の約4割の区間が、「付加車線」の名目により、片側3車線化されていたのだ。

05見事に片側3車線(写真/Adobe Stock)

(これは話が違う!)

そう思いつつ私は、(NEXCO中日本グッジョブ!)と叫んだ。

開通するまで、新東名がこういう設計になったことは報道されていなかったし、知っている外部の人間はほとんどいなかったのではないか。

なにしろ新東名は、近寄ることも難しい山間部を貫いている。工事状況を見ることは困難だし、一部を見たところで全体はわからない。私も工事現場を見学したが、まだ土工事の状態で、完成時の状態はわからなかった。つまりある種のだまし打ちである。

「ここまで造ってあるのに、6車線化しなかったらもったいないじゃないか!」

それは、新東名を走る誰もが思ったことだろう。せっかくのフェラーリに、プリウスの皮をかぶせているようなものだから。

その頃にはもう、大マスコミの高速道路不要論などまったく掻き消え、「誰がそんなことを言ってたの?」という空気になっていた。新東名が「ほとんど6車線」であることに対する批判は一切起こらず、逆に一部から、わざわざ狭く造ったことに対する不満だけが聞こえた。

そして、新東名の開通から8年半後の今月、御殿場―浜松いなさ間の完全6車線化と、最高速度120km/hが実現したのだ。「大型トラックの隊列走行実現のため」という、効果を疑いたくなる名目で。

着工が遅れたその他の区間、特に浜松いなさー岡崎SA間が、構造物4車線施工になったのは残念だったが、結局ドラ息子(私)は、父親にフェラーリを買ってもらいました! V12ではなくV8でしたけど。

いや、私は自分でフェラーリを買いましたよ。でも新東名に関しては、天からフェラーリが降ってきました。

天から降らせたのは、こんな贅沢な道路を強引に計画した藤井治芳建設省道路局長(当時。その後日本道路公団総裁に就任し、猪瀬直樹氏に官製談合疑惑を追及され、石原国土交通相により解任)と、道路公団民営化を実現させ、高コスト体質の根本的改善に導いた猪瀬直樹氏のふたり――のような気がする。両氏の考えは180度逆だったが、最後は双方のいいとこ取りになった。

そして、最終的な勝利者は私だ。

 

藤井氏は日本道路公団総裁解任後、表舞台に出ないまま、85歳(2021年10月現在)になられている。ミスター道路と呼ばれ、道路行政を牛耳った氏だが、道路屋の夢の結晶・新東名を、自らステアリングを握って走ることは、年齢的におそらく難しい気がする。

猪瀬直樹氏には、数年前、「新東名の片側3車線幅のトンネルをわざわざ狭めている樹脂ポールが、ネット上で“猪瀬ポール“と呼ばれていることをどう思いますか?」と尋ねたが、「俺はそんなもの知らない。俺が付けさせたわけでもない」とけんもほろろだった。

06左車線を潰すために立つラバーポール(写真/PIXTA)

ちなみに、クルマ好きを自認していた猪瀬氏も、「あんなところまで走ったら疲れちまうよ」という理由で、新東名を走ったことは一度もないとのことだった。

私は、拡幅翌日の12月23日、自らの運転で走り初めをさせていただきます。そして泣きます。

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